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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年9月号

私の子育て体験
人は人と関わりながら生きる

山本美穂子

娘が産まれ、育てながら、この言葉の重みをひしひしと感じる毎日である。

人と関わるためには、共通のことばを使った、声を出すことによるコミュニケーションが欠かすことができない。

娘を育てて感じるのは「耳から聞いて覚える」ということのすごさである。私は3~4歳頃に失聴したのだが、娘が3~4歳の頃は、スポンジが水を吸うようにあらゆることばや音、歌を覚え、コミュニケーションのTPO(朝はおはよう、夜はおやすみと言うことなど)を覚え、使っていた。その頃の私は、ことばの発達が遅かったと思うと、いかに聞こえないということが、人と関わって生きることの根本を揺るがす障害かをしみじみと感じるようになった。

合わせて、聞こえない私たちは、耳から聞いてことばを自然に覚え、声を出し、コミュニケーションをとるということができないので、子どもの頃に失聴した人は、病院や学校、家庭の中で「言語訓練」を受けたことのある人が多い。私は、口話法(相手の口元を読み取り、発話すること)もとっている。改めて自分の親が私に対して忍耐強く「ことば」を教えてきたこと、人との関わり方の方法やマナーを厳しく教えてきたことに、たくさんの愛と手間暇がかかっていたかに思いをはせるようになった。

そして娘は、親やパートナー以上に私の障害・コミュニケーションを100%受け入れ、なおかつ信じて頼ってくれる。娘は聞こえない私とのコミュニケーションがスムーズにいくように、声+α(手話・指文字・身振り等)の方法を日々工夫している。

たとえば、私は自転車に子どもを乗せて、保育園の送り迎えをしている。娘は後ろにとりつけた子ども用のいすに座らせているのだが、これだと私が娘の顔を見て会話をすることができない。娘が3歳の頃、私たちが考えた方法は、「はい」なら私の背中をポンポンとたたき、「いいえ」なら背の両脇の左右を交互にパンパンとたたくことだった。私が「はい」か「いいえ」で答えられる簡単な質問をし、娘がポンポンかパンパンで答える。5歳になった今では、「はい」は背中ポンポン、「いいえ」なら脇の下をコチョコチョするなど、より分かりやすい方法に発展している。そして、車が後ろから来た時は背中をバシッと強くたたく。端から見たら、子どもがふざけているように見えるかもしれないが、私にとっては大切なコミュニケーションなのだ。

相手に伝えるためのアイデアは、子どもであっても本当にいろいろ考えつく。そこには社会的な偏見も差別も哀れみもなく、ただ「どうやったら相手(ママ)に通じるのか」という人として当たり前の気持ちしかない。

そんな娘が一番納得いっていないのは「なんで、おとなはママに手話でお話してくれないの?」ということだ。娘は、声+αを付けないと私に伝わらないし、私にも「声だけじゃ分からない」とストレートに言われてしまう。ある時、「声を出さないで口パクで話す」ことが続いたことがある。すると周りのおとなが「声を出してくれないと分からない」ということになった。そこで、私が聞こえる娘と相手の間に入って通訳することが何度かあった。

きっと、声だけの会話(おしゃべり)の中では、私はにこやかにその場にいても、本当は困っている様子を敏感に理解し、ママのアサーティブが足りない!という娘からのメッセージだったのかなあと今では思う。

娘の口パク会話をきっかけに、なぜそのような状況になったのかをご近所や保育園などに説明してまわるとともに、「分からない時は聞き返すこともあるし、もう一度、とお願いすることもあるかもしれない」と伝えた。そして、分からなかったらできるだけその場で「ごめんね、今ちょっと早口で口元が読めなかった。もう1回お願い」「この言葉だけ筆談して」と言うように自分も変わっていった。このことがあってから、メールを使ったやりとりも増え、お母さん方も自分の子どもに「○○ちゃんママにはゆっくり話してあげてね」と教えるようにもなっているようだ。

周囲の理解だけでなく、保育園の行事や通院の場では、市の手話通訳者派遣制度を使ってサポートを受けている。娘は手話通訳者との出会いもあり、新鮮なようだ。娘の遊びのレパートリーには、手話通訳ごっこもある。

一番の悩みは、地域のどこにおいてもコミュニケーションは日常的なものであり、いつも手話通訳者に来てもらうということは不可能である。そして、コミュニケーションは日常的なものでありすぎるために、相手に「口元をはっきり見せてゆっくり話して」「筆談をして」「マスクを外して(口元を見せて)」とお願いしても、次はその支援を忘れられていることなどしょっちゅうである。そういうなかでは、聞こえない私たちは、場の雰囲気を壊さないためにとりあえず分かったふりをしてしまう「あきらめ」が人と関わる手段でもあった。

娘は、私と一緒にいる時は「お風呂がたまりましたのピーいったよ」「レジの人が袋いりますかって言ってるよ」と自然に伝えてくれる。毎日よく続くと、親ながら感心し心強く思う。ゆっくり話す、身振りや手話、手書きや指文字を加えるということを続けることが当たり前になっていったのだろう。

聞こえない私、聞こえない人に関わる一人ひとりが、声+αの工夫をしてみること・続けること・忘れないことによって、「人と人との関わり合い」が深まっていくことを、娘はいつも教えてくれる。

(やまもとみほこ 八王子聴覚視覚障害者サポートセンター)