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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年1月号

こう変わるべき障害者施策
福祉の量的、質的保障を

福島智
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事

目と耳の両方に障害を併せ持つ「盲ろう者」にとってもっとも深刻な困難は情報を入手し、発信する手段が著しく制限されていることであり、移動の自由がほとんどないことである。目の機能と耳の機能を補い周囲の情報を伝えるためには「通訳」が必要であり、移動の自由を保障するためには「介助」が必要である。私たちはこれらのサポートを提供する人を「通訳・介助者」と呼んで聴覚障害者のための「手話通訳者」や視覚障害者のための「ガイド・ヘルパー」の制度と区別をしてきた。そして、平成21年4月から、ようやく障害者自立支援法の下で、都道府県の行う地域生活支援事業としての「盲ろう者向け通訳・介助者」派遣事業が全都道府県で実施される体制が出来上がった。これによって、盲ろう者にも何日に1回かは人と会話をし、自分の手で直接商品に触って買い物ができ、テレビやラジオを通じて流れ出るニュースの何10分の1かは手に入れることができるようになったのである。

ところが、多くの道府県がたとえば1年間に240時間以内というような派遣時間の制限を設けている。つまり、「盲ろう者」の場合は、多くの県において1日40分くらいしか「人間としての当たり前な生活」が許されていない。言ってみれば「名目ばかりの制度の谷間」で犠牲を余儀なくされている存在なのである。

原因は地域任せの「地域生活支援事業」にある。福祉は原則地域でという考え方は良いにしても、資金が圧倒的に量的に不足しているのである。それだけでなく地方自治体にとって、ただでさえ乏しい予算の配分先は既存の団体が優先される傾向があり、私どものような新顔の団体が入り込む余地は極めて少ない。したがって、制度はできても中に入れるものが作れない。

「盲ろう者向け通訳・介助員派遣制度」に関しては、幸い現在のところはどの都道府県でも「応益負担」の対象から免れているが、これとても法的にきちんと守られているわけではないし、「応益負担」が「応能負担」に変わったところで、「負担」に変わりはない。

問題は「ただ人と会話をする」ために、なぜ「負担」というお金を支払わなければならないのかということだ。民主党にお願いしたいのは、福祉を商品化することなく、人間の尊厳というものに対する量的、質的保障をきちんと手当てしていただきたいということである。

(ふくしまさとし)