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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年5月号

障害者自立支援法の問題点

大島正彦

1 はじめに

わが国の障害者福祉は今、大きな曲がり角にきている。曲がり角にきているのは障害者福祉だけでなく、社会福祉、社会保障、さらには医療、教育を含めた社会、経済の全般に及んでいる。こうした流れの目指すところは、「経済の先行き閉塞感をうち破り、ヒト、モノ、カネの経営資源の最適配分を実現する。何より、民間の経済主体の自由で創造的な活動は、経済の新たなフロンティアを拡大し、国民全体が真の豊かさを享受できる経済社会の構築」(日本経済再生への戦略―経済戦略会議答申、1999年2月)とされている。

戦後まもなくから憲法25条を中心とした国民の社会福祉、社会保障、公衆衛生の諸権利を請求権として認めさせる運動がなされてきたが、司法の判断は「国の努力義務」という解釈にとどまっている。しかしながら、「公の責任を民間に転嫁してはならない」という原則に基づく諸制度(措置制度もその一つ)により、結果的には少しずつではあるが社会福祉等は進展してきた。

こうした流れ(重い社会)を断ち切るものとして、冒頭に示したような、“自由”な経済活動を最優先課題に据え、あとは「見えざる手」に解決を任せて、社会の欠陥を補うための社会権の行使は極力抑えようとする政策転換がなされつつあり、障害者福祉で進行している政策も、同じ線上で解釈できる。そして今問題となっている障害者自立支援法も、社会福祉基礎構造改革―社会福祉法―支援費制度―障害者自立支援法という「日本経済再生」の流れに着実に乗っている。

したがって、障害者自立支援法の問題点は、社会福祉基礎構造改革にまで戻って検討されなければならない。また、このことについてもう一つ理由を挙げるならば、社会福祉基礎構造改革から障害者自立支援法までの経過を一連の流れとして捉えない、すなわち社会福祉基礎構造改革はよかったが支援費制度で間違えた、支援費制度はよかったが障害者自立支援法には問題がある、といった理解が根強くあることが、今日の悪法(筆者は障害者自立支援法を「歴史に残る悪法」と呼んでいる)を許したと考えるからである。

2 社会福祉基礎構造改革の経緯

社会福祉基礎構造改革が提言された直接のきっかけは1997年に、国の財政赤字解消のための6つの分野の改革を行う法案として「財政構造改革法」が出されたことによる。この法案は行政改革、経済構造改革、金融改革、財政構造改革、教育改革、社会保障構造改革(医療、年金、福祉)からなり、社会福祉基礎構造改革は「社会保障構造改革」の一部として検討され、1998年に「社会福祉基礎構造改革について(中間のまとめ)」として提言されたものである。「社会福祉基礎構造改革」は小さな政府を実現するための施策の一部分であり、社会福祉関係費用の国の負担分を削減することが当初からの役割なのである。

社会福祉基礎構造改革の基本部分は、1995年の社会保障制度審議会の勧告「社会保障体制の再構築に関する勧告―安心して暮らせる21世紀の社会を目指して」に見ることができる。たとえば権利性では、「今後ニーズの多様化や高度化に対応した種々のサービスが用意されるようになると、それらを利用者の意思で選ぶことのできる選択性を備えることが、その権利性を高める上で必要となる」とし、健康で文化的な最低限度の生活を実際に送るという権利を、それを必要としている人に必要なサービスを提供するのでなく、自由にサービスを選択することができるという権利に置き換えている。また、負担の問題では、「みんなのために、みんなでつくり、みんなで支えていく」という自立と社会連帯の考えが述べられている。ここで言う「みんな」とは、応分の負担を求められる一般的サービス利用者を意味しており、サービスを受け取る権利主体という考え方が見えなくなってしまっている。

3 社会福祉基礎構造改革の理念の検討

最近の法・制度は悪法に限って美辞麗句で飾る、という傾向がみられるが、この理念も飾り言葉が多く、注意深く読む必要がある。社会福祉基礎構造改革は時代背景の認識のもとに改革の必要性を述べ、次の7点の理念をあげている。

  1. 対等な関係の確立(措置から契約へ)
  2. 地域での総合的な支援(総合的かつ継続的に連携を図りつつ、身近な地域で)
  3. 多様な主体の参入促進(多様なサービス提供主体の参入)
  4. 質と効率性の向上(規制緩和、市場原理により、サービスの質と効率性の向上を)
  5. 透明性の確保(情報開示、透明性の確保)
  6. 公平かつ公正な負担
  7. 福祉の文化の創造(自助、共助、公助)

いくつかの批判点に限って述べるが、まず、「改革」の根幹をなす措置制度を契約制度に変えるという内容は、このことがなぜ対等の関係を確立することになるのか、理解しがたい。契約による権利発生は市民社会の普遍の原理であり、何ら新しい権利発生ではない。したがって、措置制度を外すことは権利性を外すことで、これは明らかに権利の後退である。しかしここで言われていることは、「措置」を行政処分であるという表現で利用者に権利性がなかった、と説明しているのである。権利性がないのは措置制度のせいでなく、運用の問題である。公務労働が現場労働などにおいてどう信頼を得ていくかということは大きな課題であるが。なお、「措置」が行政処分であるなら「支給決定」も行政処分であり、百歩譲って考えても措置を外すだけで「権利」が回復するという論理もおかしい。

