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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年10月号

2009・9・21(敬老の日)

横田弘

大きなうねりが押し寄せてきた。

大きなチャンスかもしれない。

私がこれから書くことが、全く無意味になるかもしれない。

そうなってほしいと心から願っている。

脳性マヒ者、障害者の生存権の問題、社会的な存在の位置づけを目指して運動を始めたのは35歳、まさか76歳の後期高齢者になることなど夢にも思わなかったのだが。

その間、優生保護法改訂の課題、障害者を社会から締め出す可能性の多い養護学校義務化への問いかけ、公共交通機関への乗車疎外の課題など毎日目まぐるしい40年が過ぎた頃、急速な身体障害の変化に私はつくづく老いの恐ろしさを知った。

社会的な障害者の状況から見ればバブル景気が始まる前の頃からバブルがはじけて社会のすべてが競争原理、強い者だけが正しいのだとする考え方に変わるまでは、わずかずつであっても障害基礎年金の増額や社会参加への広がりなどほんの少しずつであっても明るい兆しが見え始めたのである。

ところが。

現在の「障害者自立支援法」が成立したのは2005年10月、それまでようやく障害当事者や福祉関係者の間で認識され始めていた「障害者の自立とは障害当事者が自らの考え方と行動により諸制度を活用しつつ地域社会の中で生活すること」が「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むこと」に変わったとたん、障害者の社会的位置づけが音を立てて崩れていったのである。

能力が無ければ、適性を有しなければ、つまり何の能力もない障害者は生きているだけで、自立とは言えないということになるわけだ。それでいて受けたサービスに関しては「応益負担」になるということだから、これは大きな矛盾ではないだろうか。

私自身の肝心の介護保険の話だが、現在私が非常に困っているのが病院に行く場合の院内介護の問題なのだが、私、車いすで移動しなければならない。それに手が動かないから電動車いすも思うように使うことができない。それと言語障害がひどいからよほど親しい人でないと理解は不可能だろう。ところが現在、介護保険の中では病院内でヘルパーを使える制度的根拠を見つけるのははなはだ難しい。

現在流行のコンピューターで探してみると、だれかの質問に対する答えとして「主治医から付き添いが必要、家族が付き添えない明確な理由がある、病院では付き添い(看護師などが付いていることはできない)の3つの理由が揃わなければ保険適用になりません」という話なのだけれど。

病院のお医者さんが自分の所の看護師は介助できない、とか家族が付き添えない明確な理由があるなどという証明などはできないだろう。それからこれは余計なことだけど、配偶者や年取った親が車いすを押せるから介護者と決め付けるのは、まあここまでよくも考えるなあと呆れ返ってしまった。

それ以上に困るのは、入院時の介助だ。私の時の経験では、病院側の方から介助者を探してほしいと何度も何度も言われている。でもまさか、担当医からヘルパー要請なんかできるわけないだろう(お医者さんはプライド高いのよ)。

今のままでは、後期高齢者は事実上通院も入院も極めて難しい状況なのだ。

ついでに日常生活の介助について言えば、現在私は1日に3時間、土日休日は1日5時間ヘルパーさんに来てもらっている。この間、1日3時間のヘルパーの利用代が事業所から送られて来た。1日3時間の方だけで1か月の合計が36万円かかっている。休日のヘルパーさんと1週間に2回の訪問看護を合わせたら、おそらく60万から70万かかっていると思う。今いろんな制度があるからだいぶ金額は低くなっているが、原則としては1割だから、それに従えば1か月6万か7万円になってしまう。国の制度なんていつ変わるかなんてわかったものではないので、最悪の事態を考えると、老齢基礎年金全部つぎ込んでも1万円前後の不足になるだろう。いくら家族があってもこれだけの金額、とても負担できるとは思わない。

どうすればいいのだろうか。

今までの政府や自民党が全くすべてがおかしいとは私は考えていない。しかし何で国民が消費税値上げを拒否するのか、国民も政治家も一度考えてみる必要があるのではないか。

そもそも消費税導入の際、自民党は何を言ったか。社会福祉を充実させるためにも必要だと盛んに言っていたのが、導入して半年か1年で一般財源化にしてしまった。これでは国民が消費税に不信感を持つのが当たり前。おまけにバブル崩壊。金持ちは金持って逃げちゃうし、官僚は天下りでいい暮らしをしているのでは政府を信用できないのは当然だろう。

少し時間は長くかかるかもしれない。しかし私は、この問題をもう一度、みんなが考え直した方がよい時期が来たのではないかと思う。

福祉にはどうしてもお金は必要なのだ。

(よこたひろし NPO法人横浜市障害者自立支援センター)