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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年11月号

座談会 障害者差別禁止条例作りの取り組みと展望

高梨憲司
(社会福祉法人愛光視覚障害者支援事業部長、元障害者差別をなくすための研究会副座長)
山田昭義
(社会福祉法人AJU自立の家常務理事)
松永朗
(財団法人熊本県ろう者福祉協会常務理事、障害者差別禁止条例をつくる会)
野村茂樹
(弁護士、日弁連人権擁護委員会「障がいを理由とする差別を禁止する法律に関する特別部会」事務局長)
司会・中西由起子
(アジア・ディスアビリティ・インスティテート代表、本誌編集委員)

条例作りの現状

最初に制定された千葉県

中西 2002年より国連で障害者の権利条約に関する討議が始まったのを受けて、国内でも障害者の権利に関する意識が高まってきました。2006年に条約が成立したのと時を同じくして、初めての障害者差別禁止条例が千葉県で、今年3月には北海道で障がい者条例が制定されました。障害者差別禁止条例作り、ならびに策定に向けて準備中の関係者の方々にお集まりいただき、策定の過程や条例の内容など、今後、条例作りに取り組もうとしている方の参考ともなる、ご経験やお話をよろしくお願いいたします。

私はアジアの障害者問題が専門です。差別禁止法・条例に関しては、親団体のアジア日本会議で聞いたり、住んでいる八王子市での勉強会に時折参加していますが、一般読者に近い立場だと思います。自己紹介を兼ねて、ご自分のところの条例についてお話しください。

高梨 私は千葉県佐倉市に本部がある社会福祉法人愛光の事業部長をしております。視覚・知的の重複障害の入所施設で働いてきましたが、十数年前から千葉県が始めた家庭訪問による視覚障害者のリハビリテーション事業にかかわっています。

千葉県は条例案作りに先立ち、2004年9月に差別とは何かを考える場合、当事者の経験から出発するのが望ましいのではないかとインターネットを通じて障害者差別と思われる事例を集めました。

その一つ一つの背景を検証するために県民から委員を公募して、2005年1月に29人の委員で「障害者差別をなくすための研究会」を立ち上げました。私は長年、障害をもって生活する中で、社会の中でどうあるべきかを自分の課題として考えていましたので、ある方に誘われて一県民として入りました。研究会では、800余集まった事例を検証しつつ、諸外国の立法を学習したり、各地でタウンミーティングを行いました。

「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」は2006年10月11日の県議会で成立して、翌年7月1日に施行されました。その中で最も進んでいるのは、個別の差別事案の解決についての相談活動だと思います。07年度は9か月間で295件の相談があり、08年度には263件の相談に対して4134回の相談活動が行われています。

個別事案の解決では間に合わない、県民の意識、慣習を変えていくための取り組みが必要な11ほどの共通の懸案、たとえば車いすの駐車スペースの問題などについては、知事が座長の「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり推進会議」で取り組みつつあるところです。

愛知県、熊本県の動き

中西 これから条例の制定を目指している愛知県と熊本県の事例を続けてお願いいたします。

山田 今年で設立20年のAJU自立の家で職員をしています。私たちは36年前から福祉のまちづくり運動を進めてきましたが、DPI日本会議にかかわって障害者権利条約の情報をいただき、われわれもと考えていたときに、千葉県で条例ができたことは大きなインパクトとなりました。

一昨年、JDF(日本障害フォーラム)の要請を受けて、昨年2月にJDFの地域フォーラムを名古屋で開催したことがきっかけで、JDFの地域版、ADF(愛知障害フォーラム)設立の機運が盛り上がり、千葉県に続いて障害者差別禁止条例を作ろうということが一つの柱になりました。

その後、愛知県の民主党に障害者差別禁止条例を作ろうというプロジェクトができていたことを知りました。きっかけは信じられない話ですが、愛知県議会は三十数年間、議員立法がゼロだそうで、それはおかしい、各会派が議員立法を進めようという申し合わせの中で、民主党の6つの議員立法の1つに障害者差別禁止条例がありました。民主党を中心に条例作りが進み、ADFが昨年8月30日に結成されてから、われわれも動いてきました。

みなさんにお配りしたのが、民主党の案です。議会の法律の専門部局からいろいろな指摘を受けて協議を重ね、たぶん10月初めに民主党の中で了解がとれて、その後議員団長会議に諮って、愛知県会全会派による条例案として上程してもらえたら最高だと思います。できたら12月議会で成立すればいいというのがわれわれの思いです。

