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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年7月号

列島縦断ネットワーキング【新潟】

誰もが安心して暮らせるまちづくりを目指して
~ネットワークの報告~

篠田隆
山内俊博

自立生活センター新潟の取り組み

2004年7月に三条市で水害が起こった時に自立生活センター新潟ができた支援といえば、救援物資を送ること、街頭でカンパを募り、義援金を三条市のボランティアグループ「地域助け合いネットワーク」に送ることくらいだった。

そして、2004年10月にあの大きな新潟県中越地震が発生した。自立生活センター新潟はちょうど運動体から事業体へという移行時期で、事業所を運営していたのでボランティアとして駆けつけることもその体制もできていなかった。自立生活センターという名称から全国から問い合わせをいただき、マスコミからも障がい者の支援にどう取り組むのかという取材もあった。被災者への支援というよりも、外部との連絡調整を丁寧にしなければならない課題が起こっていた。急きょ、職員でボランティア意識の高い人が夜遅くまで事務所に張り付き、電話やメールの対応に追われた。

自立生活センターではホームページ上で掲示板を作成し、情報発信をはじめセンターの利用者および中越の障がい者の安否確認をするとともに、他のボランティア団体と連携して、寄付金の窓口を明確にして、支援体制を模索しながら整え始めたが、後手後手の対応だったことは否めなかった。

その時、私たちのセンターの嘱託医が一人で行動を起こしていた。この方は県の職員として長く勤務医をされていた頃に支援した障がい当事者(中越に戻っている人)の住所を把握していて、独自のネットワークで一人ひとり戸別訪問をしていた。また、キリスト教関係のボランティアグループとの関わりも深く、災害時当初から精力的に支援に当たっていた。

自立生活センターとして歯がゆい思いをしていたが、東京のボランティアステーション、NPO法人ゆめ風基金などから支援の申し出があって、他の団体と協力してようやく中越地震で被災された方たちへの支援ができるようになった(詳細は本誌2005年7月号参照)。

しかし、中越地震の当事者、さらには中越沖地震の当事者の本音の多くは、どこから来たのかわからないボランティアよりも行政や自衛隊の支援の方が信用できる。家が壊れたことによる盗難が心配で、家の片づけは自分たちでやるから、弱っている人を助けてくれるボランティアの関わりがありがたいという意見もあった。

災害が起きたときに限らず、地域で障がいをもった人が安心して暮らすために自分たちでできることから始めたい。それが、ネットワークづくりだった。自立生活センターを作りたいという新発田の障がい者とも連携し、自立生活セミナーなどの協力もするようになった。

にいがた自立生活研究会では新潟県中越地震の復興シンポジウムを企画した。県の障がい福祉課長、シンポジストに被災された当事者(精神・知的・身体)、フロアから新潟県弁護士会で障がい者の支援を積極的にされている弁護士(社会福祉士の資格所持)などが参加して実践報告が行われた。(報告集:定価600円・にいがた自立生活研究会)このシンポジウムが、新潟県内の関係団体とネットワークを作るきっかけとなった。

復興シンポジウムを通したネットワークづくり

ゆめ風基金との共催で、2007年復興シンポジウムの開催に向け準備していた矢先、2007年7月に中越沖地震が発生した。多くの被災者が再び苦しんでいることに心を痛め、何としてもこのシンポジウムを成功させなければならないという気持ちが再燃した。

ゆめ風基金は阪神淡路大震災の後、被災した障がい者を支援することを目的に発足した団体で、新潟でも三条市の水害や中越地震、中越沖地震などで被災した障がい者の支援を行ってきた。また防災提言集を発行するなど、障がい者の立場に立ったさまざまな支援をしている。

障がい者復興シンポジウム実行委員会のメンバーは、私のような障がい者をはじめ、支援している団体職員、中越で復興に関わっている市民団体の職員、中越復興市民会議そして魚沼市議会議員などで構成されて、2007年3月から準備をしてきた。

中越沖地震では窓口をしっかりと整理し、寄付金の申し出についてはゆめ風基金を紹介し、現地の支援については、ネットワークで知り合ったNPO法人りとるらいふや新潟県福祉移動サービスネットワークなどと連携し、ゆめ風基金からの義援金を被災者に届けることができた。

二度の地震体験を生かして

中越地震から間もなく3年が経ち、障がい者を取り巻く環境は震災前の状況にだいぶ戻ったのではないかと思う。しかし、いくら生活が戻ったと言っても障がい者に対する対策がほとんどとられていない状況で、今も安心して暮らすことができないのであればそれは復興したとは言わないと思う。

二度の災害の経験を生かし、たとえ障がいがあっても安心して、自立した生活を送れるような地域にしていってこそ、本当の意味での復興であると思うし、そのためにも、障がい者がどんどん声を出していることがとても重要だと考えている。

具体的には、私たち脊髄損傷者にとっては、トイレやお風呂など中越地震の際は非常に不便であったことが挙げられる。阪神大震災の時と決定的に違うのは、ここが豪雪地帯であって車いすのスロープがあったとしても雪が降り、屋根がない場合は利用できない。ところが仮設住宅には屋根がなかった。

シンポジウム実行委員のメンバーである十日町の支援センター「あんしん」によれば、無認可作業所は地域で暮らす障がいのある人の就労、出会い、交流の場として非常に大事な場所であるが、作業所に対する公的な制度がなかったという問題を指摘している。

また視聴覚障がい者の安全確保ということと、避難所での生活の不便さ(情報が届かないことによる集団の中での孤独感)も聞き取り調査をすることによって表面化した。

県とも連携しながら

新潟県は、中越地震から復興するために復興ビジョンを2005年3月1日に作り、復興計画を毎年見直している。その中で災害時要援護者をどうするかという問題が存在するのだが、このビジョンをどのように具体化していくかが今後求められる。にいがた自立生活研究会主催のシンポジウムで、「自助・共助・公助をしていきましょう」との新潟県障がい福祉課課長の発言に対し、「自助・共助は十分やっているのだから、公助をもっとしっかりやってほしい」という本音の発言がフロアからあった。そして、今回の中越沖地震では新潟県は迅速に動いた。仮設トイレの設置が遅れたが、行政だけに頼ることにはやはり限界がある。

公助があって自助・共助が頑張れる。これからも、私たちがネットワークを作り、みんなで問題意識を持ち、それぞれが声を出す仕組みを考えていかなければならないと感じている。

今回主催したシンポジウム(財団法人新潟県中越大震災復興基金の協力)を通して問題意識を持った人に多く出会うことができた。この機会を大切にして、さらにネットワークを広げて、誰もが安心して暮らせるまちづくりとは、地域づくりとは何かということを魚沼を中心として発信し、一緒に提言していきたいと思う。

(しのだたかし NPO法人自立生活センター新潟理事、やまうちとしひろ 障がい者復興シンポジウム実行委員長(自立生活センター新潟運営委員))

・自立生活センター新潟(http://www.info-niigata.or.jp)

・ボランティアステーション(http://www.vstation.gr.jp/index_2.html

・NPO法人 ゆめ風基金(http://homepage3.nifty.com/yumekaze/

・にいがた自立生活研究会(http://blog.canpan.info/sail_niigata/profile

・中越復興市民会議(http://www.cf-network.jp/

・NPO法人支援センター「あんしん」(http://www.npo-ansin.jp/

・NPO法人地域助け合いネットワーク(http://www.soho-net.ne.jp/~tasukeai/

・NPO法人 りとるらいふ(http://www.little-life.net/index.html)

・新潟県福祉移動サービスネットワーク(http://blog.canpan.info/niigataidounet/