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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年12月号

時代を読む2

「完全参加と平等」を目指して
―「国際障害者年」から28年

板山賢治

1981年の「国際障害者年」(International Year of Disabled Persons(以下、IYDP))は、国際連合が「世界人権宣言」や「障害者の権利宣言」等の主旨を踏まえて、地球上に住む5億人といわれる障害をもつ人々の「完全参加と平等」の実現を世界の国々に呼びかけた大キャンペーンの年である。

そして国連は、83年からの10年を「国連・障害者の十年」として各国が「行動計画」を策定・推進するよう呼びかけたのであった。

これに対し、日本政府は、中央に「国際障害者年特別委員会」(委員60人中障害者代表15人)及び「推進本部」(総理大臣が本部長)、「障害者担当室」(総理府)を設置するとともに「総理大臣談話」「衆・参両院」の決議、「障害者の日」(12月9日)の制定、「記念切手」の発行、「不適切用語の改廃」等を実現する一方、「障害者対策に関する長期計画」(82年~91年)を策定、その推進に努めたのである。また、すべての都道府県・指定都市においても「障害者対策長期計画」が策定、推進されるほか、各種記念事業が活発に実施されていた。

こうした中央・地方の動きの推進力となったのは、障害者団体の活動であった。遅れている障害者施策の前進をという関係者の悲願は、それまで割拠・相剋していた当事者団体の結団を促し、100団体余による「国際障害者年日本推進協議会」(略称・推進協、事務局は本協会)の結成となった。その後、推進協を中心とする当事者団体は、中央・地方の政策形成への参画を通じ、さらには、アジア・太平洋地域をも視野に入れた「行動計画」の策定・推進等のキャンペーンの展開において、中心的な役割を果たして今日に至っている。

IYDPからすでに28年。その目指した「完全参加と平等」の到達状況は、どう評価されるのであろうか。「障害者権利条約」や「障害者自立支援法」のあり方が鋭く問われている今日、「温故知新」、IYDP以後のわが国障害者施策の展開を検証し、これからの展望に資したいものである。

(いたやまけんじ 日本障害者リハビリテーション協会顧問)

【参考文献】

・『完全参加と平等を目指して─国際障害者年の歩み』日本障害者リハビリテーション協会、1982年3月

・『完全参加と平等への挑戦』国際障害者年日本推進協議会、1991年12月