競争と市場原理についてはどのように考えたらよいのであろうか。一般に競争の必要性を否定する人は少ないと思われる。大切なことは、競争で得られるものが何かということである。社会福祉基礎構造改革では、競争一般ではなく市場原理による競争となっている。市場原理下では利益の大きさで勝敗が決まる。提供するサービスは金銭に換算され、具体性を失う。具体性を失ったサービスは利用者の生活要求に沿っているかどうかという視点からみてその質を落とす。また、単価や定員が決められている条件下では低賃金、不熟練労働、長時間労等が競争に勝つ手段であり、これらはいずれも提供するサービスの質の低下をもたらす。

4 支援費制度の問題

支援費制度では、サービスの増加を評価されることがある。このサービス利用の増加の最も大きな要因は、ホームヘルパーの利用の増加である。ホームヘルプサービスは基盤整備の費用が安く済み、またこれまで足りなかったサービスの代用(グループホーム、デイサービス、ショートステイなど)となるという特徴があってヘルパーの利用が急速に増加したのである。これは支援費制度だからできたことではなく、前の制度でも可能なことである。むしろ、ニーズ充足が抑えられていた証拠を示していると解すべきである。

支援費制度はずいぶん慎重に進められたという印象を持っている。その慎重さは、ときの制度設計者の言を引用すれば、「今回私どもは、着地点は考えないで問題を先ず明らかにしようというところからスタートしました。……(この各分野の方の意見を問うというやり方は)結果的には広く関係者の英知を集めて作られたという点で精巧だった……」(月刊福祉、2000年9月20頁)と述べている。しかし私には、この慎重さは着地点を決めるべきではない、というよりも情報を小出しにしながら落としどころを綿密に計算しているように見えた。半年で破綻した支援費制度の財政は、予算総額をコントロールする中央のバルブを持たない地方の一般財源化の怖さ、脆弱さを見せた。その結果、三位一体の改革は頓挫し中央官庁の言い分が通った形となったが、だからこそ計画的に見えるのである。

5 障害者自立支援法の問題

障害者自立支援法の安定した財源化は、応益負担か一般財源かの選択が迫られた結果であったと聞く。十分なサービスが得られるかどうかは予算の安定化とは直接関係なく、ずいぶん割の合わない取引をしたことになる。

障害者自立支援法の国会審議が進み出した頃は、障害者全体のサービス体系(グランドデザイン)を作ったこと、三障害の統合、職住分離など評価できる部分もある、ということで多くの障害者団体は反対ではなく修正という方針をとったようだ。しかし、法が実施されると次々と問題が指摘され、少なくとも障害者やサービス提供の現場では反対の声が日増しに強くなった。

今から思えば、社会福祉基礎構造改革が示されたときに、契約制度になったときに、応益負担が迫られたときに、そして国会で廃案になったときに、支援費制度開始直前のような運動のまとまりがあれば別の方向が可能だったかもしれない。それは無理としても、中央組織を持つ障害関係団体は組織結成当時の初心に返って現場組織の声から学ぶ、という姿勢を堅持することの大切さを再認識すべきではないか。障害者福祉の分野は、障害者団体が団結、結集すれば他にはみられない制度変更を実現する力を持っている、と思われる。

次に、市場原理も応益負担も障害者福祉の分野には相容れないものであるが、これが現場で一緒になると、先にも述べたが、援助の具体性が損われ、援助の中身が見えにくくなる。専門職の仕事に対する意欲は医師や教師、弁護士などにもいえることだが、まず第一に仕事の中身から得られなくてはならないと考える。サービスの質の向上、利用者と専門職の信頼に基づいた関係を作り上げるためには、市場原理も応益負担も絶対に避けなくてはならない。

また、現場職員の専門性が低下すると、給与表に当たるものが作れなくなる。そうなると、たとえ報酬単価を上げても経営者の利益に回ってしまう恐れがある。市場化、経営主体の多様化、規模の制限の撤廃、大規模化・多角化(たとえばコムスン)の奨励などが進むと一人ひとりの利用者、一人ひとりの職員を大事にする事業が成り立たなくなる恐れがある。

6 これから

社会保障全体が大きな曲がり角にきている昨今の状況を見ると、ひとり障害者福祉の制度だけが見直されることがあるだろうかと気弱になる。

しかし、障害者自立支援法を成立させた後に与党議員が選挙区に帰ると、障害者やその関係者から法の問題点を批判され、地元に帰りづらい、とぼやいている議員がいたという。また、参議院選挙で大敗した後、すぐにでも衆議院選挙があり得る状況が作られたとき、障害者自立支援法については「抜本的見直しを行う」と言わざるを得なかった与党の姿勢は、信頼し、依拠する相手はだれか、を示しているような気がする。勉強してない議員(地方議員も対象である)には実態を教えれば分かってくれる人が多いと思われる。そして行政、官僚ではなく、選挙民の方に目を向けてもらわなければならない。そうすれば政策も変わる、という可能性を見せたのである。

運動を行う者は、行政担当者とは政策の議論は十分しても、あくまでもニーズ発信者の利益を守る、という立場を堅持しなければならない。

障害者福祉の分野は、医療や年金の分野と比べれば人数や財政規模では比べものにならない。また世論に与える影響も小さいかもしれない。しかし、人間のあり方、制度のあり方、社会のあり方がしっかり結びついた理念とそれに基づく運動は、政策に与える影響力は他の社会保障分野と比べても引けをとらない強さを持っている。

(おおしままさひこ 文京学院大学)