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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年4月号

時代を読む6

盲人が自ら読み得る新聞「点字毎日」の創刊

週刊点字新聞「点字毎日」は、1922年(大正11年)5月11日木曜日(現在も木曜日発行)に創刊され、以来大戦中も休刊することなく、視覚障害者の福祉、教育、文化の向上に寄与するとともに、社会とつなぐ懸け橋としての役割も担い続けている。90年近くもの長期にわたり発行を続けている点字新聞は世界的にも希(まれ)である。

浜松市出身の初代編集長・中村京太郎(1880年~1964年)は、7歳で失明、15歳から東京盲唖学校に入学、日本点字の発案者、同じく浜松市出身の石川倉次と出会い点字を学ぶ。19歳で卒業後、同校の教員となる。教鞭を執るかたわら、21歳の時に正則英語学校の夜間部に入学。32歳で文部省委託により、盲人初の英国留学を果たし、ヨーロッパ諸国の盲人福祉事情を学ぶ。その折、オックスフォードの貿易商・好本督(よしもとたすく)、毎日新聞社の河野三通士(こうのみつとし)との出会いから点字新聞の発行の夢を語り合う。10年後、毎日新聞社の記念事業として「損得抜きでの発行」を五代目社長・本山彦一が認め「点字大阪毎日」として創刊され、今に続く。

中村京太郎は、「点字毎日」を通し、点字の普及と普通選挙の点字投票の制度化、全国盲学校弁論大会や体育大会等のキャンペーンを行い、視覚障害者の社会参加を推進させた。点字投票は婦人投票権がまだなかった1925年の衆院選で実施された。

「点字毎日」は、毎日新聞を点字化するのではなく、視覚障害者に関連するさまざまな分野のニュースを独自に取材編集している。現在では、ほかに音声版、電子版、活字版により製作されている。

「発刊の目的は、失明者に対して自ら読み得る新聞を提供し、本社発行の種々の新聞とあいまちて、新聞の使命を徹底せしめんとするにほかありません。かくして一方には、盲人に対し、一個の独立せる市民として社会に活動するに必要な知識と勇気と慰安を与え、他方には、これまで盲人に対して眠れる良心を呼び覚まさんとするにあります。」

初代編集長・中村京太郎「発刊の言葉」より

(斯波千秋 NPO法人六星ウイズ代表)