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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年1月号

わがまちの障害福祉計画 茨城県東海村

茨城県東海村長 村上達也氏に聞く
人的交流が生む効果で生き生きと暮らせるまちづくり

聞き手:馬場清(浦和大学准教授)


茨城県東海村基礎データ

◆面積:37.48平方キロメートル
◆人口:36,868人(平成20年12月1日現在)
◆障害者の状況:(平成20年3月31日現在)
身体障害者手帳所持者 937人
(知的障害者)療育手帳所持者 161人
精神障害者保健福祉手帳所持者 90人
◆東海村の概況:
東海村は、県都水戸市から東北へ約15kmに位置する、水と緑の豊かな村。また、日本の原子力研究発祥の地として原子力事業所が数多く立地している最先端の科学の村として有名。現在、世界最大級の大強度陽子加速器施設「J-PARC」の整備が進んでいる。平成17年に発足50周年を迎えた。地区委員会の発足や地区社会福祉協議会の設立など、住民が地域の課題に協力して取り組むための仕組みづくりを進めており、「東海村第4次総合計画後期基本計画」に基づき、「人・自然・文化が響きあうまち」の実現を目指している。
◆問い合わせ:
東海村福祉部介護福祉課
〒319―1192 茨城県那珂郡東海村東海3―7―1
TEL:029―282―1711(代) FAX:029―282―8919

▼東海村の魅力、特色を教えてください。

東海村というと原子力の村というイメージがあると思います。もちろんそのことで経済的な恩恵を受けることもあるのですが、そうした環境を生かして、東海村ならではの文化を築いてきているという点で特色があります。

具体的には外からいろいろな人が入ってくるということです。昨年、大強度陽子加速器施設「J-PARC」がオープンしましたが、そのことで、さまざまな研究者だけでなく、外国人の方もこの東海村にやってきます。もともと東海村に住んでいる人と外からやってきた人がうまく溶け合って新しい文化を創り出しているまち、それが東海村の魅力です。

▼障害者施策を行う上での村上村長の基本的な考え方、哲学をお聞かせください。

障害があろうがなかろうが、まずは基本的人権が尊重されること。これがまず根本にあります。その上で、憲法12条にいう「個人の尊厳」が守られること。そのためにどうしたらいいのかを常に考えています。

たとえば以前、ダウン症の子どもが普通学校に通いたいということがありました。障害があっても普通の学校で学びたいというのは、当たり前のことです。教育を受ける権利は、憲法で保障されています。その子は気管切開もしていたので、医療的ケアが必要でした。そこで小学校に看護師を配置して、その子の想いをかなえました。ところがそのことが、結果的にすばらしい教育効果を生み出したのです。周りの子どもたちが、障害を理解し、障害のある子と対等につきあうことを、体験的に学んだのです。

▼そうした哲学に基づいた、具体的な障害者施策についてお聞かせください。

平成18年に、県内で初めて「デマンドタクシー・あいのりくん」を運行させました。それまでは福祉バスを2路線運行していたのですが、あまり利用されていませんでした。停留所まで遠かったり、運行本数が限られていたからです。そこで福島県小高町の例を参考にして、いつでもどこでもドアツードアで、しかも低料金で利用できる交通システムを導入しました。これが好評で、今では1日に150~200人程度の利用があります。総合福祉センターに行くとか、役場に行くというだけでなく、買い物にも利用されています。村内であればいつでもどこでも行くことができます。料金は、1回200円です。収支だけをとらえると大きな赤字ですが、このタクシーがあることによって、障害のある方や高齢者が外出し、元気になれば、介護予防にもつながり、また生き生きと自分らしく生きることができることを考えれば、お金には換えられないほど計り知れない効果があります。

▼その他にも、特色ある事業はありますか。

総合福祉センター「絆」は、高齢者センター、障害者センター、児童センター、保健センター、地域福祉センターからなる複合施設で、事業運営は社協に委託しています。こういう大きな施設をつくると、得てして箱物だけで、中は閑古鳥が鳴いているということがままあるのですが、このセンターは、数多くの村民が利用しています。館内にある喫茶店はNPO法人「まつぼっくり」が運営し、知的障害のある方が働いていますし、時間帯によっては、NPO法人「ドリームたんぽぽ」がパンの販売もしています。こうした喫茶店は障害のある人の就労の場として、他の公共施設にも拡大していこうと思っています。そのことで、村民との交流が深まっていけばいいと思います。

