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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年2月号

医療分野における「総合リハビリテーション」の実現

伊藤利之

1 はじめに

医学的リハビリテーションは、先天障害であれ中途障害であれ、また、疾病に因るものか外傷に因るものかにかかわらず、今の治療的医術では完治し得ない身体機能や構造の障害を生じた結果、日常生活に困難を来している人たちを対象としている。それだけに、医学的リハビリテーションでは疾病の治療や機能回復訓練にとどまらず、残された障害をもって生き抜く方法を具体的に示す必要性があり、工学やソーシャルワークなど、他分野の技術をもつ専門職とも手を組んだチームアプローチを基本としている。

しかし、わが国の医療保険では、いまだ医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など、いわゆる医療系の専門職しか認められておらず、他分野の専門職との連携を阻んでいる。

また平成16年(2004年)の診療報酬改定では、「総合リハビリテーション」の枠組みが「疾患別リハビリテーション」へと変更された。この事態は障害を対象としたリハビリテーション医療の総合性が否定されたことを意味しており、この時期、「専門性」に押されて「総合性」の概念はむしろ後退期にあるといえよう。それだけに今、過去に比してより高水準の新たな「総合リハビリテーション」の、構築を模索する必要があることを強調したい。

2 保健・医療・福祉の連携

1960年代後半、リハビリテーション関係者の間では、保健・医療・福祉の連携が重要であるとの認識はあったものの、実際の臨床現場における連携は個人レベルにとどまり、組織的な連携は遅々として進まなかった。500床以上の病院でも医療ソーシャルワーカーが1名勤務していれば「良」としなければならない状態であり、私は病棟から居住区の身体障害者担当のケースワーカーや保健師に直接連絡し、退院後の生活をどうするか、よく相談したものである。その代わりに、彼らが担当している障害者や高齢者の医学的問題については、外来や入院での診療、あるいは非公式の往診で応えるなど、個人レベルではあるが積極的な交流を進めてきた。

余談だが、このような個人レベルの連携は、関係者が少なく人事も比較的固定化している小都市に比べると、人数が多いだけでなく人事異動も多い横浜のような大都会ではかえって難しい。そのために大いに汗を流し、同時に大量の酒も費やした。しかし、それがその後の横浜における地域リハビリテーション・システムの構築に大いに役立ったことも事実である。要するに、組織的で効果的な連携の成立にはさまざまな条件があるものの、その起点は個人の第一歩にあるということである。

保健・医療・福祉の連携では、医療がその仲人役を務める必要がある。私の経験では、当時、同じ役所の建物の中で仕事をしていた保健師と福祉職(ケースワーカー)とは必ずしも良い関係になく、場合によってはいがみ合うことさえあった。それが一人のケースをとおして医療職が間に入ると、相互にちょうど良い距離が保たれ、チームを組むことができたという貴重な経験をした。その時、この3分野はどの分野が欠けてもチームになりにくいのだということを感じたわけだが、ここで重要なことは、医療が「保健と福祉の間に存在する」という位置の問題だけでなく、「3つ以上の分野」の存在がチームを構成する必須条件だということである。

1970年代になるとリハビリテーション医学を志す医師も次第に増え、障害や高齢化に関わる保健・医療・福祉のサービス水準もそれぞれに向上した。その結果、それらが連携した総合的なチームアプローチを日常的に行える体制が必要という機運が高まり、そのパワーが経済の大きな発展期と相まって全国各地の「総合リハビリテーションセンター」の開設へとつながったといえる。

3 総合リハビリテーションセンターの開設

表1に、主な総合リハビリテーションセンター開設の歴史を示した。対象を身体障害者に特化したセンターもあるが、多くは身体障害を軸としながらも知的障害までその対象を広げている。また、医学的リハビリテーションから職業リハビリテーションに至るリハビリテーションの4つの分野を包含しており、センターで働く職員は、保健・医療職から福祉職まで多岐にわたっているのが特徴的である。そのため、障害者や高齢者に関わる分野とそこで働く多くの職種を一つ箱の中に納めて身近にしたという点では、将来の可能性を含めて大きく前進したが、新たに、それらをどのようにまとめて真の「総合リハビリテーション」にするか、という大きなテーマを突きつけられることになった。

表1 総合リハビリテーションセンターの設置

昭和44年:
(1969)
兵庫県立総合リハビリテーションセンター
昭和48年:
(1973)
神奈川県総合リハビリテーションセンター
昭和49年:
(1974)
長野県身体障害者リハビリテーションセンター
昭和53年:
(1978)
広島県立身体障害者リハビリテーションセンター
昭和54年:
(1979)
国立障害者リハビリテーションセンター
昭和56年:
(1981)
千葉県千葉リハビリテーションセンター
昭和57年:
(1982)
埼玉県総合リハビリテーションセンター
昭和62年:
(1987)
横浜市総合リハビリテーションセンター
平成元年:
(1989)
名古屋市総合リハビリテーションセンター

総合リハビリテーションセンターにおける「総合リハビリテーション」の実現は決して容易ではない。組織が大きければ大きいほど難しく、実のところ、一つ箱の中で混合しているに過ぎない事態が多々見受けられる。それは組織の常であるといってしまえばそれまでだが、それぞれの組織と職種の出身母体の違いはそのまま「育ち」の違いを意味している。したがって、視点や価値観を変えてみなければお互いの役割を正しく認識できないのだが、それらを自分の領域の視点や価値観で評価したり、一つのスケールで評価しようとするため、多くの混乱が生じることになる。また、離れていれば見えなかったことが身近にいるためにかえってマイナスに働くことも稀ではない。

