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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年11月号

わが国における障害者差別禁止法制定の意義

金政玉

1 障害者差別禁止法が求められている背景

障害者の機会均等化に関する基準規則(序文5項 1993年に国連採択)では、「1960年代末にかけて、障害を持つ人の組織は数カ国で障害の新たな概念を形成し始めた。この新たな概念は障害を持つ個人が経験する制約と、障害を持つ人の環境の設計と構造並びに国民全般の態度とに密接な関係があることを示した。」と述べている。同パラグラフは、現在では障害分野において欠かせない基本的テーマになっている社会モデルに関する問題認識を形成し、それは障害者権利条約の採択につながっている。つまり、障害を個人の能力の問題としてとらえる旧来の「医学モデル」から、生活のあらゆる場面において困難と制約をもたらす社会的障壁に問題の焦点をあてることによって、障害のある人の問題を恩恵と保護的要素の強い福祉の対象から、人権の問題にシフトしていく重要な契機のひとつになったともいえる。

しかし、日本ではどうであったか。障害のある人が障害のない人と比べて対等な権利の主体者であるという認識が社会全体に希薄であるということと、憲法上の生存権や平等権を実現するために裁判(司法権)を通じて施策の具体的な実施を求めても、国や地方公共団体または民間事業者に対して施策の実施義務を規定している法的根拠がないために、ほとんどが門前払いか見るべき成果が得られない状況にある。

こうした状況の中で、現在、差別禁止法制定への機運を高めている主な国内外のファクターとして二つのことをあげることができる。ひとつは、国際障害者年を経てノーマライゼーション理念の一定の普及と、「どんな障害があっても地域で生きる権利の確立」を求める障害当事者のねばり強い運動が進展してきたが、地域生活を進めればそれだけ差別的扱いに直面する経験に出会う実態があること。もうひとつはアメリカ、イギリス、オーストラリア等における国際的な差別禁止法制定の広がりと、障害のある人の尊厳の尊重と差別禁止、平等権保障を締約国の一般的義務として明記した権利条約の国連採択の実現である。

2 障害者差別禁止法の基本的枠組み―自由権と社会権との関係

まず、障害者差別禁止法(以下、「差別禁止法」)を考えていく場合には、基本的な枠組みをどのように考えていくべきなのかということが入口の重要な論点になる。

一般的に人権にかかわる規定を大別すると、国際人権諸条約の枠組みをみても、自由権(市民的及び政治的権利として即時的実現が求められる)と、社会権(経済的、社会的及び文化的権利として漸進的実現が求められる)によって構成されている。両者は法的性格が異なるため、日本の憲法においても、自由権規定と社会権規定は別個に規定されている。

両者の法的理由が異なる主な理由は、歴史的側面から見ると、近代市民社会の成立が封建国家によって制限されていた市民の基本的自由を市民の手に取り戻すことが封建制から近代市民社会に移行するための闘争そのものであったため、そのプロセスを通じて成立した市民社会は、まず、国家に対する市民の基本的自由権を憲法で確認することが出発点になっていた。しかし、国家に対する自由権だけでは、実質的な意味での自由な生活(貧困からの自由と解放等)は実現されなかったため、それを国家の社会経済政策により解決することを通じて現代的な権利としての社会権が生まれた。

従って社会権はむしろ、市民の自由な活動を実質的に保障するために、国家の作為(政策に基づく法律や制度の創設)を要求する権利という形で位置づけられている。

人種、女性、子ども等の人権条約をはじめとする国際人権法の枠組みでは、特に1990年代からは自由権と社会権は相互に依存し補完し合う関係として解釈していくことが定着している。この点は、障害者の権利条約においても「すべての人権及び基本的自由が普遍的であり、不可分のものであり、相互に依存し、かつ、相互に関連を有すること並びに障害者がすべての人権及び基本的自由を差別なしに完全に享有することを保障することが必要であることを再確認し、」(政府仮訳 前文(c))と述べられていることとも関連している。

ここで留意しなければならない重要なことは、(障害のある人の)「基本的自由」に関する権利の実現は、差別を即時的に(短期間に)なくすことによって具体的に担保されるという点である。日々の生活の中で、障害のある人がひとりの市民として、自由に移動したり、建物等を利用したり、住みたいところに居住する。または希望する学校に通い、働く場を求め、実際に働く場合等に、障害に基づく制限や排除・分離・拒否等により不利益な取り扱いを受けること。またはサービスを提供する事業者が障害のある人に対して必要なサービスを提供しようとするときに、サービスを受ける当事者の障害の種別や特性に応じた必要な変更や調整を本人との話し合いによって行わなかったために必要な権利を確保できなかった場合(「合理的配慮」が提供されない)など、このような障害に基づく差別を即時的に少なくとも短期間のうちになくしていく仕組みがつくられなければ、障害のある人が障害のない一般市民と比べて平等に生活することそのものが脅かされ、その不利益な状態が放置され、さらに拡大してしまう。障害のある人がひとりの市民として生活していく上で、欠かすことができない権利(基本的自由)を実現するためには、障害に基づく差別を即時的になくしていくことが強く要請され、その仕組みとしての差別禁止法が必然的に求められてくることになる。

一方で、社会権(介助等の福祉サービス、所得保障、まちづくりの基盤整備等)の特質は、国や自治体の政策による法律や制度によって担保する点にあり、その政策を実施する上では、どうしても一定の時間と費用(予算)がかかるため、「漸進的な実施」という要素が伴う。

