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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年9月号

1000字提言

知的障がい者の自立生活に対する支援
~知的当事者の自立生活支援は幼い頃から~

岩橋誠治

たこの木クラブを介して自立生活を始めた知的当事者たちは、皆幼い頃から関わりがある人たちで、20年以上の付き合いがある人たちも多い。

コミュニケーションに困難さを抱えている知的当事者にとっては、自らが想いを語ろうとしても言葉ではなく行動で示したりする場面が多い。時に反社会的な行動を取る人もいるのだが、幼い頃を知る人が多ければ多いほど、理解できない当事者の表現もそれなりに受け止めることができる。

また、子どもの頃から地域の中で過ごしてきたため、皆街の有名人で、街を歩く当事者のことを知る人たちが多い。そのことで支えられるものは計り知れない。中には、市役所のロビーや廊下を居場所として、定期的に通う当事者がいて、当初は「迷惑」と言われていたが、長年通い続けることで、「今日は調子いいね~」「今日は落ち着かないね~」と当事者の日々の様子を自然な形で見守る職員が現れたりする。

また、自立生活を始めた知的当事者のヘルパー時間の交渉をする際も、福祉部の職員がその当事者と学童クラブや児童館でやり取りした経験があったりすると、当事者の支援の必要性を自然に受け止められたりもする。さらに、幼い頃普通学級で共に育った友人たちの中で、大人になってからヘルパーとなる者も現れ、「同級生」という関係で支援に入る人も現れてきた。「障がい者の自立生活」と言えば「親元からの独立」というその時の課題のように受け止められる。しかし、知的当事者であっても私たち同様、幼い頃から地域の中でさまざまな経験や人との関わりを経て大人になり、その延長線上に「自立生活」を営んでいる。

幼い頃に訓練等で自らの能力を身に付けるというのは必要なことかもしれないが、訓練するために友達関係を犠牲にし、学校も養護学校で分けられ、「いざ自立生活」となった時に、だれが支援できるのだろうか?身体当事者ならばそれでも自らの意思を周囲に伝えることはできる。しかし、自らの想いを語り支援の必要性を自ら語ることが困難な当事者にとっては、周囲(地域)の理解者をいかに増やすかという点が自立生活を始めるにあって大きな事柄となってくる。

昨今の自立支援法の下国は、「インフォーマルな支援も含めた支援」をうたう。しかし、インフォーマルな支援とはどのように造られるのだろうか?幼い頃から地域の中で「共に育つ」その延長線上に、個々の当事者の自立生活があると思う。もし、「自立生活」という事柄だけを取り出し知的当事者の支援をするならば、「地域内入所施設」的なものになってしまうように思う。

(いわはしせいじ たこの木クラブ)