「総合」という点に絞ってみれば、過去にそれぞれの分野で働いていた人たちより、総合リハビリテーションセンターの構想に同調して集まってきた新人職員のほうが期待できる。しかし、その分それぞれの専門性が深まらないという事態があり、総合性と専門性との折り合いはなまなかに難しい。いずれにしても確かなことは、「総合リハビリテーション」の実現には、リハビリテーション医学を専門とする医師の強いリーダーシップと、多様な価値観に基づく考え方が浸透しなければ困難だということである。

4 急性期医療との連携

かつてリハビリテーション医療は、病気が治癒してから、あるいは病状が安定してから行われるものと認識されていた。そのため、わが国では多くの温泉地にリハビリテーション病院が建設され、居住地とは遠く離れた場所で物理療法や機能訓練を受けるのが一般的であった。それが1970年代後半になると、市内の一般病院にリハビリテーション科が開設されるようになり、脳卒中でも発症後3か月程度で積極的な機能訓練が行われるようになった。しかし、それでも3か月間はほとんど寝かされているために廃用症候群が生じ、リハビリテーションでは、その改善や合併症の治療・管理に多くの時間を割かなければならない状況であった(図1)。

図1 脳卒中のリハビリテーション―1970年代後半―
図1 脳卒中のリハビリテーション―1970年代後半―拡大図・テキスト

私たちは当然、もっと早期からの、いわゆる「ベッドサイド」からのリハビリテーションを訴えたが、その頃の治療医学主流の時代に、私たちの訴えを聞き入れてくれる内科や外科の医師はごく小数に限られ、その壁は厚かった。そのような背景から、当時の私たちが思考する「総合リハビリテーション」は、自ずと医学的リハビリテーション後の社会、教育、職業リハビリテーションとの連携による「総合」のイメージが強かったように思われる。

1980年代に入り、ようやく障害児の「早期発見・早期療育」が各地で実現するようになった。また、大学病院や市内の一般病院を中心に、ベッドサイドからのリハビリテーションの試みも次第に増え、1990年代に入ると、リハビリテーション専門医の間では競うように急性期リハビリテーションへの取り組みが進んだ。そして2000年、介護保険が導入されて回復期リハビリテーション病棟が設置されると、脳卒中では発症後3ヶ月以内のリハビリテーションが定着するようになった(図2)。

図2 脳卒中のリハビリテーション―回復期リハ病棟の設置―
図2 脳卒中のリハビリテーション―回復期リハ病棟の設置―拡大図・テキスト

2002年、診療報酬制度において「総合リハビリテーション施設基準」が創設され、医療分野において「総合リハビリテーション」の考え方が王道として浸透した(表2)。しかし2006年、「総合リハビリテーション施設基準」は「疾患別施設基準」へと改定され、医療分野における「総合リハビリテーション」は、診療報酬上4年間の短命に終わってしまった。

表2 リハ関連の診療報酬制度の返還

1965年 理学療法士・作業療法士法の制定
1974年 施設規準の制定
PT・OTに簡単(40点)・複雑(80点)
1981年 承認施設/簡単(120点)、複雑(300点)
1988年 心臓リハビリテーション点数の新設
2000年 回復期リハビリテーション病棟の新設
2002年 簡単→集団療法、複雑→個別療法
リハビリテーション総合計画評価料の新設
総合リハビリテーション施設基準(A型・B型)
2006年 疾患別評価体系の導入
総合リハビリテーション施設基準の廃止
集団療法の廃止
疾患ごとの算定日数上限の設定

(臨床リハ Vol 19 No.1より抜粋)

このように、医療分野においては最近の20年、ようやく「包括医療」と称して、医師を中心としながらも、看護師、薬剤師、検査技師、栄養士などの医療スタッフとの間でチームアプローチが実現しつつある。その意味ではリハビリテーション分野は彼らの先達といえるが、保健分野や急性期医療との連携による一貫性のある「総合リハビリテーション」の提供となると、彼らの認識の変化を待たなければならず、ようやくここに来てその条件が整ってきたといえよう。その視点から見ると、脳卒中リハビリテーションの仕組みは、急性期治療とリハビリテーション医療との連携によるサービス提供を求めているが(図3)、いまだ種々の条件が整っておらず、かつ診療報酬上の問題を含め、全国的な展開には今しばらくの時間を要するものと思われる。

図3 脳卒中のリハビリテーションの将来―急性期・回復期の一体運営―
図3 脳卒中のリハビリテーションの将来―急性期・回復期の一体運営―拡大図・テキスト

5 おわりに

個人レベルを脱した組織間の連携は「言うは易し、行うは難し」で、遅々として進まないものである。その理由は、それぞれに独立して相互利得が求められるほどに互いに成長した組織であることが前提になるからであろう。片思いでは決して成立しない。それぞれの組織が包括的なサービスを提供する必要性を認識しなければならない。そのうえで、チームアプローチが可能なほどに総合力を発揮しえる体制を整えることは、さらなるバージョンアップが必要であるが、きっと利用者のニーズが専門職の認識を高めてくれるであろう。

医療分野では今、社会リハビリテーション職(ソーシャルワーカー)を含む新たな「総合リハビリテーション料」の基準を求めて奮闘中であるが、それが現実になることを期待するものである。

(いとうとしゆき 横浜市総合リハビリテーションセンター)


【文献】

*石上重信・江藤文夫・正門由久:【座談会】リハ医療はどう進むべきか―診療報酬で変化したリハの現状と課題を踏まえて―、臨床リハ、Vol.19 No.1:10-19、2010