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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年5月号

障害者自立支援法によって憲法に保障されている人間の尊厳、生存権が奪われる

由岐透

反福祉のシンボル的存在である障害者自立支援法が、平成18年10月から児童を含め本格施行された。この法律は成立前から多くの問題が指摘されていた。なかでも極め付けは「応益負担」と「障害程度区分」であり、この法には障害者が日本国民として普通に生きることが困難となる制度的欠陥がある。

「障害程度区分」は憲法11条基本的人権、13条個人の尊重、14条法の下の平等に抵触し、また「応益負担」は、憲法25条国民の生存権に係わる違憲性の疑いのある法律であり、障害者基本法第三条基本的理念に照らしても問題のある法律である。

障害者権利条約が第61回国連総会で採択され、07年9月28日日本は署名した。「人間の尊厳」の重視を根底に据えている障害者権利条約には、前文をはじめ多くの条文に「尊厳」が頻出する。権利条約は「障害にもとづく差別」とは障害にもとづくあらゆる区別、排除、制限であり、人としての平等を侵すことであると定義づけている。20か国以上の批准を得れば国際条約として発効するが、それは確実である(注・4月3日現在20か国批准)。日本も批准しなければ国際的に人権問題が問われることになるであろう。国内法を整備し、この条約の批准を早期に実現するよう政府に働きかける必要がある。

親亡き後、この子たちはどうなるのかといった不安と悲鳴が日増しに高まるとともに、この法の下では障害者とその家族が安心して暮らすことができない。この法の廃止を求める抗議集会や反対集会が全国各地で行われ、全国知的障害者施設家族会連合会には多くの廃止を求める声が寄せられている。

障害者本人とその家族はハンディキャップを補い、人並みに生活するために受ける支援がなぜ益なのかが理解できない。自分の人生を障害程度区分により他人に決められる自分たちは、障害があるが故に人格が否定されるのか、なぜそうなるのか?なぜ一人の人間として認めてもらうことができないのかといった声が聞こえてくる。ノーマライゼーションの基本である「自己選択・自己決定」の尊重を中心とした抜本的改正を求めたい。

障害が重度であればあるほど働くことが困難であり、知的障害者の多くは障害基礎年金以外に収入がない。その額は障害等級1級で月額8万3千円、2級で6万6千円である。現状での「応益負担」は、利用者本人の収入だけではなく世帯単位の所得が基準となり、その額が算定される。通所や入所施設利用者の場合、「応益負担」と食事代(通所は昼食代のみ)、水道光熱費、日用品費等(通所は除く)を合わせて通所利用者は約月額1万円を、入所利用者は5万5千円前後(利用者負担金)をそれぞれ支払うことになるが、通うための交通費(通所のみ)、日用品、衣服、医療費(通院の交通費)、障害があるが故に必要な費用、小遣いを差し引くと、通所も入所利用者とも家族の負担なしではやっていけないのが現状である。

「応益負担」制度は、障害のある人々や家族に大きな負担を課した結果、施設利用が続けられないので利用日数を減らしたり、入所施設を退所する等の深刻な状況がでてきている。

たとえば、平成18年10月、高知県知的障害者福祉協会が、法定施設・グループホームを対象に利用者負担増による退所者調査を行った。これによると、3~9月までの間に退所した者は78人、そのうち負担増を理由とした退所者は25人で、施設利用者の1.63%、入所・通所利用者の60人に1人であった。このうち利用施設種別で見ると入所施設9人、通所施設13人、グループホーム3人という結果であり、さらに負担増による退所者のうち19人の退所先が自宅となっている。国の調査では退所者0.39%、250人に1人となっているが、高知県知的障害者福祉協会の調査とでは相当の違いがある。国は再調査などをすべきである。

さらに、健常者より老化が早く病気になれば医療費負担3割に堪えることも困難である。20歳を過ぎても親が面倒を見て当たり前という扶養義務制度は、いつまでも家族に面倒を掛けなければ生きていけないことで個人の人格が尊重されないことになる。