▼確かに今日見学させていただいたときにも、平日の昼間にもかかわらず、多くの子どもや母親が利用していました。そしてかたや入浴やカラオケ、陶芸、ゲートボールを楽しむ高齢者がいると思えば、コンサートに備えて障害のある人が音楽演奏の練習をしていたり、喫茶コーナーでは知的に障害のある方がコーヒーをいれているなど、いろいろな方が思い思いに楽しく過ごしているという印象を持ちました。まさに総合的な機能を果たしているということですね。

さまざまな方が同じ場所にいることで、思わぬ効果も生み出しています。たとえば、お年寄りにとっては、子どもたちが元気いっぱい遊んでいる姿を見るだけでも、元気が出てくることがあります。また以前障害者センターに通所している人たちの楽団「ポコ・ア・ポコ」が、センター内でコンサートをやったときには、多くの高齢者が聞きに来てくださいましたし、子どもたちも興味を持ってくれて、大盛況となりました。意識的に交流のイベントをやっているわけではないのですが、いろいろな人が集っていることで、当たり前に交流がされているという点がいいと思います。

▼なごみ東海村総合支援センターはどうですか。

こちらにも地域包括支援センター、地域生活支援センター、発達支援センターの3つの機能があり、高齢者、障害者、障害児を対象とした相談支援等を行っています。こうしたいろいろな機能が1か所に集中していることで、さまざまな連携がとれ、利用者にとっても職員にとってもいい面があると考えています。

たとえば発達支援センターは教育委員会が運営しているのですが、同じ館内に福祉職もいるので、教育と福祉の連携がとれるという利点があります。

また小学部から高等部までの障害のある子どもたちが放課後を過ごす場所もあります。働く親にとって、自分の子どもに障害があるからというだけで働けないという状況は、やはりおかしいわけです。そこで学童保育にあたるこの仕組みを設け、送迎も行うことで、働く親たちのニーズに応えています。特別支援学校のバスもこのセンターの前に止まるようにするなど、さまざまな工夫を凝らした結果、最初は利用者が少なかったのですが、今では定員を超える利用者が来てくれています。

またこのセンターは、不登校の子どもたちの相談も受け入れているため、不登校の子どもたちがこのセンターに来所し、さまざまな障害のある他の子どもたちや高齢者と接する機会を得ることができれば、これもまた思わぬ効果を生む可能性があります。

こうした施策を通じて、この近辺では東海村は子育てのしやすい地域というイメージが定着しており、子どもが今でも増えています。

▼今年度は第2期障害福祉計画の策定年度でもあります。策定状況と今後の障害者施策の課題についてお聞かせください。

策定委員会を立ち上げ、現在策定作業を進めています。策定委員会は14人の委員のうち、4人は障害当事者、5人は障害のある人の家族に参加していただいています。

今後の課題としては、まず自立支援協議会の設置があります。これも単に協議会を作ればいいというだけでなく、実質が伴った組織にしようと考えています。たとえば障害のある方の地域移行を考えたときに、さまざまな職種が横断的に協力できるようにするために、指導助言ができるような機関になっていければいいと思っています。

また東海村ということでは、要援護者に関わる防災計画もしっかりと考えなくてはなりません。毎年原子力防災訓練を行っていますが、地区社協単位での情報収集も進んでいます。ただし支援体制が整っているかというと、まだまだ不十分なところもあります。また課題として残っているのは、精神障害者の方についての情報収集です。どうしてもご本人や家族が、周りに知られたくないという想いが強く、情報の共有が進んでいません。ただし現在社協が中心になって、「みまもろう」という地域生活支援システムのソフトを開発しているので、これを利用しながら、今後は要援護者の防災についてさらに実効性のあるものにしていければと考えています。

▼今後、東海村の「まちづくり」の目標は、どんなことでしょうか。

まだまだバリアフリーが徹底していないのが現状です。ハード面でのバリアは言わずもがな、心のバリアはまだ残っています。たとえば日本人と外国人のバリア、男性と女性のバリア、障害者と健常者のバリア、地方と都市のバリアなどです。こうしたバリアを取り除いていくことが「まちづくり」の基本だと考えています。具体的には、たとえば男女共同参画推進委員会の委員長はオーストラリア人の女性がやっています。教育委員長も女性ですし、また村の採用も男女同数が原則です。こうして多様な人が参加して、福祉のまちづくりができていけばと思っています。


(インタビューを終えて)

「個人の尊厳を守る」という哲学に裏付けされたさまざまな施策は、まさに「すべての人がその人らしく生きる」という福祉の目標を実現するべく、一歩一歩確実にその成果をあげているようでした。特に社会福祉協議会を中心としたさまざまな機関が、協力連携を図りながら、時に新しいアイディアを出し、ハード面だけでなくソフト面でも「日本一の福祉村」を目指して歩み続けている地域、そんな印象を持ちました。