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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年4月号

わがまちの障害福祉計画 長野県阿智村

阿智村長 岡庭一雄氏に聞く
住民主体の地域づくりと夢のつばさ

聞き手:石川満(日本福祉大学教授、社会福祉学科長)


長野県阿智村基礎データ

◆面積:170.31平方キロメートル
◆人口:6,429人(平成21年3月1日現在)
◆障害者の状況:(平成21年3月1日現在)
身体障害者手帳所持者 493人
療育手帳所持者(知的) 46人
精神保健福祉手帳所持者 20人
◆阿智村の概況:
長野県下伊那郡の西南に位置し、西は中央アルプスの恵那山を境とする岐阜県木曽郡に接する農林業中心の中山間部。中央自動車道阿智PA、園原ICを有する。「阿智」の記述は古く平安初期編纂の「旧事本紀」に載る。南信州最大の温泉地「昼神温泉郷」、県歌「信濃の国」に歌われた「園原の里」、スキー場や高原リゾートとして賑わう「ヘブンス園原」や「治部坂(じぶざか)高原」など四季を通じて観光客で賑わう。名古屋市まで車で1時間強。平成21年3月末清内路村と合併。
◆問い合わせ先:
阿智村民生課
〒395―0303 長野県下伊那郡阿智村駒場483
TEL 0265―43―2220 FAX 0265―43―3940
HP http://www.vill.achi.nagano.jp/

▼阿智村は一言で言うと、どのような村ですか?

阿智村は昭和31年、3つの村が合併して阿智村となり、平成18年には浪合村と合併しました。人口6500人ほどの農山村ですが、伊那から名古屋に通じる国道153号が村内を縦断しています。江戸末期には緒方洪庵の適塾にて信州駒場(こまんば)村の「後藤玄哲」が蘭学と西洋医学を学んだという記録が残っています。後藤玄哲は福澤諭吉とも交流があったようです。古くから東山道(とうさんどう)の街道沿いなので時代の流れには敏感に反応し、文化的な影響も受けてきました。また、女子ソフトボール発祥の地として、埼玉県所沢市で全国大会が開催された時には、村の普通の奥さんたちがチームをつくって参加をし、ニュースにもなりました。

国鉄中津川トンネル発掘時に温泉が湧出しました。一個人、一企業が潤うのではなく、村人全体の幸せに使うべきではないかということで、温泉の権利を村に譲渡していただきました。遊興観光地とはせずにだれでも楽しめる健全な温泉地、昼神(ひるがみ)温泉郷として多くの方に来ていただいています。阿智村は私利私欲にとらわれずに「公」というのを大切にしてきた村です。

▼阿智村では平成13年に養護学校在学生の親たちが中心となって「通所施設を考える会」を発足させ、村と議会の理解を得て用地の確保と建築をしていただき、17年に知的障害者通所授産施設がオープンしました。その運営も保護者や関係者による社会福祉法人「夢のつばさ」が受託して、優れた取り組みをしています。これまでのさまざまな活動の展開には公民館が大きな役割を果たしてきました。村長はこのような阿智村の歴史について、どうお考えですか?

私は役場へ就職してまず公民館で社会教育の仕事につきました。長野県、特に下伊那の公民館運動は非常に盛んでして、中心を担っていた人たちは青年運動や大学で社会教育を学んでいた人たち(島田修一中央大学名誉教授も下伊那で公民館主事をしていた)でした。その中に私も飛び込み、公民館主事や社会教育の役割について議論してきました。住民の主体的に生きる力をどうつけるか、その引き出し役が公民館主事の役割だと考えています。

現在村長をさせていただいていますが、私は一貫して、住民の皆さんにどう主体的に人生を切り開いていただくか、それをどう支えるかがわれわれ行政の仕事だと考えています。公民館は地域のさまざまな課題を学習課題として、それを協働の力で解決していけるようにする役割を持っています。

住民の切実な生活課題に対して公民館が応えていこうとするならば、行政と衝突することもあり、社会教育の職員も配転させられたり、辛い思いもしますが、これはまさに社会福祉の現場と似ているわけです。私がご指導いただいた小川利夫先生は、「社会教育は福祉の一環」という言い方をしています。

▼小川先生のこの考えは社会教育の下伊那テーゼに生かされておりますね。これまでの福祉施策の歴史について少しご紹介ください。

長野県は貧乏な県で、特に下伊那は土地が狭くて、村が中心となって満蒙開拓団に多くの人を送り出した、悲惨な歴史を持っている所です。それはまさに開拓ではなく、屯田兵でした。

長岳寺(ちょうがくじ)の住職をされていた山本慈昭さんは奥さんや子どもや教え子を連れて満州に行かれたのですが、遠い満州の地で教え子も大勢亡くされ、ご自身も奥さんを亡くされました。その山本さんが日本に引き揚げてきて注目したのが社会事業(当時は生活保護法)としての授産事業でした。戦争によって母子家庭が増え、授産所で安い賃金で造花を作ってきたという歴史がある。造花は亡くなった方への弔いの意味も込められていたのです。山本さんは死んだと思われていた娘さんが中国に残されていると聞き、亡くなるまで中国残留日本人孤児捜しに尽力された方でもあります。

