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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年2月号

総合リハビリテーションを求めて
―障害者の「全人間的復権」実現のための歩みを振り返る

上田敏

はじめに

本誌の発行元の日本障害者リハビリテーション協会は毎年「総合リハビリテーション研究大会」を開催しており、今年で33回を迎える。これには各分野のリハビリテーション(以下、リハと略)の専門家だけでなく、障害当事者も多数参加している。また『総合リハビリテーション』という雑誌(医学書院発行)も今年で38巻に達している。このように30―40年も前から「総合リハ」が唱えられているが、本当に総合的なリハが実現しているのか、実現に向かって前進しているのかと考えるとはなはだ心もとない。本誌の読者にも、「総合リハ」と聞いて、すぐにそれがどういうものなのか、鮮明なイメージを持てる方は少ないのではあるまいか。新しい思考に立って再出発することが求められているようである。

1 リハビリテーションは「全人間的復権」

この問題をより良く理解するために、根本的な点に立ち戻って考えてみたい。まず「リハビリテーション」とはどういう意味かということから。

「リハビリテーション」について、一般の人々はしばしば、医学の分野だけのもので、「機能回復のための訓練」、それも辛い、苦しい、痛い(!)もので、歯をくいしばってがんばるものという「暗い」イメージをもっているようである。

しかし、これは極めて残念な誤解であって、「リハビリテーション」という語の本来の意味は、実は「権利・名誉・尊厳の回復」なのである。

語源的には、この単語の中心をなす「ハビリス」とは、「(人間に)ふさわしい・適した」という意味で、「リハビリテーション」とは、何らかの理由で人が「人間にふさわしくない状態」に陥った時に、それを「ふたたび人間にふさわしい状態に戻す」ことを意味している。中世以来、そして現在でも、この言葉は「権利の回復(復権)」「名誉回復」「無実の罪の取り消し」「地位・身分の回復」などの意味で広く使われてきている。たとえば「ジャンヌダルクのリハビリテーション(無実の罪と破門の取り消し)」「ガリレオのリハビリテーション(名誉回復)」「ニクソンのリハビリテーション(政界復帰)」という表現が普通に使われてきており、今も使われている。

障害に関連して使われたのは比較的遅く、1917年米陸軍病院に戦傷兵のための「身体再建およびリハビリテーション部門」が置かれたのが最初で、その場合でも「身体再建」が「訓練」の意味であり、「リハビリテーション」とは「社会復帰・職業復帰」の意味であった。

つまり、リハとは医療や障害関連でのみ使われるものではなく、また障害や病気をもった人について使う場合でも、最終的に「人間らしい生活」を実現することを意味している。そのためには医療リハだけでは不十分な場合が多く、総合的なサービスが必要となる。ここに「総合リハ」の必要性がある。

筆者は40年以上前に、これらを踏まえて、障害関連で用いる場合にも、「リハビリテーション」とは単なる訓練や理学療法・作業療法などのことではなく、障害者の「全人間的復権」(人間らしく生きる権利の回復)であると述べた。この「全人間的復権」の語は幸いにも多くの賛同者を得て、たとえば内閣府の「障害者基本計画」(2002)にも取り入れられている。

このように「リハビリテーション」とは本来権利性の強い概念であり、次項に述べる国連障害者権利条約が示す「権利モデル」に立った障害者観(少なくもその一部)を先取りしていたということができる。

2 国連障害者権利条約とリハビリテーション

障害者権利条約は2006年12月13日に国連総会で採択され、2008年5月3日に発効した。わが国はすでに署名し、関連国内法の整備をまって批准することとなっている。

この条約はリハを重視しており、第26条は、保健、雇用、教育、福祉の分野にわたる総合的なリハ(comprehensive rehabilitation)を強化する政府の責任を定めている。

しかも重要なのは、リハの1.最終目標を「生活のあらゆる側面における完全な包含(インクルージョン)と参加」の達成・維持とし、2.それを実現するための中間目標に「最大限の自立ならびに十分な身体的・精神的・社会的・職業的な能力の達成・維持」をあげていることである。つまり、障害のある人の「人間らしい生活」とは「生活のあらゆる側面・場面での完全な包含と参加」の状態であり、それを、その人の条件に応じて具体的・全面的に実現するには総合リハが必要なのである。

3 総合リハビリテーションの歩み

(1)総合リハビリテーションとは

総合リハとは、これまで長い間、医学、教育(特別支援教育)、職業、社会、の4部門からなり、それらが緊密に協力して行うものだとされてきた。しかし、現在ではリハに関係する分野も職種も増えてきて、この4部門に限ることは現実的でなくなっている。また、障害当事者のさまざまな運動も発展してきて、リハの目的(人間らしく生きる権利の回復)の達成のためには、それとの緊密な協力が必要となってきている。さらに当事者の「自己決定権」の尊重という大原則からして、リハのプロセスへの当事者の積極的な参加が不可欠となった。このような新しい事態に直面して、リハの世界では、考え方の上でも、具体的な進め方の上でも、根本的な見直しの必要が痛感されているといってよい。

この見直し自体を、従来の4分野の枠を取り払った広い範囲のリハ専門家、そして当事者が一緒に考え、一緒に実現していくのがこれからの課題である。ここではその出発点として、障害者の「総合リハビリテーション」に向かってのこれまでの歩みを概観してみたい。

