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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年1月号

ワールドナウ

ダウン症の子のダンス教室
―ボストン・バレエスクール訪問記

細田満和子

アダプティブ・ダンス・プログラム

躍動感にあふれる統一された動き、真剣で生き生きとした子どもたちのまなざし。世界的に有名なボストン・バレエスクールの、ガラス張りのスタジオで繰り広げられるレッスン風景は見るものを魅了する。ダンスをしているのは、アダプティブ・ダンス・プログラムに参加しているダウン症の子どもたち12人(男3人、女9人)。年齢は13歳から19歳、ダンス歴は6年だ。

講師のジーノは、長きにわたってダンサーとして活躍した後、ボストン・バレエスクールで振付師として活躍しながら、指導にも当たっているベテランだ。このダンス・プログラムを始めたボストン子ども病院の理学療法士ミケーラは、ジーノのレッスンを「創造的で構成的」という。

アダプティブ・ダンスのレッスンは、毎週土曜日の午前中に4クラスある。8時から9時までの上級者と中級者のクラスと、9時から10時までの初心者と初級者のクラスである。まず、8時から始まる、ダンス歴6年の上級者コースの12人の子どもたちが集まるクラスを見学させていただき、冒頭で示したよう、そのすごさに圧倒された。

上級者クラスのレッスン風景

はじめはストレッチを兼ねた緩やかな動き。12人の子どもたち一人ひとりにいすが与えられ、そのいすを使いながら、いっせいに手足を曲げたり伸ばしたりの練習が行われる。この間、子どもたちの動きはスクール専属の伴奏家、マイクの打楽器の演奏と呼応している。動きが合わない子がいると、「まだ頭が眠っているのかい?」というジーノの声がかかる。

次には、みんなで縦一列に並んで、手を横に広げて、一人ひとり交互に横に飛び出してはまた戻る、という練習をした。まるでラインダンスのような動きで、なかなかうまくタイミングが合わない子もいるが、みんな微笑みながら温かく見守っていた。

やがて、全員が鏡に向かって立った。ジーノが一歩前に出て、お手本の動きをする。すると子どもたちも全員、同じ動きを真似する。次は子どもたちの番だ。このときを待っていましたとばかりに、ある男の子はブレイクダンスのような動き、ある女の子はエレガントなバレエの動き、またある女の子はヒップ・ホップ調のダンスを順番に披露し、それぞれ全員で踊った。時間が8時40分を過ぎるころ、子どもたちみんなの息が上がってきた。

次は12人が縦に2列に並び、2人ずつ組になって手をあげて橋を作った。その橋の下を、最後列の2人が手を組んで走り抜けてゆく。この移動は、またもや打楽器の音楽に合わせたスピード感のあるもの。もたもたしている暇は無い。ただし、ちょっと出遅れたり、足がもつれた子がいても、周りの子どもたちは、声を掛けたり、こっちにおいでというように手招きしたりしている。その様子をジーノは満足そうに見守っている。

そして最後は、手で作った橋の下を、自分たちで考えた振り付けで踊りながらくぐってゆく。どんな動きをすれば分からないで、立ち止まって考え込んでしまう子がいると、ジーノは「自分で決めなさい。もう君たちは大きいのだから」といって励ます。みんなで統一した動きをしないと橋は崩れてしまうし、それと同時に自分で考えた動きをしないと橋の下を通り抜けられない。「創造的で構成的」であることは至難の業なのだ。子どもたちはみんな真剣なまなざしで、取り組んでいる。ジーノが何も言わなくても一巡できたところで、ちょうどレッスンの終了時刻になった。

激しい呼吸を沈める間もなく、子どもたちとジーノが抱擁を交わす。よくやった。ありがとう。スタジオの隅に一部ガラス張りになっている箇所があるが、そこでは親たちが、満足そうに子どもたちとジーノに拍手を送っていた。

子ども病院とバレエスクールの連携

そもそもこのバレエスクール見学を誘ってくれたのは、アダプティブ・ダンス・プログラムを立ち上げたボストン子ども病院の理学療法士ミケーラだった。彼女は、いわゆる治療としてのダンス・セラピーとは全く異なるコンセプトで、ダウン症の子どもたちが楽しくダンスを学べる場を作りたかったという。ダウン症の子どもたちは、「セラピュータイズ(治療化)」されていて、何でもかんでもセラピー漬けになっている。だから、治療とは違う場を提供したかった、というのだ。そこでバレエの名門、ボストン・バレエスクールに協力を申し出た。

ボストン・バレエスクールのほうも、コミュニティ活動に積極的に取り組んでいた。その活動は「シティダンス!」と名づけられていて、ボストンの公立学校に出向き、そこに通う子どもたちにダンスやムーブメントの体験を行ったり、奨学金制度を設けて子どもたちがバレエスクールに通えるための援助を行ったりしていた。ミケーラからの要請に応えて、バレエスクールはコミュニティ活動の一環として、ダウン症の子どもたちのアダプティブ・ダンスをプログラムとして立ち上げたのだ。ジーノは、この「シティダンス!」活動の主任担当者でもある。

