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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年7月号

1000字提言

車いすに想う

沖川悦三

長い間、車いすについて研究・開発したり適合の仕事をしたりしているせいか、街でふと見かけた車いすや車いすに乗っている人の座位姿勢が気になったり、映画やドラマの中に出てくる車いすの描き方や、位置づけが妙に気になったりすることがあります。

普段見かけた車いすが気になるというのは、「あっ、あそこに車いすの人がいるな」というようなことではなく、「あの車いす、変わったデザインだなぁ」とか「どこのメーカー製だろう?」とか、時には「片方のキャスターがおかしいぞ」とか「タイヤの空気が少ないなぁ」とか思ってしまうことです。別にじっくり見つめているわけではないのですが、何となく、そんなことを思ったり考えたりしてしまいます。だからといって、いつもいつもということではないのですが……。

映画やドラマになると、特に気になります。古い映画などでは、車いすや車いすに乗っている人を暗いイメージで描いているものが多く見受けられますが、最近ではどういう意図であれ主人公であったり、特殊な能力を持つヒーロー(ヒロイン)であることが増えてきました。

欧米と日本では扱われ方に違いがあるようにも感じますが、あまり深く考えたことはありません。全般的に現代を表現するものでは、日常用の車いすもかっこいいものが使われたり、未来を表現するものでは、空想上の機能やデザインの車いすだったりします。車いすユーザー役の俳優さんも車いす操作がかなり上手です。

それでもまだこれらの車いすの多くは、いわゆる伝統的な備品タイプの車いす(おそらく最も多くの人の目に触れる場所に用意してある車いす)で、クッションも使っていないのではないかと思えることがほとんどです。病気やけがをした人が病院で一時的に車いすを使うシーンでは、まあそれで普通なのですが……。

車いすにだってそれぞれ個性があります。椅子に車輪が4つ付いていればだいたいどれも同じと思われてしまうのが一般的な意識かもしれません。しかし、見た目は同じような備品タイプの車いすでも使っている材料や部品、フレームの曲げ方や車輪の取り付け位置など、こだわりと工夫を凝らした車いすもあります。そんな目で車いすを見てみるのもおもしろいと思います。

(おきがわえつみ 神奈川県総合リハビリテーションセンターリハ工学研究室)