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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年2月号

新たな「総合リハビリテーション」を目指して
―当事者の立場から

藤井克徳(聞き手・大川弥生)

藤井さん(JD常務理事)には本文にもある障害者制度の改革でお忙しい中、インタビューさせていただきました。

「総合」を、今一度問い直す

▼今後の総合リハビリテーションのあり方をどうお考えですか?

障害分野をめぐっては、国の内外で新しい潮流がみられます。まず、あげなければならないのが、国連で採択された障害者権利条約です。もう一つは、国内の動向で政権交代を受けて障害者施策の全般的な改革が始まったことです。新たに総理大臣を本部長とする障がい者制度改革推進本部が設置され、その下で本年1月12日より障がい者制度改革推進会議がスタートしました。こうした動きにあって、改めて、リハビリテーションという分野をどう位置付けるのか、非常に重要なテーマになってくると思います。そこでお尋ねの「総合リハビリテーション」についてですが、これは「総合」と「リハビリテーション」という2つの言葉から成り立っていますが、今日とりわけ「総合」が一層重みを増しながら問われているのではないでしょうか。

▼改めて「総合」をどう捉えればいいのでしょうか?

これまでリハビリテーションの「総合」というと、すぐに念頭に浮かぶのが医療、教育、職業、社会、この4分野についての連携や一体化だったと思います。これからは、障害種別を越えた「総合」、障害当事者と専門職との「総合」、さらに私は、政策リハビリテーションと実践リハビリテーション、この両者を連結していくという意味での「総合」も探求していく必要があると思います。

ICF(国際生活機能分類、WHO)では、障害だけではなく、生活機能に着目して発展した概念がつくられてきています。こうした考え方とも関連するかと思いますが、高齢者や子どもの分野、場合によっては厳しい状況にさらされている労働者をめぐる問題などを含めて、障害分野だけに限らず一般市民が抱える困難や課題とも連結させながらリハビリテーションを論じてもいいのではないでしょうか。リハビリテーションを「全人間的復権」と捉えるならば、こうした考え方が十分に成り立つと思います。

なお、権利条約は地球上のすべての市民を対象とした人権条約の一つですが、この中でも第26条で「ハビリテーション(適応のための技術の習得)及びリハビリテーション」と明記されています。これらについても、「総合」という観点と重ねながら深めると新たな方向が見えてくるような気がします。

学問的な「総合」の探求や検証も重要ですが、現場ではもっと柔軟な考え方の上に役に立つ「総合」を創っていってほしいと思います。

「実践」と「政策」とが刺激しあう関係に

▼政策と現場での実践との関係はかけ離れているように感じる方もいらっしゃると思いますが……。

社会福祉分野や教育分野でも、また医療分野や労働分野でも、それぞれの現場では頑張っておられます。地域別にみても、魅力的な実践が繰り広げられています。確かに現場というのは、当座の課題が見えやすく、結果も分かりやすい、守備範囲もはっきりしているように思います。ただし、分野別や地域別のみにエネルギーを注ぐというのは一方では限界があり、いわば個人技で持ちこたえているようなものです。普遍化や共通化という点では、決定的な弱点に陥りかねません。普遍化や共通化することを政策化と言ってもいいと思いますが、優れた実践を政策にまで持ち上げた時に、実践の意味も質的な転換を遂げると思います。

すなわち全国どこでも、あるいは自治体の中ではどこでも一定水準の実践が展開できる条件が作られることになります。このことは障害当事者にとって非常に大きなことなのです。少しくどいようですが、最終的には政策化が求められることになりますが、しっかりとした政策の背後には必ず良質の実践があるのだということを強調しておきます。その点では、現場での実践と政策との関係は、当事者のニーズを触媒に絶えず相互に相手を刺激し合いながら、互いに成長しあうものではないでしょうか。

▼政策と意識の関係をもう少し詳しくお聞きしたいのですが。

今述べたことと関係しますが、よくいい実践を行うには意識の変革が成されなければならないという言い方があります。一見もっともらしいのですが、以前、ヨーロッパの知人がこの考え方を厳しく批判していました。意識やモラルのレベルで捉えてしまうと、個人的な関係でしか解決や発展が成されないというのです。制度や施策という具体的な政策が講じられた時に、意識もまた牽引され、遍(あまね)く関係者の意識変革に影響を及ぼすというのです。

確かに、障害者自立支援法をみても、おかしいおかしいと言いながら、結局は法律に障害のある人を合わせてしまう、こんな光景が各地でみられました。ある意味では意識というのは脆(もろ)いもので、逆に良し悪しは別としていったん政策として形作られたものは強いのです。あくまでも政策が先、意識は後、というふうに考えるべきでしょう。

▼では、実践を政策につなげるにはどうしたらよいのでしょう。

本来は、関係する学会が実践と政策をつなげる役割があるのだと思います。残念ながらその機能や役割が不十分であると言わざるを得ません。とすればこれを補う、あるいはこれに代わる体制をつくっていかなければなりません。

具体的には、「総合」という視座の下に、まずは実践に携わる関係者と政策に携わる関係者が一堂に介すべきです。ここでの政策に携わる関係者というのは、行政関係者だけではなく、政策の改善を求めている運動に関わっている人たちも含まれます。どんなに小さなグループでも、地域でのつながりでもいいと思います。いきなり実践の政策化などというのはあり得ません。一つ一つの実践を深め合い、丹念な検証の中にようやく政策の萌芽が見えてくるのではないでしょうか。もしかしたら関係者の相互訪問から、定期的や不定期を問わずの交流から始まるのかもしれません。とにかく、関係者が時間と空間を多く共有することが肝要です。

