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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年11月号

列島縦断ネットワーキング【広島】

福祉と地域の協働によるまちづくり

寺尾文尚

「ひとは」というところ

ひとは福祉会の運営理念には、「私たちは実践的、経験的に知的な障がいのある人たちは『誰でもが共に暮らせる文化』の発信者であり、人間を大切にする社会を確立する上で必要な人材であると確信しています」と知的な障がいのある人を位置づけ、「ひとは福祉会は、『誰でもが共に暮らせる社会』を目指す文化の発信基地となり、ひとは福祉会にかかわるすべての人たちと共に、自分づくり、地域づくり、社会づくりを進めていきたいと思います」とあります。

すなわち、ひとはは知的な障がいのある人たちのための施設ではなく、知的な障がいのある人たちとともに、自分たちの住む町のまちづくりを進めるための活動拠点なのです。そして、大樹も1枚1枚の葉にそれぞれの役割があるように、障がいのあるなしにかかわらず、社会を構成する一員としての役割を認め合える関係を築きたいという願いが「ひとは」という名称に込められています。

ひとはの在所する安芸高田市は、旧高田郡6町が合併してできた自治体ですが、ご多分に漏れず過疎化の波はひしひしと押し寄せてきています。ひとはは1985年、無認可の作業所として1名の仲間と廃屋を借りてスタートしました。でも、「ないものねだりをしない」「地域の特色を生かす」「自分の生活するところが、地球のど真ん中」と意気軒昂、まじめに面白がっていました。

当時の記録を見ますと、「5時を過ぎると、サロンひとはに早変わり」とか「大工は来ないが大八が来る」という文章が出てきます。本当に地域の人が足しげく会社帰りに寄ってきて、酒を飲みながらほらを吹いていましたし、金がないことを知っているので大工さんに依頼することはできませんが、日曜大工の得意な人が、ひょっこりやって来ては、修繕を引き受けてくれていました。行政的な助成はないにもかかわらず、ひとはは地域の人たちの知恵と力で、「おもろい、おもろい。ひとははおもしろいのが一番じゃあ」とばかり、地域を巻き込んできました。

その原動力が、毎月発行する「ひとはつうしん」です。さすがに町内全域に配達できませんが、許す限りみんなで手分けして配達します。時間もかかるのですが、各戸に配達するたびに声を交わしたりできることは大きな励みとなります。お互いに名前を知り合い、固有名詞で呼び合える関係が徐々に広がっていきます。各戸配布と手書き通信の伝統は今もって継続しています。

長田下地域自治振興会と協働の地域づくり

合併を機に、住民の意見を反映できるシステムとして、市内に37の自治振興会ができ、それぞれに特色のある地域づくりを目指すことになりました。無論行政のスリム化と重ね合わせた部分も大きいのですが、十分に「逆手に取る」ことのできるシステムです。

ひとはの在所では、長田下地域自治振興会ができました。世帯数わずか百十数戸というこじんまりとした振興会です。すでに個々には、いろんな取り組みでひとはとの関係も築けてはいましたので、取り組み自体にさほど困難はなかったのですが、振興会から示された特色のある地域づくりとして、福祉(ひとは)との協働ということが上がり、第1回の総会で満場一致で承認されたのです。無論、ひとは福祉会は安芸高田市の社会資源としての役割もありますが、微視的には、在所地域の住民として地域づくりに大いに関わりたいと思っていました。

縄文の池作り

ちょうどその頃、ひとはと県道の間にある休耕田の所有者から有効な利用を委託され、県共募にも働きかけ、地域と福祉と共同募金会の三者によるビオトープ縄文の池作りに着手しました。縄文の池の名称は、ひとはで製造している縄文アイスクリームに由来するものです。ちなみに、ひとはには、県道沿いにひとは館という販売店があり、館内で製造販売している名物商品が縄文アイスクリームです(昨年度ひとは館全体の売り上げは約1700万円程度ですが、そのうちアイスクリーム部門が約8割を占めています)。

縄文の池は、アイスクリームを目的に立ち寄ってくれた人たちに、潤いと安らぎを提供しようとするものです。市から特色のある地域づくり助成として交付された資金をつぎ込み、住民(むろんひとはの仲間も)が汗を流して作り上げていきました。休耕田の草茫々は、見事なビオトープ縄文の池に変身です。

行事の交歓

振興会の設立を機に、地域の伝統行事であった「おかげんさん」「盆踊り」「とんど」などをはじめ、地域行事にはひとはからも多くの仲間が参加し、担ぎ手や踊り手になったり、おいしい竹酒に舌鼓を打ったりと大活躍です。盆踊りの前に練習期間があるのですが、2日間はひとはの前庭で実施されます。仲間が練習に参加しやすいようにという、地域の優しい配慮です。

無論、ひとはが主催するひとはまつりや人間ホールという行事には、地域の人たちがはせ参じてくれることは言うまでもありません。

いつでしたか、地域の人たちと酒を酌み交わしながらの談笑のときのことです。ふと漏らした言葉に「正直、ひとはができた頃は構えていたけど、今じゃあ慣れてしまったよのう」と言っていました。「知的障害者」と一括(ひとくく)りにしていたことから、固有名詞での付き合いに変わってきたことの証しだと思います。

これからのまちづくりに向けて

長田下地域自治振興会も当然のことながら高齢化の波が押し寄せます。それに怯んではなりません。福祉を利用してより自分らしく生きることを求めて、やはり面白がらなければなりません。まず第一に考えていることは、共同イベントを企画し、お互いに小金を儲けることです。農村地帯の良さは、就労定年という第一線を引退しても、人材はそう簡単に引退できないことです。むしろこれからが花盛りと言ってよいでしょう。ひとは利用者の会きららの合言葉は「できることは自分で、できないことはしっかり頼もう」ですが、地域全体でそれぞれに自分の得意技を生かしながら、「お互い様よ」と存在感、役立ち感を実感するために、ひとはは何ができるかを考え続けていきたいと思います。

(てらおぶんしょう ひとは福祉会理事長)