レッスンの実施に当たっては、毎回ボストン子ども病院の理学療法士3、4人が来て子どもたちの出欠状況を確認し、それぞれのクラスに入ってダンス講師のサポートをしている。上級者クラスは、ジーノ一人だけで十分クラスを運営できているが、初心者や初級者のクラスでは、子どもたちの面倒をみる人が必要なのだ。

見学させていただいて、レッスンで理学療法士は、完全にダンス講師のサブに徹していることが分かった。違うことをしていたり、よそ見したりしている子がいると、必ずダンス講師の指示したとおりのことをさせようと努める。ダンスを一緒にしようとしない子に対して、ダンス講師がタイムアウト(みんなから離れた場所で反省すること)の指示を出すと、理学療法士は、その子を部屋の隅に連れて行き、騒ぎ出すと廊下で待機している親を呼んで状況を収めようとする。その間ダンス講師は、他の子へのダンス指導に専念できるのだ。このように両者の役割分担がしっかりしていることは、協働において大事なことだと思われる。

試行錯誤の連続

9時から始まる初心者クラスは、前の上級者クラスとは違って、なかなか大変そうであった。子どもたちは、7歳から13歳までの7人(男5人、女2人)。このクラスのダンス講師はサラで、講師歴は4年である。2人のサブ(1人はダンス講師で、もう1人は理学療法士)が付いて、子どもたち2・3人ごとの面倒を見ていた。しかし、子どもたちはなかなか言うことを聞いてくれないし、思うとおりの動きはできない。

レッスンの後サラは「いつも試行錯誤の連続よ」と言っていた。ただ、ジーノもはじめは試行錯誤だったという。子どもたちはじっとしていないし、左右を同時に、あるいは交互に動かすということがどうしてもできない。そもそも右と左が分からない。ダンスをするという以前に、一緒に何かをするということができるのだろうか、という感じであった。

そこでジーノは、さまざまな工夫を編み出した。いすを使うというアイデアはとても有効だった。等間隔にいすを並べ、まずそこに子どもたちを座らせた。ふらふら歩き回らないようにさせるためだ。そうしてから手や足、首をみんなで一緒に動かすという練習をした。また、子どもたちは、色は分かるので、バレエシューズの右の甲に赤色のテープ、左の甲に青色のテープを貼って、左右の指示を子どもたちが分かるようにした。そのようにして6年の年月をかけ、上級者クラスの子どもたちのあの動きは培われてきたのだ。

1時間のレッスン時間は長い。集中力が切れてきた子どもたちを、サラは輪になって座らせた。そしてみんなに手をつながせ、こう言った。

「ここはダンス教室です。みんなでダンスします。私たちはチームなんだから。みんなで一緒にダンスをする!さあ、みんな言ってみて!」

「一緒にダンスする!一緒にダンスする!」

子どもたちみんなが大声でそう言うと、レッスンは再会された。

仲間作り

アダプティブ・ダンスは、結果としてダウン症の子どもたちが仲間を作れる場になった、とミケーラは言う。

「この頃のインクルージョン指向で、ダウン症の子は普通の子と交じって教育を受けていて、同じダウン症の子に会ったことがないのよ。高校生や大学生になれば、子どもたちは、ロックの好きな子、ジャズが好きな子、サッカーが好きな子、フットボールが好きな子、それぞれに自分の嗜好にあったグループを作っているでしょ。でも、ダウン症の子は、ダウン症同士で集まる機会を奪われている。

このダンス・プログラムで初めて自分とは別のダウン症の仲間に会ったという子もいるのよ。同じ仲間と共同作業することは、子どもたちにとって新鮮で、友達も作れる。親御さんも同じで、このダンス・プログラムを通して、同じダウン症の子を持つもの同士として連絡を取ることができたと喜んでいるわ」

青年期になると、この友達を作る、というのがダウン症の子にとって特に難しくなる。ボストン子ども病院の小児科医でアメリカ・ダウン症協会のスコトコー氏(妹がダウン症)も、小さい頃は簡単にできていた友達作りが、10代になるとなかなか難しくなることが多い。場合によっては、うつなどの問題が生じてくることもあるので、周りのサポートが大事だと言っていた。

障害による差別をなくすことを目指したインクルージョンが、区別をなくすことに熱中するあまり、障害をもつ人同士が集まる機会を奪うことになってしまったというのは皮肉なことだ。しかし、インクルージョンを否定するのではなく、インクルージョンを経た上で、同じ仲間と思える人たちが集まる機会を作り出すという、さらに新たな課題を克服してゆくことが重要だろう。

最後に、ダウン症の子どもたちを教えるという情熱はどこから湧いてくるのですか、とジーノに聞いてみた。「信頼と愛だよ。これは相互的なもので、僕は彼らからもらっているし、僕も彼らに与えている」。そう答えが返ってきた。

(ほそだみわこ ハーバード大学公衆衛生大学院研究員)