松永 私は県のろう者福祉協会の常務理事をしております。熊本の状況は、弁護士の東俊裕さんから話があって、熊本も権利条約を推進したい、話し合いを持つ場所をつくろうと、昨年5月に関係者に呼びかけて集会を開きました。

そこで賛成していただいたので、世話人会を起こして話を進めてきました。今年7月には、熊本県版の「障害者差別禁止条例をつくる会」を立ち上げて、努力しているところです。

きっかけは、千葉県に刺激された面はあります。24の障害者団体の代表者を世話人にして、500ほどの差別例を出してもらいました。500項目を一つずつ検討するのは難しいので、20件ずつに分けてそれぞれの団体で検討を行い、10月20日に意見を出し合うことになっています。ボツボツ進めている状況と理解してください。

一番の問題は、何が差別に当たり、何が差別に当たらなくて合理的な配慮なのかです。差別の定義をもう少し整理する必要があると思います。熊本県知事も理解を示しておりまして、積極的に取り組もうという話があります。難しい側面はあり、つくる会がどこまで動くか、今のところ流動的ですが、千葉県や愛知県の例を参考にして作っていきたいと思います。

日弁連での取り組み

中西 コメンテーターとして、弁護士の野村さんに参加していただきました。

野村 私は大学時代に目を悪くしまして、右が0、左が0.03です。左の視野も下半分がございません。テレビ式拡大読書機を用いて読み書きをしています。

私は1979年、拡大読書機を用いて司法試験に合格しました。視覚障害を理由に時間延長を認めるという合理的配慮を受けて合格したのは日本で初めてです。その後、全盲の方に点字受験の配慮がなされて合格された方が何人かいます。

日本弁護士連合会の組織の中に人権擁護委員会があります。その中に「障がいを理由とする差別を禁止する法律に関する特別部会」があり、聴覚障害、視覚障害、車いすなどの弁護士が何人か参加していますが、その事務局長をしています。

日本弁護士連合会は年1回、人権擁護大会を開きますが、2001年に開催された第44回大会で差別禁止法を作ろうという宣言を採択いたしました。弁護士は社会正義と人権擁護に努めるという職責を有しているにもかかわらず、人権擁護大会で障害の問題を取り上げたのはそのときが初めてでした。その宣言を現実のものにしなければと、日弁連の中に組織を作って研究活動を進めています。

差別は身の回りにあるという意味では、条例は有効だと思います。千葉県、愛知県の方々のお話を聞いたり、連絡を取り合ってきましたが、これからも意見交換やお手伝いをさせていただこうと思っています。

条例作りへ

千葉―県民の合意形成から

中西 読者の大半の方たちが住んでいる自治体は、「条例」に着手されていないと思います。こうやったらうまくいったとか、ここが一番大変だったとか、参考になるようなことがありましたら、教えていただけますか。

高梨 千葉県では、地方分権の下での政策作りの一つのあり方として、堂本前知事が「健康福祉千葉方式」を提唱していました。これまではどちらかというと政策作りは行政が中心になって、それが議会で決議されたわけですが、福祉の問題については必ずしも当事者のニーズに合致したものとは限らない、絵に描いたもちになりかねないという問題がありました。

そこで、自分たちの問題は県民自身で考えるという仕組みを取り入れて、基本的な施策作りは官民共同で行うことになりました。民は公募によるボランティアの委員で、自主的に集まった方たち。行政側は事務局に徹する形で施策作りをして、案文を議会に持ち込むやり方です。

聞くところによると、千葉県以前に取り組んだ山梨県が条例まで行かなかったのは、障害福祉の関係課と障害者団体の間で案文を作って議会に持ち込んだために、議論が高まらなかったことに原因があるようです。その後、宮城県でも浅野知事のときに条例作りが試みられましたが、行政主導で作ったために、障害者団体から「自分たちの意見が反映されていない」とけられてしまったようです。千葉県では県民の間で合意形成ができないものは、作ったとしても定着していかないという思いがありましたので、県民の間での議論の高まりを重視しました。

