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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年2月号

ワールドナウ

マレーシア・ペナン島における知的障害のある人の地域生活支援センターの取り組み
(本人活動の誕生と今後の展望)

内海明美

はじめに

マレーシアは、北はタイ、南はシンガポールにつながるマレー半島(11州)とインドネシアに隣接するボルネオ島(2州)からなっている。国土面積は329.7582km、人口は約2,200万人、多民族複合国家で、マレー系、中国系、インド系(3主要民族)、その他にオランアスリ(先住民)、ユーロシアン、ボルネオ島のイバン族、カダザン族、バジャオ族などさまざまな種族から構成されている。人口構成比1)は、マレー系59%、中国系32%、インド系9%である。国語はマレー語であるが、かつてイギリスの植民地でもあったため英語が広く使用され、特に民間企業では重要視されている。多民族ゆえ各家庭では中国語(北京語、広東語、福建語など)、タミール語などが使用され、バイリンガル以上にさまざまな言語が交わされている。

ペナン州は、古くから「東洋の真珠」といわれるペナン島2郡部とマレーシア半島の北西部ケダ州、ペラ州に隣接するWellseley地方の3郡部からなり、人口約150万人、人口構成比はマレー系41.23%、中国系43%、インド系10.01%、その他5.74%である。このことから分かるように、マレーシア全体の人口と比べてみると中国系が多く居住する州である。障害者数2)は、13,542人がペナン社会福祉局に登録されている。そのうちの3分の1の4,276人が知的障害者である。

地域生活支援センターの成り立ち

このペナン島に元厚生省障害福祉専門官中澤健が現地人と共に設立したACS(Asia Community Service 以下ACS、1996年NGOとして社会福祉局登録)がある。1993年中澤はペナン島に到着、USM(University Sience Malaysia:マレーシア科学大学)の社会科学部に所属して、USM講師Dr.Angelineとマレーシア全土の知的障害者関係のニーズ調査を実施した。その結果、1997年4月、First Step(早期療育プログラム)が開所した。

早期療育プログラムは、ペナン島では最初の知的障害児通園センターで、現在も月曜日から金曜日まで指導が行われており、ペナン島唯一の通園センターである。

ニーズ調査後より考えられていた地域生活支援センターの実践活動は、ペナン島南西部の田舎町、マレー系住民が多く住むBalik Pulau町の知的障害者デイセンターが1か所ある地域に土地を購入したが建設許可が下りず、2000年1月、この地域の住宅地内の家を借りて作業所が開設された。この作業所「Stepping Stone」は、利用者6人、職員3人で出発した(作業所は、日本の国際ボランティア貯金の配分金を2009年まで受けた)。

2002年、新作業所建設工事が始まったため旧作業所を閉鎖し、2003年8月、Balik Pulau町から少し離れたPulau Betong村に新作業所が完成し、「Stepping Stone Support Centre For Community Living」(地域で暮らす知的障害者の支援センター)として利用者13人(旧作業所時の9人を含む)、職員4人で、自立準備ホームを併設した2棟で活動が始まった。

ACSは当初から、その活動は地域に根ざすこと、地域住民を取り込んだ活動を心掛けている。旧作業所の作業は、クッキー作り、廃油石鹸、キャンドル、織物であったが、支援センターではリサイクルペーパー(紙すき)、バティック(ロウケツ染)、織物糸の染色、絞り染め、利用者と職員の昼食作り、リサイクルが加わった。現在は利用者22人、職員4人、パート職員1名で活動している。地域交流の場として眼科検診、Hari Raya3)のオープンハウス、イベントなどに支援センターを地域に開放し、利用者と地域住民との交流の場となっている。またリサイクル作業を通して地域へ出て行き、地域の環境整備にも積極的に取り組み、地域住民もリサイクル活動に協力している。

Mutiara Voice Club(知的障害者当事者会)の誕生

2005年6月、支援センターにクアラルンプールのUnited Voice4)(以下、UV)メンバーが訪問し、利用者と交流したのであるが、その時、UVメンバーが利用者に当事者会を発足するよう勧めた。これを機に、支援センター利用者の中から9人が当事者活動を希望した。UVメンバーの訪問から1か月後の2005年7月、ペナン州では初めてとなる知的障害者当事者会 Mutiara Voice Club(以下、MVC)が誕生した。

運営委員会として会長、書記、会計3人の役員を選出した。支援者は、支援センターの責任者が務めた。2009年度現在は、会員16人、支援者(支援センターの職員)は2代目である。

MVCの設立内容(MVCパンフレットより)

●クラブの目的

  1. 自分たちのことをはっきりと話す
  2. 自分たちのことは自分たちで決めることができる
  3. 仕事ができる
  4. 自分たちで暮らしができる
  5. 自立できる
  6. 自分たちで当事者会や活動ができる
  7. 自分たちと同じような人たち、またはもっと弱い人たちを助けることができる
  8. マレーシア中の人たちと友情を育てることができる
  9. 私たちは知的障害者の権利を発言したい