「障害程度区分」については知的、精神、身体のそれぞれの障害特性を考慮せず、介護認定79項目にわずか27項目を追加した形で非該当、1から6に程度区分を行う。区分によって受けられる支援やその期間が制限され、「応益負担」は程度区分が6に近づくに従って額は大きくなる。その障害程度区分の認定はほとんど素人の市町村職員が行っている。尼崎市で程度区分5に判定されたが「応益負担」が高額となるため、程度区分を下げてほしいと申し立てる家族がいる。

一方「障害程度区分」の判定項目は、介護項目が中心であることから知的障害者は介護度が低いため軽い程度区分になり、受けたい支援が受けられなくなるので、程度区分を4以上に上げてほしいという要望がある。これは程度区分と受けられるサービス支給量・「応益負担」が関連しているため、経済的理由と自己選択、自己決定による利用者本人の意思を無視した結果、矛盾が起こっている。

全国知的障害者施設家族会連合会が独自に行った調査では、県別間で程度区分に約1の差が出ている。入所施設を利用するには程度区分4以上でなければ利用することができないが、同じ障害状態でも県によって、入所施設を利用できる人とできない人が出てくることになる。この制限はあと3年間の猶予期間があるため、すでに利用している者で程度区分3以下の利用者が退所させられたという事例は今のところ出ていないが、現在、新事業体系に移行している入所施設には3以下の者は入所できない。

平成24年3月で猶予期間が切れるので国の資料から単純計算をすれば、5万人強の入所施設利用者が利用を止められることになる。この5万人は年老いた親の元に帰るか、グループホームを利用しなければならない。グループホームは基盤整備されていないうえに、年金だけでは利用できないのが現状である。

昨年12月、与党プロジェクトチームから障害者自立支援法の抜本的見直しの報告書が出され、応益負担については「低所得者の負担を更に軽減するなど、負担の応能的な性格を一層高める」とし、障害程度区分については、三障害別とするとともに、障害程度による利用制限を行わないようにすると提言した。こうした見直しを行うこと自体は私たちも一定の評価をするところであるが、あくまでも障害者自立支援法の枠内で見直すということであり、応益負担制度や障害程度区分の廃止をしようという考えはないようである。

米国カリフォルニア州では、2~3歳で障害があると分かった時点でケアマネジャーが本人、その家族、医師、ケースワーカーとで相談して本人のライフステージ、発達に応じた個別支援計画を作成して適切な支援を行う。こうしたやり方こそ、一人ひとりに合った自立支援ができるのではないだろうか。なるほどこうしたやり方はお金と手間隙をかけなければできない。

しかし人間の命は道路、戦闘機、イージス艦より重いのではないだろうか?障害者自立支援法は障害福祉予算の削減が目的であり、障害者のことを考えたものとは到底思えない。医療、年金、その他社会保障給付費が国内総生産(GDP)に占める割合は日本16%、アメリカ16.5%、イギリス22.5%、ドイツ28.2%、フランス29.3%、スウェーデン33.1%であり、アメリカと同水準、フランスや北欧諸国の3分の2弱の水準である。

日本における障害者の認定数(人口比)は他の先進国に比べて非常に少なく、政府の対策費も極めて低水準である。01年のGDPに占める障害関連経費の割合は0.66%である。アメリカの半分、ドイツの5分の1、スウェーデンの9分の1に過ぎない。西欧の福祉関係者から「福祉の体をなしていない」と批判されているのが障害者に対するサービスである(地球市民ジャーナリスト工房代表早房長治)。財源不足を声高に言う前にわが国の税金の使い方、予算配分を再検討すべきではないだろうか。障害者をはじめお年寄りや社会的弱者に公費負担(税金)をして、人間らしい暮らしを保障すべきである。

障害程度区分のような狭い固定的なもので人間をランク付けし、ラベリングすることで障害者を支援することは絶対不可能であり、間違いである。障害程度区分は言わば、できる、できないという能力調査で人間そのものの区分であり、障害者にこのようなことをする思想は一般の国民にも同様に適用され、ますます格差社会に拍車がかかるのではないだろうか。障害があるなしに関わらず、支援が必要な人は必要な支援を受けられる社会福祉制度を確立するべきである。

(ゆきとおる 全国知的障害者施設家族会連合会会長)