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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年3月号

1000字提言

防災を考える

遁所直樹

2004年の三条市の水害、中越地震、昨年の中越沖地震など、新潟県は、ここ数年大変な年が続いている。障がい者を取り巻く環境はよくなったのではなく錯覚だったと自覚させる出来事だった。災害は当たり前の生活を一瞬にして変えてしまう。災害になったら、やはり障がい者はこれだけ取り残されるのだと、高齢者はこれだけ取り残されるのだという現実を思い知らされた。

たとえば、避難所は車いす用トイレもない。車いす用リフトのある自家用車でその夜を過ごした人もいる。職員も被災しているので施設サービスもままならない。人工呼吸器利用の方から農機具用バッテリー電源でなんとか生き延びたと後で連絡が来た。

自立生活センター新潟はというと、2004年は全国からの問い合わせに対応することに精一杯で、センターの力の無さに苦悶し、悩んだ。でも、ネットワークに助けられ、後方支援を心がけることで自分たちのできることをした。

その後、災害が起こる前に、日頃から取り組むべきことを考え始めた。それは知り合いを増やすこと。新たなネットワークの構築を模索し、にいがた自立生活研究会(http://blog.canpan.info/sail_niigata/)をはじめとするつながりもできた。中越にも防災を考えるネットワークづくりが芽生えている。

それから、地域で暮らすために私たちの前の世代の重度障がいをもつ人たちの自立生活を見習うことがある。先輩たちはビラを持って、大学やいろんな所を回り、身辺の世話をしてくれるボランティアを探した。地域で暮らすための試練でもあった。パワーがあった。そこには、身近なところで障がいをもって暮らしている本人を知る環境ができた。何かあれば助けてくれる地域性ができる要素もあった。

一方で、近年、毎日毎日介助者を探す苦労を補うために介助サービスを整えようと当事者が声を出し、自立生活センターに代表される支援が整ってきた。介護保険、障害者自立支援法により、福祉サービスが増え、社会資源が増えた。そして、何かあれば安否確認の電話(だけ!)は各事業所から次々と届く。ヘルパーさんにはその存在が分かるようになった。反面、近所の人たちに障がいをもつ人たちはだんだんと忘れられてしまうのではないかと危惧する。

今ここで気づく。地域で孤立しないため、普通に生活するため、近所付き合いを進めるうえで、さらに、障がい者参加の制度ができるまちづくりにも「防災」は魅力的な役に立つものだということに。(今回の中越沖地震の支援については、NPO法人ゆめ風基金に報告しています。http://homepage3.nifty.com/yumekaze/tonndokoro.htm)

(とんどころなおき NPO法人自立生活センター新潟事務局長)