研究会は月2回のペースで1年間開き、座長が中心になり、関係者にニュースレターのような形で議事録を発信して議論を高めていきました。広域の障害福祉圏域ごとの中核地域生活支援センターが中心になり、県内30か所以上でタウンミーティングを行い、3千数百人が議論に参加しました。定例会のほかにも臨時に集まったり、ミニ集会を関係団体などが開きましたが、すべて手弁当です。

条例案は2005年12月にできたのですが、議会の大反対があり、教育や労働関係の方たちからも慎重論がたくさん出まして、修正が加えられました。研究会のメンバーは反対も含めた議論が出発点だと考えていましたから、そのたびに集まって対応を協議しました。大変は大変でしたが、時間がかかって議論されたことは、県民の関心を招いていって、結果的には成功した一番の大きな要因だと感じています。

野村 私はいろいろな事例を集積したことと、県民との意見交換としてタウンミーティングを何回も開いたことが大きかったと思います。最初は大反対をしていた会社の経営者が、そのうちに大推進派になったという話も聞きました。地道な活動をされたのだろうと頭が下がる思いです。

愛知―政治主導でスタート

山田 愛知県の場合は、約2か月で800ぐらいの事例が集まりました。千葉県の先例があって機運が盛り上がってきただけに、民主党主導で障害者団体のヒアリングをしたのですが、短期間に本当に多くの団体が来てくれました。障害をもったわれわれ、家族、関係者が意欲的であったと思います。

いろいろな障害を越えてADFという一つの組織ができたことが大きなバックアップになり、障害の違いを集約し、一つの目的に向かっていくという大きなメリットがありました。

デメリットは、去年12月に民主党が県議会に出しましたが、去年9月ごろからいつ選挙かと言われていましたので、いい悪いは別にしていわゆる政局になってしまいました。

われわれが請願に行ったときに、相手の党から出てきたものは絶対反対だとあからさまに言われました。政局に巻き込まれてしまったという現実はありましたが、逆に何度も練り直して、愛知県民に自信を持って提案できるものになったと思っています。

印象に残っていることは、東弁護士とDPIが中心になって作ったたたき台をかなり取り入れて、権利条約に近い愛知県ADF案を持って各党をまわったのですが、公明党の議員団長さんが弁護士さんで、「ちょっと権利性が強すぎますね」と言われました。

理想に近いものをとADF案を作りましたが、日本の社会では通るかどうか分からないという危惧はあり、現実には民主党案に落ちていくのではという思いは持っていたので、権利性の部分は改訂してきました。

野村 この問題は、全会派的な観点に立てる問題だと思いますので、いかに巻き込むかが立法化に向けての課題なのでしょうね。

山田 そこがわれわれが一番心配しているところです。去年の12月議会では障害者団体の声しか聞いていないのではないか、各界の声を聞いていないのではないかという指摘を受け、その後、民主党がいろいろな団体にヒアリングをしたり、タウンミーティングを開いてきました。民主党は少数派ですから、議会で通るといいなあという願望を持っています。

野村 千葉県の場合は、知事から議会に提案したのですか。

高梨 条例案を私どもが作って、知事に提出して、知事が議会に提出しました。反対が大きく、いったん取り下げて、県の常任委員会で再検討して修正を図り、常任委員会から提案をしました。

千葉県も圧倒的に少数与党でしたから、議員さんたちにどれだけの思いを持って条例案を作っているかのインパクトを与えたい、知事の支援もしたいと、議会傍聴に行きました。傍聴席があふれてしまって、モニターを見ながら傍聴しました。採決は一部退席した方がいましたが、全会一致でした。

また座長が議会に出席して説明もしました。傍聴とマスコミの使い方は大事だと思います。議会の場では、自民党に反対議員が多かったようですが、タウンミーティングに積極的に出てきて理解をしてくださる議員さんもいました。

熊本―一歩ずつ前進

中西 熊本の場合、現在までのプロセスでたいへんなことはありましたか。

松永 私個人としては、特にたいへんだったことは感じていません。最初の研究大会のときに弁護士の東さんがきちんと説明したため、みなさんの理解に大きな違いはなかったような気がします。それが一番よかったのではないかと思います。差別禁止条例を作ろうという気持ちはみんな持っていましたので、大変なことはなかったと思います。