もう1点あげておきたいのは、論文や調査結果の共有化が図られていないことです。実にもったいない話です。論文や実態調査などのデータには、政策化への手掛かりやヒントがぎっしりと詰まっています。しかしこれが個人のレベルに閉じ込められてしまったり、バラバラな活用でしかないために相乗的な力になっていないのです。先ほども言いましたが、政策化というのは普遍化という意味であり、普遍化の過程にあっては、信頼できる豊富なデータが不可欠なのです。とりあえずは、論文やデータを共有化すること、社会化すること、この点で思い切った流れを作ることができないでしょうか。専門職と言われる方々の流儀改革が必要になると思います。

新しい総合リハビリテーションを実現するために

▼そのような総合リハを実現するには、当事者と専門家はどのように関係しあったらよいのでしょうか。

(1)全体がみられる専門家に

ポイントは2つあると思います。まず、専門職は自らの持つ専門性を高めること、その上で当事者の全体像を見る姿勢が大事です。リハビリテーションが「全人間的復権」と言われていることにも関係しますが、その人の生活全体を見たり、ライフコース全体を共に考えていくことです。部分と全体を見る、あるいは専門と総合というのは、専門職の視点としては当たり前のことですが、現実には、この全体を捉える姿勢や見方が急速に弱まっているような気がします。

(2)当事者の関わり

一方、当事者の側は、今まで専門職に対して受け身の傾向にあったといえるでしょう。受け身から、共同あるいは協働という観点を持つことが必要でしょう。障害当事者の参画による「共同リハビリテーション」と言ったものが形になってもいいのではないでしょうか。リハビリテーションに限らず、当事者の社会参加や政策作りに関与する機会が多くなると思いますが、とにかく提言する力や主張する力が大事になってきます。

この「共同」は、提言する力のアップを含めて好循環のキーにもなるのです。共同の礎となるのが、当事者のニーズであり、主張になると思います。ニーズの発揮や主張のないところに、本物の「共同」はないように思います。逆にニーズや主張があるところに、リハビリテーション実践への帰属意識が芽生えていくのではないでしょうか。結果として、実践の内容とニーズとの距離が縮まっていくはずです。こうなると、すでに受け身からの脱却ということになるのです。少し大変かもしれませんが、障害当事者としての提言や主張がかけがえのない意味を持つということです。むろん障害によっては、表面的には提言や主張ができにくい人もいるでしょう。微弱にみえる要求や主張をいかに受け止めるか、この辺は専門職の強力な探知器が必要になります。

(3)共にソーシャルアクションを

信頼というのは言葉のやりとりだけでは難しいものです。信頼は、行動を共にした時に一挙に増幅してくるように思います。そのためには、現場での「共同リハビリテーション」だけでなく、地域の支援システム作りやソーシャルアクションの中で、本当の信頼が生まれると思います。信頼のある関係を、かつ安定させていくためには、当事者側の姿勢や構えも重要になります。とにかく「一緒に」という視点を堅持することで、この「一緒に」があれば、本質的な主張は必ず受け止められるはずです。

今後の総合リハ研究大会

▼新たな総合リハビリテーションの実現のためにも、今後の総合リハ研究大会に望まれることはありますか?

総合リハビリテーション研究大会は、「総合」と「リハビリテーション」という2つのキーワードが連結した研究大会であり、研究発表を行う場です。まずはもう一度、この2つのキーワードの連結の意味を関係者が深め合うことが必要です。その時、提供する側、受ける側に分かれ、提供する側から支配的だったともいえる今までのリハビリテーションが、今後は人間的対等性、また「総合」ということで信頼をベースにして、立場の違いを高い次元で融合していくことができるでしょう。それは双方の主張があればあるほど、発展していくと思われます。このように提供する側と受ける側の双方を連結させていく仕組み、仕掛けを研究大会のテーマにしていくとよいのではないかと思います。

そしてこれまで述べたように、現場の実践と政策、そして社会システム化、それらと専門家の専門性を極めるということの関係、またこれらの総合、連結が、従来のリハビリテーションの4分野の総合の上に、さらに新しい「総合」論を創造すべきではないでしょうか。もう一点これは方法論になりますが、たとえば3年連続といったように、中期的スパンで1つのテーマを探求するというのはいかがでしょう。中期的な大きな基本テーマの下で、開催年度ごとの特徴はあってもいいと思います。

また、若手育成を意識した仕掛け作りも考えなければなりません。具体的には、卒業間近の学生を含む若い人たちが参加しやすい環境を作ることです。参加費の配慮もそうですが、それよりも何よりも企画の工夫が重要になります。たとえば、中期的なスパンでの開催となった場合に、継続したメインレポーターを思い切って若手からも登用したり、あるコーナーは若手による特別企画委員会などを設けてもらい任せるなどの方法もあると思います。

いずれにしても小手先だけの対応ではどうにもならず、新鮮味を追い求めるだけでもいけません。リハビリテーションの本質に迫るような企画をいかに打ち出すか、障害当事者や若い人々が振り向くような仕掛けをどう創り出すか、わが国のリハビリテーション関係者の底力が問われるように思います。