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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年6月号

わがまちの障害福祉計画 奈良県大和郡山市

大和郡山市長 上田清氏に聞く
「つながり」が育む、共に考え共に越える「市民性」

聞き手:山本耕平(立命館大学教授)


大和郡山市基礎データ

◆人口:91,488人(平成21年4月末現在)
◆面積:42.68平方キロメートル
◆障害者の状況:(平成21年3月末現在)
身体障害者手帳所持者 3,296人
療育手帳所持者(知的) 487人
精神保健福祉手帳所持者 247人
◆大和郡山市の概況:
奈良盆地の北部に位置し、縄文後期から弥生時代に集落が誕生する。天正8年(1580)郡山城築城、以後城下町「郡山」として商工業を中心に発展。昭和29年、県下3番目の市「大和郡山市」となる。来年の平城遷都1300年祭に参画、矢田丘陵など市内の魅力を発信中。春のお城祭り(49回)、全国金魚すくい大会(15回)は恒例。また「古事記1300年紀」(2012)を事業決定。「元気城下町 発 未来行き」を合い言葉に、街の発展をめざしている。
◆問い合わせ先:
大和郡山市福祉健康づくり部厚生福祉課
〒639―1198 大和郡山市北郡山町248―4
TEL 0743―53―1151(代) FAX 0743―53―1049
HP http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp

▼大和郡山市と言えば金魚が有名な地場産業ですが、市内には工業団地もあり農業から工業までバランスよく発展している街という印象を持ちました。まず、この街の特徴を教えてください。

金魚は大和郡山市の地場産業として非常に大切なものです。さらに大和郡山市のイメージとして、金魚とともに筒井順慶(じゅんけい)以来の歴史ある城下町ということがあります。この二つのイメージと、金魚の日である3月3日を、日本ペンクラブが「平和の日」に定めていることから、大和郡山市では「平和のシンボル、金魚が泳ぐ城下町。」をスローガンにしています。

大和郡山市は、市内をいくつかの地域に分けることができます。一つは、伝統的な歴史の街である城下町であり宝物がいっぱいの地域です。二つめに農村部、ここにはたくさんの金魚池があります。三つ目に南部には、昭和30年代の終わりから造成された昭和工業団地があります。奈良工業高等専門学校も近くにあり、大企業から世界に注目される技術を持つ中小の企業が140社ほどあります。また、郡山JCがある西名阪自動車道、国道24・25号やJR、近鉄と交通が大変便利で工業団地の発展にも繋がってきました。さらに、市の西部には新興住宅街があります。大阪までの通勤時間は約40分と、十分な通勤圏だと言えるでしょう。

▼全国、多くのところが昨今の不況により市民生活が危機的な状況となっていますが、大和郡山市でも深刻な生活問題が生じているようなことはございませんか。

法人税収に大きな影響が出つつあります。また、生活保護の相談がやや増えているという状況にあります。

▼伝統的な歴史と新しい街が、上手にマッチした大和郡山市ですが、歴史のある街では相互に助け合う住民の力をみることがあります。また、その一方で、残念ながら障害者に対する偏見が残っていることがありますが、ここではいかがでしょうか。

障害に対する理解をさらに深めていくためには、市が音頭をとってどのような動きを作るかが大切な方法の一つだと思います。知的障害者通所授産施設の建設においては、平成6年に知的障害者福祉対策として「障害者施設の検討」を行い、公有地の貸与や補助金の交付を進めてまいりました。また、平成13年には、精神障害者福祉対策として公有地の貸与を行っています。もちろん、そればかりではなく、ペットボトルのリサイクルを委託したり、授産施設で作っているクッキーを保育園のおやつに活用したりしています。さらに8年前からは、毎年夏にボランティアのコーラス隊によるコンサートを郡山城ホールの大ホールで行っています。常に満員です。私も、一緒に歌うんですよ。

▼市の公有地を無償貸与なさるのは、運営を楽にするばかりか、市が当事者と共に歩んでいる強い力を感じますね。

場所というベースがあり、さまざまな地域の方との繋がりがそこから生まれると思うのですね。まず、そこで安心して生活してくださいと市が場所を無償貸与するのは当然だと考えます。安心して生活できる場所で、より多くの地域の方々との繋がりをつくることが、障害のある人もいきいきと暮らせる地域づくりになると思います。

▼これは、大和郡山市が自慢できる地域生活支援の一つの姿ですね。障害者施設が運営を始める際に市有地を無期限かつ無償で貸与すると、地域の方々も、市の障害者福祉への思いを自然と納得できるようになります。もちろん、そこでは、障害者の地域支援を進める際に必要な地域の方々の理解と協力が生まれてきますね。

これは、「障害」のテーマとはずれるかもしれませんが、大和郡山市では、不登校状態にある市内の小・中学校に在籍する児童生徒を支援するため、明日の世界に向かって力強く羽ばたいてほしいという願いを込めて、〈あゆみスクエアユニバース=ASU=あす〉と命名し、不登校対策総合プログラムを推進しています。ここでは、以前から取り組んでいた適応指導教室「あゆみの広場」の経験を活かしながら不登校の子に応じたプログラムを作った支援を行いたいと、小泉内閣当時の構造改革特区に手を挙げたのです。この中で私は、不登校の子も各自に応じた、つまり「個」に応じた取り組みを行ってほしいと願ったのです。実は、この場所も郡山城址の真ん中にある明治時代の建物である城址会館を活用しています。