会を立ち上げたときの問題の一つは、差別禁止条例を作るだけではなく、今後どう生かしていくのか。条例を作っても本当に生かされていくのかということです。

一番苦労しているのは、内容をどうするのかです。何が差別に当たるのか、このあたりをきちんと説明するのにどう整理していけばいいか。もう一つは、条例を作るに当たって、われわれだけで取り組むのではなく、住民に理解を広めていくにはどうしたらいいか、千葉や愛知の方の意見をいただいて持ち帰ろうと思っています。私たちとしては、できる限り地域でもワークショップを開き、少しずつ住民に認めてもらう機会ができたらいいと思っています。

また、小中学校のカリキュラムに入れて教えることも考えています。教科書ではなく、障害者本人が学校に出向いて教えるのがいいという意見も出ました。アメリカの例として、エイズの話をするとき、本人が話をするのと同じ考え方です。

条例の特徴

「合理的配慮の欠如」を規定

中西 千葉では条例ができて、愛知でもできつつある、ということですが、条例の特徴をお話しいただけますか。

高梨 差別の定義について、福祉サービス、医療、教育、商品・サービス提供、不動産取引など8分野に分けて、それぞれに不利益取り扱いと合理的配慮の欠如などについて規定をしています。それが一つの特徴だと思いますが、あくまで話し合いで解決することを前提にして、罰則規定は設けておりません。

合理的配慮についても、過重な負担になる場合は当面やむを得ないとして、適用除外を設けています。熊本の方からもお話がありましたように、何が障害を理由とする不利益取り扱いなのかが、県民から見ると分かりにくい。これを明らかにしないと、障害者への対応を共通のルールとして身につけることは難しいのではないかと考えて、一般的にこう考えるべきであろうという、A4で百数十ページにわたる解釈指針を別に作っています。今後事例が積み上がることによって、より充実させていくべきだと思っています。

たとえば自閉症のお子さんがお母さんと一緒にクラシックコンサートに行く。慣れない環境でパニックを起こして大声を出して、「外でしばらく休んでください」と係員に言われた。母親は入場券を2人分買っているし、パニックを起こすのは日常のことだから、障害を理由とした退場処分だと思うかもしれない。

しかし、クラシックコンサートは、静かな環境で音楽を聞くという共通の目的があります。ここで大声を出せば、障害があるなしにかかわらず迷惑ですから、「外でしばらく休んでください」と言われるのは当たり前です。

こうした問題は、障害を理由とした退場処分とは言わないというように、分かりやすく解釈指針を設けています。それに対して、どういう配慮が必要なのかも例示としてあげています。

過重な負担となる場合の明確な基準はないのですが、四つの視点で判断するとしています。合理的配慮をする実現性があるかどうか、その事業所にどれだけの負担がかかるのか、それに変わる方法はないか、事業規模などを勘案して判断します。

たとえば車いすの方が、2階のカウンターだけの居酒屋に行きたいと思っても、エレベーターがないので入れない。お店はエレベーターをつけたらカウンターがなくなって商売にならないというように、すべてに対応しきれない。過重な負担かどうかは、言いっぱなしですと判断はつきませんので、解釈指針の中で、事業所側が資料に基づいて説明する責任を持つことが明記されています。

解決のための三つの仕組み

中西 千葉県の公募の研究会は今も存在するのですか。具体的にどのように推進されているのですか。

高梨 研究会は解散しました。制度的には三つの仕組みを盛り込んでおりまして、一つは個別事案の解決の仕組みです。650人ほどの身近な地域相談員が知事の委嘱を受け、その上に非常勤の県職員ですが、障害福祉圏域ごとに16人の広域専門指導員が任命されています。

最終的には知事の附属機関、障害のある人の相談に関する調整委員会で審議をして、必要があれば知事に勧告、斡旋などの進言をするとなっています。

それでも解決がつかないとき、差別を受けた者が訴訟に訴えたいという場合、訴訟費用がない場合は、調整委員会の意見を聞いて知事が訴訟費用を貸し付けることができます。

二つ目は、個別事案の解決だけでは追いつかない問題、たとえば車いすの駐車スペースに県民が車を止めてしまう、補助犬の入店、入院拒否などについては、その場その場の解決ではなく、慣習や県民の意識を変える取り組みが必要です。

銀行協会の代表とか、各界の代表者で構成されている「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり推進会議」で、提起されたテーマを議論することになっています。それぞれの業界の問題は、代表者の方を通じて県下全域で取り組むようにしたほうが、実効性が高まるだろうと考えられています。

