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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年7月号

ひろがれ! APネットワーク

ネパールでハングリー精神とパワーを学ぶ

沖田大

貧しいという印象の国

ネパールは北海道の約2倍の面積で、人口は2,589万人。多民族国家で、ヒンズー教と仏教の信仰が篤く、大半が農業を営んで生計を立てている。日本と比べると大変貧しい国で、問題も多い。まず一つに電気がない。水力発電で国のほとんどの電力を賄ってはいるが、インドが発電施設を建てたため、50年間電力の75%をインドに売却し続けなければならない。しかも、雨季と乾季があって、乾季にはほとんど雨が降らず、ダムにも水が少なくなるので大量の電気をつくることができなくなる。そのため1日4時間の停電が2回ある。

もう一つは燃料の高騰と陸路のみの運搬で、安定して物が入ってこない。カトマンズは山に囲まれた街で、大型の車が通れる道が一つしかない。その道沿いの町でバンダ(街ぐるみのストライキ)などがあると、交通が遮断されて、家庭用のプロパンガスや車の燃料、インドから輸入している品物などが入ってこない。ちょうど私が行った時期は、法律を決める選挙が近いということで、各地でデモやストライキなどがあって治安が悪化、しばしば交通が遮断されていた。他に、障害者やカースト制度の差別があったりと、日本ではあまり考えられないことが、普通に起こっている。

クリシュナ氏とCILカトマンズ

ネパールでは障害者に対するサービスや補助などはほとんど無く、障害が重度になればなるほど貧乏で不自由な生活を送っている。医療制度も無く、医療と関係のある障害者は長く生きられないのがこちらの現状だ。

4年前、そんなところから一人の障害をもった青年がダスキン・アジア太平洋障害者リーダー研修生の一人として日本にやってきた。名前はクリシュナ・ゴータム。彼は日本でいろいろな研修を経て、「ネパールを障害者も住みやすい所に変えてやる」と、大きな志をもって自国でCILカトマンズを立ち上げた。

CILカトマンズは、10畳くらいのオフィスの他に1LDKのILルームがある。スタッフは障害者が6人で健常者は2人、パートの障害者は3人で健常者は2人。常に、政府や他団体に障害者の権利や自立を訴えかける行動を活動の中心としている、個性のある志の強いメンバーたちである。運営は日本のCILからの支援や、障害者に関するさまざまなプログラムを作ってそのお金を政府から助成してもらっている。

ネパールに滞在した理由

さて、私がなぜネパールで生活していたかというと、一言で言ってしまうと「修行」である。アジアの障害者リーダーの中で、日本で勉強して自国へ帰ってCILを立ち上げた人たちが何人かいる。その熱い志を持った人たちが昨年、ネットワークを作った。名付けて「アジア志ネットワーク」。その最初の活動として、ネパールのハングリー精神を学び自分の持ちネタを増やすため、2か月間、ネパールで現地の介助を使いながら生活することにしたのである。

私の生活拠点はCILカトマンズのILルーム、言葉は通じにくいが24時間の介助を受け、私の他に数家族が住んでいる雑居ビルである。セキュリティーの問題があって夜8時の門限、電気やガスは無く、給湯システムも普及していないので、4日に1回のホテルでの入浴。何だか昔に入っていた入所施設の生活みたいだった。しかも、停電の時間になるとやることが全くない。ネパールは夜と昼との寒暖の差が激しい(最低5度・最高20度)ので、夜は布団(寝袋)にくるまって寝るしかない。こちらの人たちは夜早く寝て、朝早く起きるという生活習慣なので、夜の停電はあまり関係がないし、もともと暖房器具は高級品で一般には普及してないし、またこの気候に慣れているのであまり厳しいとは思っていないようだった。そんな生活をしながら私は障害者団体のデモやILセミナーに参加していた。

過激なデモに参加

デモは、ネパールの法律を作る人を決めるための選挙人の中に、障害者や身分の低いカーストの人の名前が無かったことにより起こった。朝、CILカトマンズのミーティングで、これは抗議すべきだと全員の意見が一致して、各障害者団体や関わりのある障害者宅に連絡しあい、昼過ぎには首相官邸前に数人の障害者が集まりはじめた。