今日、日本でも景気後退により、東京や愛知県等でも派遣村に代表される多くの非正規労働者難民が生じていますが、それは農山村に包容力がなくなったからです。

私が授産所職員で行ったときには、工賃も賞与もきちんと払える機能的な授産所で、授産所からさらに下請けに出し、それが企業に育つケースもありました。しかし、授産所本来の機能に立ち返るべきと考えました。当時民生委員をされていた熊谷喜市さんは、「この子を残して死ぬわけには行かない、本当は手元で育てたい」とも言っていたので、私は授産所の近くに宿舎を作って通えるようにしたらどうかと提案しました。しかし村の中でも熊谷さん自身も、当時はそのことを理解している様子はありませんでした。昭和47~48年ごろの話です。

その後、西駒郷(県立の大型知的障害者入所施設、現在は全国で最も地域移行が進んでいる)と精神障害の問題がずっと気になっていました。「通所施設を考える会」の運動は、よくぞ親たちが起こしてくれたと思いました。

▼「通所施設を考える会」はその後「村づくり委員会」となり、村から調査・研究のための支援を受け、それがやがて「夢のつばさ」に発展しました。そのような施策を進める際、村長としてどのようなことを考えましたか?

阿智村では、住民主体の行政をするために、地域ごとの要望には地域自治組織、課題別の要望には村づくり委員会で議論するようにしています。5人以上の住民が集まれば村づくり委員会を作ることができ、自由に声を上げて行政に届くようにすることは、行政としての最低のルールであり、私が村長になった時の公約です。

通所施設を考える会の皆さんがお出でになった時に、何でも行政が「はい」と聞いてしまっては主体性が育たないので、村づくり委員会にかけて全村的に広げていただきたいとお帰りいただきました。阿智村ではそのプラットホームが公民館であるというのが特徴で、住民が学習を通じて要求を実現していく。障害をもった人たちが安心して暮らせることはすべての人の願いで、そのことを進めるのが公民館でした。

夢のつばさができた時には全村民が協力し、資金集めのための絵画展にも多くの人が協力して絵画を購入してくれました。阿智村住民が持っている協働へのエネルギーが支えてきたのではないかと思っています。

▼住民の皆さんによる主体的な夢のつばさ設立運動は全国に発信できる実践例ですが、一方で地方財政の危機があり、地方交付税なども減らされてきました。村の責任で土地を購入し、施設を建設しましたが、財政的な問題はいかがだったのですか?

財政構造そのものを無駄なところに使わないようにし、職員にもがんばってもらう。議員にも予算の取り合いではなく、最も必要なところに使うようにしてきました。財政の苦しいところをどう乗り越えるか、情報公開も積極的に進めてきました。住民主体の行政の良いところは、住民の皆さんが最も必要とするところに予算を使う、だから無駄がないということです。それとお金がないのだから、授産施設を作った後どう運営するか、それを提案できることが住民のコンセンサスを得ることになります。運営方法のほか、建物の設計や備品も村づくり委員会で提案してもらいました。

▼住民主体で進めると無駄がないという言い方は、とても素敵ですね。ところで阿智村では、村単独予算で小学校に障害をもつ子どもが通う際の介助員をつけていますね。

保育園にも中学校にもつけています。また学習支援主事をつけて、子どもの学習も支援しています。できないまま放っておくことのほうが差別で、フィンランドでもやっています。

▼阿智村では現在第二次障害福祉計画を作っていますし、3月末には清内路村(人口約700人)と合併します。今後の展望をお聞かせください。

障害保健福祉は県主導で圏域単位で行ってきた経緯があり、第二次福祉計画も市町村計画の積み上げを基本とし、圏域ビジョンとして作成します。南信州広域連合自立支援協議会が取りまとめを行い、相談支援事業も同様の取り組みです。

村には7つの地域自治組織がありますが、地域の福祉を地域全体の問題として考え、どう担っていくかということが重要になってくると思います。家族介護に頼らず障害の重い人が24時間の介護サービスを気兼ねなく使えるような意識改革も必要です。障害をもっている人が地域の中で生きていくことが社会的権利として定着するためにも、そして住民主体の行政を進めるためにも、学習がないと、絶対に無理です。

ノーマライゼーションの推進には、村全体をつくり変えなければならないのですが、道路や公共施設全体を見てもバリアだらけです。しかし、インフラ整備には莫大な予算がかかります。やりたいことがすべてやれる訳ではない。行政覚悟が要りますが、そのことも村民には宣言しなければならない。

自立支援法はいろいろな問題もあります。これからは住民が市町村の主体者になるだけでなく、国政でも主体者になることが必要です。そして国には制度面でしっかりしてもらいたい、と思います。

▼阿智村の住民は地方自治の主体者にはなっていますが、国政の方向は必ずしも社会保障・社会福祉重視ではありませんので、そのことは極めて重要ですね。今日は有意義なお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。


(インタビューを終えて)

阿智村には10数年通い、地方自治を学んでいますが、岡庭村長の一貫した「住民主体」の実践からは多くのことを学びました。村づくり全体に公民館主事が大きな役割を果たし、社会教育の「下伊那テーゼ」が生きている地域ということもできます。

毎年行っている「阿智村社会教育研究集会」は本年2月で42回を迎え、「地域の子育て」「健康づくり」「福祉」「地域と産業」「自然・歴史・文化」の分科会が持たれました。この研究集会の企画・当日の進行・記録まですべて住民主体で運営されていることも印象的です。また本年8月には、49回「社会教育研究全国集会」が阿智村で開催されます。私も住民主体の活動について、引き続き学んでいきたいと思います。