また、こういう取り組みをしたら問題が改善されるのではないかということについては、県が民間の人たちに施策提案型事業を募集して、審査に通ると最高100万円の補助金を出しています。

たとえば歯医者さんに自閉症の人が治療にきた場合の対応マニュアルを作るとか、町のバリアフリー点検をして提案をしていくとか、スーパーのレジなどの知的障害の人への対応マニュアルを作って加盟店に配布して理解を求めることなどが採用されています。

三つ目の仕組みは、よく取り組んでいる事業所を公表していくことですが、これはまだ動いておりません。

事例については、プライバシーに配慮した形で自治会での議論や学校での教材に提供して議論していただくことによって、いじめの問題の改善にも波及効果があるのではないか、また異文化異言語の中で暮らす少数の外国人の問題も拾われていくのではないか。そのようなことを通じて、県民全体が共に暮らすとはどういうことなのかへの理解につなげていくという仕掛けは設けていますが、まだそこまでは動いていません。

また、テレビコマーシャル、学校での体験発表会、小学生用のマンガ教本の作成など、いろいろアイデアは出ていますが、具体的にはまだまとまっていません。

中西 地域の人が集まって作った法律ですので、いろいろな知恵を出してあっていて、おもしろいですね。

10分野で「障害」「差別」を考える

山田 愛知県では、千葉県をどう越えていくかが大きなテーマでしたが、それは随所に出せたと思います。外部の関係者として私は条件を出して、民主党案に積極的に加わりました。

障害とは何かという定義を明確にしてほしいこと。個人の属性ではなくて、社会との関係、いわゆる社会モデルをベースにしてほしいことと、差別の定義をしっかりして、差別をされたときにはきちんと救済できる仕組みをつくってほしいとお願いしましたが、当然だと認められました。

障害の定義は、「障害とは」「障害のある人とは」の二つに分けて組み込んで、差別は「直接差別」「間接差別」「合理的配慮」を入れています。合理的配慮はいろいろな団体にヒアリングをしたとき、なじまない、止めろという意見で、民主党が「思いやり」という言葉に変えました。私は反対だと孤軍奮闘したのですが、弁護士会とのヒアリングで、法律では「思いやりの否定」はダメだと明確に言っていただいたので消えました。

いわゆる合理的配慮は、条約に一番近い形の文章そのままを載せたと思います。いろいろな曲折があったことで、ある面ではとてもいいものになったのではないかと思います。

もう一つは、教育の問題でも不利益な取り扱いの中の教育という中で、原案をそのまま持ってこようということで趣旨は十二分に生かせたと思っています。

千葉県は8つですが、愛知県は公職選挙法と行政手続きサービスの利用を加えて、10の分野にしました。愛知県は山村、農村、漁村あり、大都市や中核都市ありで、地域間格差が大きいので、その格差をいかになくしていくか、きちんと訴える場を作っていこうと、行政手続きが上がってきました。

直近で直したのは、不利益な取り扱いの7番目に、「障害のある人たちのための施設の新設などにあたって反対する場合は」という文言があったのですが、表現の自由を侵し、憲法に抵触すると言われて、反対という言葉をとって、「制限し、条件を科し、不利益な取り扱いをする」ことで収めました。

中西 愛知では、どのような人たちがメンバーなのですか。

山田 プロジェクトチームの座長の議員さんのお嬢さんが障害をもっておられて、条例に思い入れをもっておられました。たとえば、権利委員会の構成委員についても、10人以上のメンバーで構成し、その過半数は障害者およびその家族、関係者で構成するとうたっているのが、大きな特色だと思います。障害者が過半数だと意見が偏るという反対は圧倒的に多かったのですが、座長が自分のポリシーだと強く主張され原案通りになりました。

千葉県でできなかったことを愛知県でどう入れていくかを考えましたが、基本的なことの8割方は千葉県がベースになっていると思います。

野村 愛知県の障害の定義は、もし条例になったら初めての社会モデルだと感動しました。第二条の定義で、「この条例において、『障害』とは社会的環境が個人の疾病、変調、傷害等に伴う心身の特徴を受け入れないことにより、個人の日常生活や社会生活に制限を受ける状態をいう」とうたわれています。それに、権利委員会に障害のある人が参画するのはすばらしいことですね。

権利条約との整合性は?