初めは数人で「総理に会わせろ」「障害者にも権利を」などのシュプレヒコールを上げたが反応がほとんどなく、今度は首相官邸の外周を歩きながら声を出した。時間が経つにつれて、障害者も警察官も徐々に増えてきた。十数人の障害者を同じ数の警察官が取り囲んで一緒に歩いている状態。官邸内に入るための数か所ある門の中で、大きな道路に面している一番出入りのありそうな所に陣取って、休憩しながら声を上げていた。

そのうち山岳地帯から来たという、低いカーストの集団が十数人で現れて、警官隊に阻まれながら交通量の多い官邸前の道路に「首相に会うまでは動かんぞ」と座り込んでしまった。彼らも私たちと同じ理由で、バスで8時間かけてここに来たようだ。道路が遮断されてしまいみるみるうちに渋滞ができて、クラクションや人の声で騒がしくなった。私たちを囲んでいた警官では間に合わず、すぐにトラックに乗って十数人の警官が駆けつけた。抵抗をしながら座り込んでいた結果、数人が偉い人との面会を許されたようだ。

そんな中、障害者集団は着実に仲間を増やしていき、最後はバスまで借りて、障害者を集めてきた。最終的には約50~60人くらい集まって、先に座り込んでいた人たちがしたように、首相官邸前の道を遮断して交通渋滞をひき起こしたり、警官隊と押し合いや掴み合いになったりしながら、暗くなるまで抵抗を続けた。

こんな過激なデモは私は初めての経験で、圧倒されながらすごいパワーを感じた。ちなみにネパールでは毎日のように各地でデモが行われていて、選挙の近い時期は、特に各党派や学生などが起こす過激なデモがカトマンズでも頻繁に行われているようだ。

デモの危険レベルは大きく3段階あって、警官の服の色で判断できる。一番低いのは青の迷彩(警察)だが、デモが過激化すると青と緑の混合迷彩(機動隊)、そして危険度が一番高い緑の迷彩(軍隊)と変わっていく。デモがあまりに激しくなり過ぎると、発砲もあるようで私が滞在していた期間中も何人かが亡くなっていた。今回のデモは2番目に危険度の高い青と緑の混合迷彩が出てきたが、防弾チョッキと大きな銃を持っていた。テレビや新聞記者も取材にきて、その日のニュースと朝の新聞に載った。

この日のデモは、最後にCILカトマンズのメンバーが政府の役人と話をして、要望書を総理に渡すという約束をとりつけて解散となった。こういったデモを数日間続けたがあまり反応がなく、最後はそのまま押し切られた感じで終わってしまった。

ネパールの障害者から刺激を受けて

ILセミナーは、ネパールの各地でCILをこれから作ろうとしている障害者、パキスタンからシャフィック氏とアクマル氏、日本からメインストリーム、夢宙、ぱぁとなぁのメンバーの計40人くらいが集まって3日間行われた。ネパールでは今後、6か所のCILが誕生する予定だがすでに2か所はできていて、少しずつ活動を始めているようだ。

滞在中に、私は各地のILセミナーに参加したり、新しいCILの立ち上げ式に出席したり、休みには象に乗ったりと、日本ではあまり経験できないことを週代わりで経験した。

この修行の収穫は、ネパールの障害者のハングリー精神とパワーを強く感じたことだ。日本ではあまり経験できないことやデモに実際に参加したりしたことが本当によかったし、お蔭で私の持ちネタも増えた。

クリシュナ氏の活動のお蔭でネパールの障害者の自立の考えは、急速に広がっている。一般の人々から障害者は自立できないと言われても、他の障害者団体が援助される資金を巡って妨害しようとも、CILカトマンズのメンバーは、あきらめることなく、自らがモデルとなって、セミナーなどのプログラムを行って、確実にILの考えを広げていっている。

(おきただい メインストリーム協会)