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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年5月号

人を生かす支援を望みます

中王子みのり

私は視覚障害と下肢障害をもっています。地域で一人暮らしをしています。週2回のホームヘルプサービスと、月によって回数は異なりますが、移動支援を利用させていただいています。

5年ほど前までは視覚障害だけでしたので、当たり前のように一人で外出をし、自分で調理をしていました。今振り返ると、あの頃の自由奔放な生活が夢のようです。法律によって生活が狭められるあるいは、制限されてしまうなんて想像もしていませんでした。特に、出かけることが好きな私にとって、自立支援法の中に位置づけられている移動支援によって制限されてしまうことはとても悔しいです。

声を大にして改正をお願いしたいのは、通勤・通学に移動支援が使えるようになることです。自立支援法が施行されたばかりの頃、毎日移動支援をお願いしたいとヘルパー派遣事業所に申し出たことがありますが、「それは通勤のためですか?社会活動参加でしか私たちは動けないんですよ」と言われたことがあります。たとえ社会活動であったとしても、毎日の移動支援によって私がお金を得ることにつながるのであれば、それは「通勤」ということになるであろう、たとえ社会活動参加と記録したとしても、毎日となると社会活動ではないのではないかと言われかねないとのことでした。

だれでも自立するにはお金が必要です。そのお金を自ら稼ぎたいと思って移動支援を利用することは理屈にかなわないことでしょうか? 自立を支援するための法律だというならば、自力で移動できない者が、通勤で移動支援が使えないのは矛盾してはいないでしょうか。また、就労に向けて学校へ行くことや訓練を受けることも、立派な自立支援ではないでしょうか。

ホームヘルプサービスも移動支援サービスも、人の心と人の手によってなされるものです。ところがこれらのサービスに関わる人材が不足していて、サービスを断念せざるを得ない実態があります。利用者の要望は多いけれど、ヘルパーさんが足りなくて、結局一人のヘルパーさんが限られた時間の中で何人もの利用者宅を訪問し、移動支援(移動介助)をすることになるのです。

労働に見合うだけの報酬が得られないという理由で、なかなか人材が集まらない、人材を育成し終えるまでに至らない。これらは障害者の生活にも多大な影響を及ぼすのです。

過酷な労働の上に私の生活は成り立っていると思うと、感謝の念に堪えません。法律の見直しとともに、福祉労働を担う人材の確保と人材育成も、改めて考えていただきたいと思います。

(なかおうじみのり 浜松市在住)