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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年2月号

障害者基本法の2009年改正の課題

佐藤久夫

日本障害者協議会(JD)では2008年10月、6政党に「障害者政策に関する質問書」を送り、その回答を「すべての人の社会」11月号とホームページで紹介しているが、そのうち4問は基本法改正についてのものである。その結果も紹介しながら、基本課題に絞って述べる。なおJDでの議論を踏まえてはいるが文責は筆者個人である。

1 障害(者)の定義

障害者の定義を見直し、「障害がすべての種類の機能障害に関連するもので、障害が態度及び環境の障壁との相互作用から生じるという観点を含めること」に、与野党とも賛成または異論はない。ただ与党はこの趣旨は現行定義や法全体にすでに反映されているともいう。

しかし腎臓や心臓の病気による障害は対象とし、肝臓や膵臓の病気による障害は除くなど、国民理解を得られないような実体法の不条理を解決する機能が基本法には求められている。さらに「環境との相互作用」を明記することによって市民の障害理解が大きく改善される。政府が国連で賛成し、今批准しようとしている権利条約の視点を国内法に採用する際の障壁はない。政府の障害者基本計画で呼びかけているICFの活用の一例でもある。

この関連で理念条項に、「障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである」(1980年、国連・国際障害者年行動計画第63項)を含めるべきである。国会・行政・民間ともに、障害者観・障害者理解がすべての基礎である。

2 障害当事者の参加

「障害者施策の策定にあたっては、障害当事者(団体)の参画が不可欠である旨を法律上明記すること」については、野党は賛成、与党は検討したいといった回答であった。

途上国を含め、今や障害当事者が「国の」障害者政策策定過程に参加することは通常のこととなった。日本の課題は、都道府県・市町村などの計画策定過程での参加、特に精神障害者・知的障害者の参加であり、当事者参加の努力義務を基本法で行政に課すべきであろう。その際どんな「合理的配慮」が必要か、研究開発が急がれる。その研究成果は国際的にも大きな貢献となろう。

すべての保健福祉サービス事業者に対して、利用者自治会の結成やその意見の尊重など、参加を法的義務としているオランダのような国がある。障害者団体が生き生きと活動し発言できるために、ほとんどの先進国では、国・自治体が多額の活動費助成を行っている。日本の障害者団体は(一部団体への下請的なサービス委託費を除けば)細々とした会費で活動している。少数者である障害者団体にリップサービスで済ませる日本と、少数者の社会的影響力を高めねばと財政援助を行う先進諸国との差が、対GDP比でみた障害関連支出の差となっている。障害者団体を税金で応援することがよい社会につながる。

3 実態調査

「障害者施策の策定とその評価は、一般国民との比較可能な障害者の生活実態調査を踏まえて行われるものとすることを法律上明記すること」については、野党は賛成、与党は検討したい、すでに調査はなされている、等の反応であった。

現状では、日本は権利条約第31条違反である可能性が高い。つまり調査対象を一部分に限り(そのため障害者は欧米の数分の1とされる)、かつ一般市民との比較不能である。データの不足・誤りが自立支援法の国会審議で深刻な問題とされたが、社会保障審議会部会でも検討すらされていない。

4 中障協の強化

イギリスやスウェーデンでも応益負担であるという国会での政府説明(2005年10月21日衆議院厚生労働委員会)は完全な誤りであるが、その背景には、極端に弱い情報収集分析能力のもとで障害者政策が作られている状況があり、この改善が急務である。中央障害者施策推進協議会の事務局体制・予算などを抜本的に改善する必要がある。

最近では、アメリカの大統領指名による全国障害者協議会(NCD)が、全国内法を権利条約と照合し、批准にあたって改正すべき点をリストアップしたが、こうした膨大な実務的作業こそが重要である。日本では障害者委員が多いものの、たまに開催されて政府案に若干の意見を言う程度のガス抜き機関に近い。

5 2004年改正で削除された項目の新たな復活を

2004年改正で、旧法第6条(自立への努力)と第24条(施策への配慮、いわゆる「親亡き後」対策)が削除された。趣旨は、障害者が特別な努力なしで一般市民としての努力で参加できる社会に、成人になれば支援責任は親から社会にバトンタッチしよう、であった。

しかし翌年、国会は自立支援法で従来以上に障害者の自助努力と自己負担を強調し、親の不安を強めた。2004年改正での単純な削除は誤りであり、今新しい条文が必要である。つまり、障害者がことさら努力しなくても通常の市民努力で社会参加できるべきであること、成人障害者の親は他の親がそうであるように、子に対する精神的情緒的支援以上の義務を持たず、支援の必要な成人への支援は社会全体の責任であり、まして親の死後の懸念を持つことがあってはならないことを、国と自治体の責務と規定すべきである。

(さとうひさお 日本障害者協議会(JD)理事・政策副委員長)