中西 法案のレベルに近づいていくと、権利の色合いが薄れてきて、愛知の場合は、社会モデルの考え方、権利に基づいた考え方が出てくる前の段階ぐらいで止まっているかなというのが私の印象です。国連の人権委員会で、障害者の権利ははっきりと認識されていますが、日本の状況では権利性を出すのは難しいですか。

野村 そういうことは決してないと思います。少数者が無視されたり、差別されたり、不利益な取り扱いをされることを救済するのが人権です。そのためには法律が必要です。

千葉県の条例は、実質は差別禁止条例だと思っていますが、「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」という名前にして、県民への浸透を図ったというお話を聞きました。それはもっともなことだろうと思います。問題は中身です。生活の各場面で事細かに合理的配慮まで踏み込んで書かれていて、苦労されたのだろうと感心しています。

中西 愛知県も「障害のある人もない人も共に暮らす愛知県条例」ですね。北海道も、「暮らしやすい」としていました。その辺が条例の限界でしょうか。

野村 大事なことは、みなさんからも出ていましたが、何が差別かというカタログみたいなものですね。弁護士は、障害のある方が人権を侵害されたり差別されたりして困っているとき、法律という武器を使って救済を図ろうとしますが、法律が不十分なために差別にはならないとして救済ができないことを目の当たりにしています。そのために、現実に救済を図れるものを作ろうというのがわれわれの立場です。

障害のある方が当事者として声を上げていくこととあいまって、よりよい条例や法律ができていくのだと思います。

高梨 私たちの研究会は公募ですので、県民の縮図のようなメンバーでした。参加している委員の思いはさまざまでしたが、個人的な思いとしては、欧米に比べますと、日本人は権利性という意識が低い。併せて自己責任についてもあいまいです。そうした中で、権利性を前面に打ち出したものはなかなか定着が難しいのではないか。特に千葉県は保守王国でしたので、落としどころが気になっていました。

今後の課題になりますが、千葉県の条例は県民から寄せられた事例を出発点にしているために、内容的に日常生活に関する問題が中心であることと、「条例は国の法律の範囲内」という限界があり、法律を越えることが非常に難しかったことがあります。そういう意味ではかなり不十分なものになっています。国レベルでの差別禁止法があって、自治体レベルでの県民運動があって、両方あいまって共に暮らす地域社会づくりが可能になっていくのではないかと感じています。

権利条約は黒船―地域の流れを

大きなうねりに

野村 障害の観点で人権の体系ができることは、さらに広い意味があります。日本の高度経済成長の中で作られた社会の制度、システムはハードもソフトも含めて20代、30代の元気のいい、それも男性中心です。そういうシステムに対して声を上げていくことは、みんなが共生する社会を作っていく原動力になる、そういう意味でも社会的に意義があると思います。

人権法ができると、人権を侵害する具体的な事例を救済する手だてになりますし、そういう法律が社会に広く浸透していけば、不合理な差別が減っていくという効果がありますので、法律は作らなければと思っています。

その際に、各地方自治体の地道な努力、条例の積み重ねは大きな原動力になると思います。アメリカでは公民権法などの歴史がありますが、日本では人権に関する法律は薄い。それを作っていく好機であると考えています。

明治維新にたとえると、権利条約は黒船です。国を変えたのは藩=地方でした。明治維新で各藩を変えていったのは、当時の下級武士、差別された人たちです。地方自治体からの流れを大きなうねりにして、障害があることを理由に差別されてはならないという法律を作り、現実的な救済ができることで差別がなくなっていく世の中を目指したいと考えています。

まちづくり条例が地域ごとにできて、ハートビル法になりました。その前例もありますので、全国各地に条例ができてくればと思います。

高梨 国連の権利条約批准と自治体が作っている条例との関係をどのように表現したらいいのかと考えていたのですが、黒船と薩長の運動が明治維新を起こした、まさにそうだと思いますね。

今後の取り組み

浸透させ、成立させるには

中西 これからの取り組みはいかがですか。

高梨 これからどうしていったらいいのか、私自身は思案しています。条例の浸透を図るための形はできていますが、事務局は県の障害福祉課にあります。権利条約のように救済機関としての第三者機関があればいいと思いますし、教育委員会や公安委員会のような独立の機関でありたかったのですが、「条例の限界」から今の形に落ち着きました。

