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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年10月号

1000字提言

制度って何だろう?

荒井隆一

今思えば、ずいぶん前の話になる。当時、レスパイトやヘルパー事業をしていた私は不思議なご縁に出会う。

Aさんは、在宅で暮らしているが、母屋では一緒に生活させてもらえずに、敷地内のプレハブに住んで、近くの通所施設に通っている。

Bさんは、生活保護を受けて一人暮らしをしていたのだが、今まで住んでいた建物が古く、そこで生活し続けることが困難なために市営住宅に引っ越すことになる。

Cさんは、Bさんの引っ越しの時に発覚をした、長年放浪の旅を続けていた人でBさんの家に転がり込んでいた。引っ越す際に、行政的に一緒に暮らすことはできないと言われたが、本人は自宅には戻りたくないということで、短期入所の利用を始める。

そんな中、Cさんは施設にいるのが嫌で、何度も施設からいなくなってしまう。Bさんは、今までは近所との付き合いや、Cさんと一緒に暮らしていたのが一人になって寂しさが生まれ、ご飯等も食べられなくなってしまい、身体が衰弱していってしまう。Aさんは、大きな台風が上陸し、住んでいたプレハブが飛ばされてしまい、住む場所が無くなってしまう。家族は母屋では一緒に生活させられないので入所施設を勧めるが、本人は絶対に嫌だと言う。

そんな3人と、私はそれぞれに関わりを持つようになり、ある時、とりあえず当時レスパイトなどで使っていた一軒屋で、3人で住んでみることを提案する。数か月、私を含めた職員数人と3人の共同生活がスタートした。

Aさんの家族は、どうせ何日かしたら嫌になって帰ってくる、施設のほうがいいなどと言っていたが、Aさんはその意に反して、そこでの生活が気に入ってしまう。Bさんは、一人暮らしを始めてからの衰弱が嘘のように元気を取り戻し、近くの作業所に通い始め、行政の方も、そこでの生活のほうがいいと言い始める。Cさんは、施設よりもここでの生活のほうがいいと言い始め、家族もそこで生活をしたいのならさせてやってほしいと言い始める。

そこで、この暮らし方をどうしようと思った時に、グループホームという制度が思い浮かんだ。指定事業所を取り、改めてグループホームとしての生活がスタートした。たまたま、同じような時期に生活の場を求めていた3人、施設のような所は望まなかった3人、偶然私の所でつながった3人。

ニーズがあって、初めて制度というのは成り立つものである。しかし、支援者は何かと制度を人に当てはめようとしがちである。改めて、利用者が主体であることを胸に刻んだ経験であった。

(あらいりゅういち 社会福祉法人ロザリオの聖母会グループホーム支援センター)