自由権と社会権では、こうした性質の違いがありつつも、社会全体が目指す障害者の権利に対する方向性においては統一される必要がある。差別禁止法は、基本的に自由権の枠組みに位置づけられることになるが、社会権の実現度合いと密接不可分な関係にあり、むしろ社会権の進展状況に対して、それを速め、適切に実施する方向に影響を与えるものでなければならない。

3 障害者差別禁止法の範囲と役割

差別禁止法の主な役割は、1.「障害に基づく差別」の具体的内容を明らかにすること、2.障害に基づく差別によって不利益な取り扱いを受けたときには、侵害された権利の救済をできるだけ速やかに行うことである。この1と2を行うときの判断の根拠になる社会の構成員の共通のルールを、裁判規範性のある法律として定めることにある。「差別は良くないことである」という抽象的一般論では差別を防止することはできない。何が差別であるのかのカタログを用意して、社会一般の物差しとなる法規範を制定することが不可欠であり、差別行為をした者に対して刑罰を求めるのではなく、人々の考え方や行動の物差しや基準を提供することに第一の意義がある。

(1)虐待等との関係

差別禁止法は、万能の特効薬ではない。差別禁止は、障害のない者との比較において障害のある人の実質的な機会の均等を確保する法的な仕組みである。

つまり、障害のない人と比べてどうなのか、という比較の問題であり、それ自体が禁止されるべき虐待や拷問等とは発想も仕組みも異なる。虐待や拘禁・拷問等の行為はそれ自体が禁止される行為である。他と比較した上で禁止される行為に当たるかどうかという問題ではなく、また、障害のある人に対する差別が合理的理由があるような場合に例外として許されるかどうかという問題も発生しない。虐待は、一定の行為が虐待に当たれば、絶対的に例外なく禁止されるべき問題になる。

差別禁止法の枠内に刑事罰を伴う虐待や拷問の問題を持ち込むことは、それらをかえって差別の認定と救済の範囲を狭める恐れがあるので、法律上の仕組みとしては別個に扱うべき課題であり、実効性のある障害者虐待防止法の制定が望まれる。

(2)社会権の対象となる法制度との関係

差別禁止法と社会権の対象範囲である介助等の福祉サービス、所得保障、情報の利用やまちづくり等の条件または環境基盤整備等との関係は、どのようになるのか?

福祉サービスに関する事例を考えてみよう。「必要な時間の介助サービスを受けられないことによって夜間の介助者がなかなかつけられない、お風呂にも満足に入れないという劣悪な状態が続いている。」

ここで問題となっている介助サービスは、自由権というより社会権の問題であり、行政のサービスによって、人としての最低限度の生活が保障されるという制度上の仕組みの中での問題である。サービスを受けるには、当該のサービスを利用している当事者の居住する市町村が、生活上のニーズを支援するための必要な予算措置と支給決定を市町村の裁量によって行うことが前提となる。

この問題事例との関係では、社会権の範囲にある現行の障害者自立支援法で定められている介助サービスの支給決定そのものは、現状では、利用者からの「聞き取り・意向調査」「認定審査会での審査と判断」等の手続きに沿って支給決定が行われ、利用者が納得できない場合には同法の不服申し立て制度を使うことになる。

しかし、実際には国や都道府県からの負担金は、障害程度区分ごとの国庫負担基準によって算定される仕組みとなっており、事実上、国庫負担基準を上限にした支給決定をしている自治体が多いのが実情であり、そのために、必要なサービスを得られない。それどころか、これまで認められていたサービスすら後退するという事態も生じている。

そこで、このような裁量の幅をいかに制限し、当事者のニーズに沿った支給にするかが、大きな問題となる。この問題を考える上で、「地域で生活する権利」ということが、重要な課題となる。行政はこの権利が保障されるように、介助サービスを提供することが求められることになり、その点からみていくと、他の人の生活と比較して、それと異なる劣悪な状態を放置するのは権利侵害とも言える。このような視点から差別の問題に引き直して考えると、そもそも制度の大枠として、一般の人がお風呂に入る程度の回数が保障されないような制度設計自体が、制度の不備または欠陥による制度上の差別の状態を招いていることになる。

従って、差別禁止法の側からは、そこで問題となる権利の存在を明確にし、その権利における差別を認めないとすることで、まず何よりも、現状の障害者自立支援法に対して基本的人権を侵害しないような制度であることを要求することになる。

そのような意味でこの場合、差別禁止法は、個別事案の申し立てによって、制度上の解決に即座に役立つというわけではないが、短期間のうちに制度のベースを見直してサービスの水準を引き上げることを促し、そのことによって無制限な市町村の裁量権の行使を制限し、ニーズ中心の法制度の構築に向けた基礎的な問題提起の役割を果たすことができる。

このように差別禁止法と社会権の対象となる法律や制度がそれぞれにカバーする守備範囲は、自由権と社会権の枠組みの違いによって、おのずと住み分けされることになる。しかし、差別禁止法が有効に活用され、それが生み出す効果によって、結果として、社会権の範囲に含まれる福祉サービス等の予算措置をはじめとする条件整備または環境整備等の最低限を画し、障害のある人のニーズに適切に対応できる法制度を実現する「橋渡し」の役割を積極的に果たしていくことが障害者差別禁止法に期待されているということができるだろう。

(きむじょんおく DPI日本会議)