行政や司法手続きに関する問題やサービスの質や支給量の問題になかなか対応しきれないのですが、守りの姿勢になっては意味がない。その辺が今後の大きな課題かと思っています。

県の特性を生かした条例の実現

山田 愛知も保守王国で、県議会の構成は自民党と公明党が2、民主党が1、共産党はゼロです。議員立法を目指していますが、条例の成立はそう簡単ではありません。典型的な議員立法ですから県はかかわっていませんが、議員さんが条文に仕上げるまでには、さまざまな分野からの検討が必要で、それを一つ一つクリアにしていくことは大変だなと思いました。2年間、議論を積み重ねてきましたが、その成果があったと思います。

千葉県の前例があるので、二番煎じではなく愛知県の特性として権利性を出して、差別されたときに訴える場をきちんと作って救済する仕組みを作ってほしいというのが、私の思いです。宣言条例にはしたくありませんね。

高梨 愛知県のお話をうかがいながら、後からのほうがいいものができるとうらやましいのですが、千葉県の場合、一時は廃案になりそうでしたので、なんとしても形を残したいとかなり譲歩したところがあります。

千葉県では、県民中心の「差別をなくすための研究会」が母体となり、法律の範囲内で最大限の条例にしたいという願いでしたので、障害者の方たちが中心でつくるものとは権利性が若干違うと感じます。

障害の定義もWHOの考え方にしたかったのですが、そうはいかなかった。条文では、障害者基本法と発達障害者支援法でうたっている障害の範囲になっているのですが、運用は限定していなくて、できる限り拾っていくことになっています。

県に事務局を置いたことは、障害のある方たちが自分たちの問題を県に聞いてもらえると思えるということもあり、大きな意味を持ったと思っています。行政側も、障害者の身近な問題を知る大きな機会になったと思います。

昨年、私は千葉県の第四次障害者計画のとりまとめをしましたが、県が以前と違って率直に障害者の問題を受け止めてきていると感じて、別の意味でも大きな意味があったと思っています。

中西 熊本県は条例作りを始められるところですが、検討会ではお二人のお話と同じようなことは出てきましたか。

松永 障害の定義をはっきりしないと取り組めない面があると思います。大切なのは、差別の定義をきちんと示し、合理的配慮とは何かについてもきちんと示す必要があると思います。権利条約には先ほど言われたとおり、明記されていますから、どう作るかはこれからの課題だと思っています。今は聴覚障害から見た考え方ですので、もっともっと整理していかなければと思います。県議会に出して審議してもらう方向であることは間違いありませんが、どう取り組むかはこれからの課題です。

中西 どのくらいの割合で会合を開いているのですか。

松永 1か月に1回です。そのほかに各団体が日を決めて集まりをもっています。ろう協会は月1回、ワークショップを続けています。500ほどの例が出されていますが、20ぐらいずつを各団体で協議しその結論を持ち込んで、次の会議で検討する方法で進めています。

障害者自身が立ち上がって行動

松永 私は一つ気になることがあります。障害者権利条約の中に差別という言葉がところどころに出てきます。障害者の権利の改革から言えば、差別ばかり出すのではなくて、こうあるべきだと書いたほうが分かりやすいのではないかと思います。

差別という言葉を出すと、一般国民は障害者だから差別があるとか、障害者の差別をかえって意識するのではないでしょうか。条例には少し違った方向の表現が必要ではないかと思っています。

野村 2001年の人権擁護大会で障害者差別禁止法という言葉を先輩の弁護士から聞いて、私も正直ドキッとしました。言葉が突き刺さるような感じで、機会均等とかバリアフリーの世の中を目指そうというほうがいいのではないかという議論も出ましたが、このくらい強い言葉で言わないと社会は動かないのだという話がありまして、なるほどと思いました。

日弁連が障害者団体をまわったときに同じような意見が出ましたが、私は「差別禁止と百回言ったら、慣れてしまいますよ」と言いました。実際、障害者団体は差別禁止法を作ろうという動きになっています。

今私たちは何を言うべきか。合理的配慮も認知されていない言葉ですから、百回唱えよ。そうすれば浸透していくのではないかと思っているのです。少数者が捨てられないために人権がありますので、差別があってはならないと言っていいと思います。