▼そうですか。障害や発達上の課題のある方がこの街で主体的に生活できるための配慮が行われているのですね。私が、大和郡山市の行政が市民に近いというイメージを持った大きな取り組みがあります。それは障害福祉計画策定時のアンケート調査です。これは、平成10年3月に策定した「大和郡山市障害者福祉長期計画」の見直しや、障害福祉サービスの目標量を見込んだ「障害福祉計画」の策定を根拠のあるものにする重要な行政努力だと思いますね。

そうですね。私たちは、あらゆる計画をコンサル業者に丸投げすることは絶対行いたくないのです。私は、障害者自立支援法下でのコンセプトを「共に越える」ことに求めています。市の財源がそれほど豊かでないなかで、それぞれの要求を叶えるためには、共に考え、共に越えることが大切です。私は、大和郡山市地域自立支援協議会が出発する時にも、この「共に越える」をコンセプトにということを強調しました。今回の調査も、市民が障害を乗り越えるために行政が何を行うべきかを考えるために行ったのです。

▼「共に越える」ですか。これは、市長が行政を行う際の哲学でもあるのでしょうね。この調査を通して、新たに明らかになってきた行政課題などはございますか。

「共に越える」というのは、共に工夫しようということなのですね。この調査の中で明らかになったことの一つに、我々は、今まで、親が高齢化した後の当事者の問題を深刻な課題として受け止めていましたが、それとともに、障害児の放課後の居場所の課題が浮き彫りになってきました。これは、特別支援学校に通っている子や親の願いとして上がってきましたので、何とかしようと考えています。居場所というのは、障害者だけでなく、高齢者にとっても必要なものですから、喫緊の課題として認識しました。

▼安全に、安心して放課後を過ごす居場所があれば、親や祖父母が安心して働くことができますね。それに春や夏等の長期休暇は、障害のある子どもを育てる親にとって深刻な課題です。その他はございますか。

グループホームやケアホームの不足といった課題も浮き彫りになってきました。さらに、相談支援事業で市民の生活をどう把握するのかということが非常に大切ですね。相談支援の本当に必要な方にこの事業が十分に伝わっているのか、が大きな課題として出てきています。今、定額給付金で市の業務に大きな負担が生じていますが、この業務は、市民の生活、たとえば一人暮らしの方の生活などを知るチャンスです。市民の暮らしを知り、何らかの対策をとることが、相談支援事業の中で可能となるのではと考えています。

▼市民の生活をしっかりと把握できたのが、このアンケートですね。私は、アンケートの自由記載を見せていただいて、要求を確実に把握する努力が行われていると思いました。

「照一隅」という言葉がありますが、本当の意味で、光を照らすべきところに光を当てる行政が大切だと思っています。アンケートの自由記述では、本当に障害者やご家族の生活が見えてくる記述がありました。

▼大和郡山市では、5部会(教育・就労・居住移動・精神・権利擁護)に分かれた自立支援協議会が行われています。この支援協議会が果たしてきている役割をどのようにお考えですか。

これは、大和郡山市らしさを出すことができる協議会ですね。各部会に分かれた自立支援協議会の基盤となったのは、支援センターの支援員さんたちの「人間的つながり」でしょう。団体と団体、団体と当事者、さらに行政を結び「共に越える」取り組みを創り上げることができたのは、その「人間的つながり」が基礎になっています。「共に越える」というのは、自分の立場を越えるという意味でもあるのですね。まさにキーワードは「繋ぐ」です。行政マンが、一人の人を、自分の仕事との関わりがある「部分」だけで見てしまうと課題を超えることはできません。一人の人間を「総合的」に見て、障害のある人とない人、市民と行政、さらに行政のあらゆる部門が繋がり支え合う中でこそ、一人ひとりが生きがいのある人生を送っていく行政が可能となると考えています。広報誌の名前も昭和49年から「つながり」と言うのですよ。

▼国がようやくやり始めたところですが、大和郡山市では、授産施設や作業所等の工賃アップのために市が商品を買い上げる取り組みを行っていますね。

前述した他に学校給食の材料に味噌を使ったり、清掃事業を委託したりとさまざまですね。さらに、これは施設の努力の結果ですが、ある精神障害者施設の商品は、駅やホテル等で配布される奈良県の「うまいものマップ」に載っています。この施設は、新しい商品を次々と開発するところが面白くて、私も「これは美味しくない」とか「甘すぎる」とかはっきり言うようにしています。

▼自立支援法下で、裁量経費となった部分の予算削減はここでは行われていないのですね。

それは、今後とも行わずに頑張ろうと思っています。そのためには財源確保が大きな課題です。交通の便が非常によい所ですから、この地域の歴史を護りつつどう街を発展させるかを考えてまいります。


(インタビューを終えて)

「共に越える」「つながり」などが、大和郡山市の地域づくりのキーワードとして語られていました。弱者としての障害者を護ってあげるといった視点ではなく、障害者と健常者が、市民と行政が共に社会を築きあげる街づくりが進んでいる印象を持ちました。