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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年3月号

時代を読む5

第3回汎太平洋リハビリテーション会議の開催(1965年)

本誌2月号でも触れたが(12ページ)、1965年4月13~17日、東京赤坂のヒルトンホテル(のちのキャピトル東急)で、第3回汎太平洋リハビリテーション会議(The Third Pan-Pacific Rehabilitation Conference)が開催された。これは日本最初のリハビリテーション(以下、リハ)関係の国際会議であり、また日本最初の「総合リハ」的な集まりであった。

これは現在のRI(リハ・インターナショナル)の前身である「国際障害者リハ協会」(ISRD)の地域会議で、範囲はアジア太平洋地域にアメリカ、カナダ等を加えたものであった。主催は日本障害者リハ協会の前身の日本肢体不自由者リハ協会で、運営委員会委員長は太宰博邦氏、事務局長は小池文英氏であった。

参加者は海外約300人(英仏、南アなど域外を含む)、国内600余名で、開会式には皇太子夫妻(現天皇・皇后両陛下)がご臨席なされ、招待者を含め約1300人が参加した。

著名人の参加も多く、アメリカのケスラー博士、ラスク博士(共にISRD前会長)、インドネシアのスハルソ博士、フィリピンのタブラン博士、国内では松本征二氏(前厚生省更生課長、前国連リハ担当官、社会リハ)、三木威勇治東大教授(整形外科)、大島良雄東大教授(物療内科)、水野祥太郎阪大教授(整形外科)、辻村泰男お茶大教授(特殊教育)、高瀬安貞日社大教授(職業リハ)、橋本祐子氏(日赤、ボランティア部会)など多彩であった。後に、RIでポーランド代表として活躍するヒューレック氏が国連リハ担当官として参加していたのも注目される。

プログラム内容も多彩で、医療・教育・職業・社会等のリハ分野の間、また従来小児、成人、高齢者などに分かれていた年齢別の領域の間の最初の交流の機会となった。対象は、まだ肢体不自由と一部知的障害に限られるという時代的制約はあったが、まさにわが国の「総合リハ」の出発点であったといえよう。

(上田敏 日本障害者リハビリテーション協会顧問)