歴史を振り返ると、これまで主要なリハ部門とされたもののうちで、もっとも早く出発したのは、日本でも欧米でも共通して教育の分野(特殊教育、特別支援教育)であり、フランスでは18世紀中ごろ、日本では1878(明治11)年に最初の学校ができている。医学リハ、職業リハはそれよりはるかに遅れたが、アメリカでは1920年にスミス・フェス法(市民職業リハビリテーション法)によって職業リハが法制化されており、むしろ医学リハよりも先行していたといってよい。

総合リハの必要性は、アメリカでは戦後早くからラスク(HA Rusk)等によって強調されていたし、現実に医学、教育、保育、職業などの専門的なサービスの間の、また障害者自身のつくった作業所との協力などがかなりの程度に実現していた。

(2)日本での歩み―総合リハビリテーション研究大会以前

日本で総合リハの考え方がはっきりと打ち出されたのは、1965年春に東京で開かれた、第3回汎太平洋リハビリテーション会議(日本障害者リハビリテーション協会〈リハ協〉主催)が最初であった。それまでは全く別組織で交流のなかった医学・教育・職業・社会などのリハ従事者、また小児・成人・高齢者など年齢別に分断されていた分野の専門家が一堂に会して議論しあったのは画期的であった。筆者自身もこの会議を機会に職業リハ、社会リハなどの多数の専門家と知り合いになり、その後の協力関係の出発点となった。

次の機会は、1972年8月に東京で開かれた「リハビリテーション教育・研究セミナー」であった。これは元厚生省社会局更生課(現厚生労働省社会援護局企画課)長で身体障害者福祉法の生みの親であり、その後、国連で長らくリハ部門の責任者を務めた松本征二氏(注1)が、ウィスコンシン大学のライト教授(George Nelson Wright.“Total Rehabilitation”の著書で有名)の来日の機会に、当時の各分野の代表的なリハ専門家を集めて開催したものである(注2)。セミナーが終わった後の少人数の集まりで「恒常的にこういう集まりがほしい」との声が上がり、それが後に述べる「リハビリテーション交流セミナー」につながった。

1973年1月には『総合リハビリテーション』誌が医学書院から発刊された。これは医学リハの総合誌であるとともに総合リハを志向するという二重の性格をもっていた。企画書によれば内容の計画は、論説(理念、医学論、福祉論、など)5―10%、広義の医学(リハ以外の動向も含む)60―70%、職業、教育、社会リハ10%、建築・人間工学10%、資料(全領域)10%となっており、ほぼその方針が現在も守られている。

(3)リハ交流セミナーから総合リハ研究大会へ

最初に触れた「総合リハビリテーション研究大会」は、はじめ「リハビリテーション交流セミナー」として1977年に始まり、1987年から現在の名称になって、今年で通算33回になる。1981年の国際障害者年は「国際リハビリテーション交流セミナー」として行い、また1987年には筆者の担当で、リハ医学会と同時開催・相互乗り入れで行うなど、他の学会・会議類との同時開催の例も少なくない。

昨年までの32回の開催地は全国にわたっており、東京13回、大阪3回、横浜、神戸、岡山、埼玉各2回、福岡、仙台、札幌、北九州、名古屋、神奈川、高知、那覇各1回である。このように積極的に各地で行ったねらいは、広く各地に参加者を求め、大会の存在を広めることと、準備の過程でリハのあらゆる分野の人々が協力することでその地の総合リハの機運を高めようというものであった。このねらいは、少なくも初めの20年余にはかなりの程度に実現されたといってよい。

言うまでもなく、大会のテーマや内容は総合的にリハの各分野を網羅するように努めた。また比較的早くからリハ専門家だけでなく、障害当事者が積極的に参加するようになったのも大きな特徴であった。

1988年の世界リハビリテーション会議(RI(注3)の下でリハ協主催、東京)も、国内のリハ関係者の共同の事業として、1965年の汎太平洋リハビリテーション会議よりさらに総合的なものとして行われ、その過程で各分野の交流が促進されたほか、日本の各分野の活動が国際的に評価される良い機会となった。

4 21世紀を迎えて―ICFの意義

21世紀に入る頃から、先に述べたような、「総合リハ」の根本的な見直しの必要を痛感させる事情が徐々に明らかになってきた。

この見直しは、専門家と当事者との協力で進められるものであるが、その道筋を照らす「光明」として期待されるものに、奇しくも21世紀初頭(2001年)にWHOが(多くの国の専門家と障害当事者が参加しての10年近い改定過程の末に)制定したICF(国際生活機能分類)がある。これは「人が生きることの全体像」についての「共通言語」であり、「障害」を、「生活機能」の低下として、環境条件を含めて統合的に捉え、その解決の道をも総合的に把握することを可能にするものである。

「総合リハ」のあり方の探求も、ICFの「生活機能モデル」に立つことで、横道に逸れたり袋小路に入ったりせずに進んでいけるものと期待されるのである。

おわりに

以上、簡単にわが国の「総合リハビリテーション」の歩みを振り返ってみた。今後のあり方の検討に生かしていただければ幸いである。

(うえださとし 日本障害者リハビリテーション協会顧問)


注1)総合リハ、1(1):100,1973に人物紹介あり。

注2)総合リハ、1(3):373―384;1(4):494―508;1(6):675―684,1973

注3)RIはRehabilitation International(リハビリテーション・インターナショナル、旧名 国際障害者リハビリテーション協会の略)