●クラブ活動

  1. 毎月1回の定期会合
  2. 見学
  3. レクリエーション
  4. 会議への参加

MVCの成長

MVCは作業所がマレー系住民が多く住む地域にある。そのため、クラブの会員はマレー系が多数である(中国系が3人)。クラブ活動として会費を徴収し、自分たちで行きたいところを選択し出かけていく。他州の当事者会との会議などにも積極的に参加し、交流し、自らの意見を述べることを通して、最近は特に、役員に選出された人たちに自信がついてきたように感じられる。クアラルンプールのような都会の当事者会ではなく、田舎のマレー系住民の多い州の福祉局からの要請で、当事者会の成り立ちや活動を講演する機会があった。これを通して、他州の福祉局傘下のPDK(Community Based Rehabilitationのマレー語)における利用者の当事者会設立を支援することになったのである。

MVC会員の中から、現在2人が地域で家を借り生活をしている。そのうちの1人Sさんは、両親が他界し兄妹の家に住んでいたが、自立したいとの希望を以前から強く持っていた。また兄妹間のいさかいもあった。支援者は兄妹との話し合いで他の場所に移り住んだとして、もしSさんが必要とする時は助けてほしいことなどを家族と確認し、家探しを始めた。ACSが借りていた家の家主との交渉に入ったが、家主が作業所の別の利用者の家族と知り合いであったこと、作業所から地域へリサイクル回収に回る利用者をみていて知的障害者をある程度理解していたこと、悪い印象を持っていなかったこと、作業所の職員と顔見知りで仲介者となってくれることなどの理由により家を借りることができた。

もう1人のIさんは、家から通勤できなくはないが、継母との仲が悪く、作業所の利用者の家に居候していたが、Sさんが家を借りて生活を始めたのをみて自分もやってみたいということになった。Iさんの場合は、父親が心配して訪ねて来る。週末は父親の家に帰るが、Sさんは借家で生活し地域に根ざしている。隣に住む家主も断食月5)(Ramadan)の1か月は、食事の世話をしてくれている。

このように、地域で暮らし始めた知的障害者を支えているのは地域住民委員会6)の委員長であり、委員たちである。また他の利用者の親からも作業所周辺で貸し家があれば生活させたい、という希望がでている(職員は利用者本人が希望しているのかを本人に尋ねている)。

マレーシアでは障害者が就労している場合、賃金がRM1,2007)(約32,800円)以下であれば社会福祉局に申請し、国から毎月RM300が障害者手当として支給される。SさんとIさんも作業所での賃金RM70と国の障害者手当を生活費としている。

知的障害者当事者会第3回ペナン全国大会

2009年2月16日~2月19日、MVCが事務局となり半年間の準備をかけて第3回ペナン全国大会が行われた。会場選択、大会議事内容、発表者、招待者など、特にクアラルンプールのUVに問い合わせながら、主にACSの支援を受けつつ当日を迎えた。マレーシア全土にある12クラブの会員を含む参加者約120人、日本からも当事者2人、オブザーバー4人が参加した。大会初日は、Dato Zaid Ibrahim元法務大臣が講演をし、ペナン州の障害関係のNGOからも参加があった。議事進行役は2人(1名はMVC当事者〔マレー語〕、他の1名は支援者〔英語〕)、発表終了後の質疑応答では質問が続いた。特に障害者ですでに結婚し子どももいる発表者に対する質問は、笑いの中にも結婚に関して、当事者たちの関心、興味が高いことが分かった。大会最終日、「女性・家族・地域開発省」所管内の社会福祉局Dato Shamsiah大臣特別顧問へ「第3回マレーシア知的障害者全国大会決議案」を手渡した。

決議案は、絵文字・マレー語・英語・北京語でも印刷された。人としての権利を主張、教育、就労など、暮らし全体にわたる機会均等を望み、地域住民の一員として社会に貢献できると訴えている。

全国大会後、そして未来へ

全国大会中、いくつかの州の社会福祉局からMVCへ講演の依頼があった。大会後、マレーシア東部のマレー系住民の多く住む州の社会福祉局傘下のPDK(Communty Based Rehabilitation)より当事者会設立の協力を依頼され、2州3地域で2人の当事者と支援者が講演を行った。作業所で働き始めた時、いつも隅の方に座り言葉数の少なかった女性がMVCの設立に参加し、第2代MVC代表となり、100人を超える参加者の前で堂々と大会の開会宣言をするようになったのである。

クラブ設立の目的にあるように、発言のない人たちへ機会を促し、マレーシア中に知的障害者の権利を発言してくれることを願う。

(うつみあけみ ACE(アジア地域福祉と交流の会)現地(ペナン)派遣理事、元青年海外協力隊員)


1)2009年度マレーシア観光省WEBより

2)2005年ペナン州統計局による。2006年ACSの調査報告「ペナン州における知的障害者の現況とニーズ調査」より

3)HariRaya=イスラム教徒の1か月断食後の祝日

4)United Voice=1995年マレーシア最初の当事者会として4人の知的障害者が Dignity & Servicesのスポンサーにより誕生、2000年United Voice と名称を変更した。2004年マレーシア知的障害者全国大会第1回をクアラルンプールで開催した。2005年マレーシア最初の知的障害者の会として申請し許可された。会員数約80人以上

5)Ramadhan=イスラム教徒は宗教義務により「五つの行い」の一つである断食(1か月)をする

6)地域住民委員会=新作業所と同時に地域住民委員会もスタートした。委員長は村の区長、委員は住民、利用者の家族である

7)Rm1,200(交換レート、2009年12月31日時点では¥100=Rm3.65)