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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年11月号

新連載 時代を読む1

1964年(昭和39年)パラリンピック東京大会の開催

現在、オリンピックと同時に開催されているパラリンピックは、主として第2次世界大戦で、負傷した多くの人々のリハビリテーションとして取り入れられたスポーツが、次第に競技として世界に広がったものである。

特に1960(昭和35)年、ローマオリンピックに引き続いて開催された第1回パラリンピックの開催が、次期オリンピックの開催地である東京での開催を導き、これが今日のわが国障害者のスポーツ振興の大きな契機になったといえる。

東京大会を開催するに当たって、関係者の間では、国内の障害者のスポーツ振興はほとんど進められていないが、競技会を引き受けることによって、その後のわが国障害者のスポーツ振興は図れるはずだと考えられた。そして、車椅子使用者だけのパラリンピックに、その他のすべての障害者が参加できる大会とすることなどを提案して了解した。実際には、この意見は、国際大会にはルールの普及などから受け入れられなかったので、「第2部国内大会」として実施され、これが、全国障害者スポーツ大会として、現在も引き継がれている。

東京大会は、11月8日から12日までの5日間、8競技、22か国、選手378人(うち日本選手53人)が参加して開催された。参加した日本選手のほとんどは、療養所などの入所者で、在宅で職業についている人が多い海外の選手たちの中に混ざっての競技は、メダル23個(金2、銀12、銅9)という致し方ない結果であった。

(藤原進一郎・財団法人日本障害者スポーツ協会理事)

【参考文献】

  • (財)国際身体障害者スポーツ大会運営委員会「パラリンピック東京大会報告書」、昭和40年
  • 藤原進一郎「障害のある人々のスポーツ総論」NPO日本障害者スポーツ指導者協議会、平成18年