拒否反応を受けることには十分注意しなければなりませんし、現実に地域で暮らしている障害のある方は表立って言うといろいろ摩擦があることは分かりますが、それを変えていくこと。そういう言葉さえ要らなくなる世の中を、われわれは目指すべきだと思います。

中西 つまりは、障害のある人がそれくらい命をかけてやっていけというメッセージですね。

高梨 事例の背景を調べていく中で、障害を知らないことで起こっている事案が非常に多かったんです。障害を知ってもらうには、障害者が立ち上がって周囲の人たちに自分たちの気持ちを伝えない限り、理解されていかないと思います。

千葉県の条例の基本理念でも、十分に話しやすい環境を整えた上で、望まれる地域社会作りのために、障害者も一人の県民として自らの経験、生活のしにくさを周囲の人たちに伝える努力が必要だと明記しています。そうすることで、障害者の権利を獲得するだけではなく、障害者が県民の一人として重要な貢献を果たしていくのだと思います。

松永 私も同じように、障害者自身が前面に出ないといけないと思います。障害があることを隠していれば、社会は分かりません。聞こえないことを隠すのではなく、聞こえませんと言わないと、社会は分からないと思います。

手話通訳がいないとき、航空会社では紙を出して書いてくれるように変わってきました。障害はきちんと出して、障害者としての取り組みをしたいと思います。

条約の批准、条例の広がりを

中西 これから権利条例に取り組みたい市町村などの障害者団体では、一つのモデル、たたき台がないと進みにくいと思います。千葉の方たちが積極的に発言していただくことはとても励みになり参考になりますので、県の中だけではなくて、県外でも活動を続けていただきたいと思います。

高梨 条例が成立して、研究会が解散するときの懇親会の席で、私は挨拶しました。「研究会の思いからはかなり譲歩して、条例が自分の娘だったとしたら、衣類はボロボロになったかもしれない。しかし、かけがえのない娘を、全国に自信を持って送り出そうではないか。そして、それぞれの自治体できれいな衣を着せてもらって、いつかりっぱな娘となって里帰りしてほしい。それが千葉県としての役割ではないか」と。

野村先生のおっしゃったように、薩長は明治維新によって必要なくなりました。国で法律が整備されれば、地方の役割も変わり、条例の役割もそれに合わせて変えていかなければならないと思います。千葉県を踏み台にして全国に広まって、国を動かすところまでいってほしいと願っています。

山田 この4月に、名古屋市では民主党の河村市長が誕生しました。選挙のマニフェストで高齢者、子ども、障害者の権利条例を作ることをうたっていますので、愛知県を超える差別禁止条例、権利条例のようなものを作っていく作業に入っていきたいですね。私は経営アドバイザーとして、河村市長のスタッフに加わっていますので、これから実現を目指したいと思います。

地域全体に理解を広める

松永 差別禁止条例を作るには、熊本県では取り組まなければならない問題が三つあると思います。一つ目は、障害者自身が条例の意義をよく理解をして、説明できる力を持つこと。二つ目は、同時に県民全体に理解を広めること。三つ目が政治関係です。

障害者の理解は、研究会はできましたが、主に県レベルだけで、地域の障害者は知らないということを考えて、地域で考える会のようなものを広めていく運動を始めています。

研究会への出席を議員さんに呼びかけたのですが、出席は半分ぐらいでした。政治関係はこれからもパイプを広げて、議会を通すような方法も考えていきたいと思いますので、アドバイスをいただければ幸いです。

野村 権利条約の批准が目前に迫り、条例が制定され、条例の制定運動が広がっています。日本を変える千載一遇のチャンスだと実感しています。一人ひとりの困っている事案を裁判所などに出しても、法律がなかったために実現できなかったという悔しい思いが、われわれを突き動かしています。現実に救済できるような法律を作る運動をさらに強めていきたいと思っています。

障害のある方には地域から立ち上がって、声を上げていただくことをぜひお願いしたいです。その一つの形として、条例制定運動は非常に分かりやすいし、意味があることだと思っています。相互に連絡しあって、47都道府県の人たちが議論するような広がりができればいいと思います。

中西 県レベル、市町村レベルで条例の策定、普及が進んでいくと思いますので、みなさんのご経験を講演などさまざまな場で教えていただけたらうれしく思います。今後、権利条約が批准され、条例が普及していくようにお力をお貸しいただけたらと思います。今日は貴重なお声と経験談を聞かせていただき、ありがとうございました。