「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年4月号
民間団体を中心とした退院促進の取り組み
―医療と地域のネットワーク構築―
塚原秀一
はじめに
精神医療変革の波は、静かに、しかし、確実に大きなうねりとなって押し寄せてきている。国は平成16年の精神医療福祉改革ビジョンの中で「受け入れ条件が整えば退院可能な72000人を10年間で退院させる」という方針を打ち出し、さらに平成18年4月から障害者自立支援法をスタートさせた。一般的には、いわゆる社会的入院を余儀なくされている精神障害者の多くが、病院から地域社会に移行し、希望する在宅サービスや就労のための訓練を受けることができる時代になるものと考えることができる。
私の所属する財団法人竹田綜合病院(以下、竹田綜合病院)では、この変革の意味を理解し、歴史のうねりに飲み込まれないように大きな決断を行った。病院老朽化に伴う新病院建て替えにあたり、現在の249床のベッド数を平成24年のグランドオープンまでに100床減らすことを決めた。一般病棟約800床を抱える総合病院の中の精神科の役割を果たすために、長期入院患者を地域移行させ、精神科救急や身体合併症を持つ患者を積極的に受け入れる病院として力を入れていく方向に舵を切ったのである。
こうして、一民間病院の建て替えを機に、会津地域でのネットワークづくりを中心とした精神患者の退院促進と地域移行支援が始まったのである。
竹田綜合病院と会津療育会との協働
竹田綜合病院が100人退院を打ち出したものの、これといった良策を持っていたわけではない。病院運営のグループホームなども持ち合わせていなかった。100人の候補者の名前を見ると、20年、30年の長期入院により、すでに退院意欲を失っていたり、退院は可能と思われるが、妄想や幻聴などの障害を抱えている重度の患者さんたちで、病院単独で退院促進を行うことは到底無理に近い現実を突きつけられた。また、そのような重度の障害を抱えた患者さんたちが地域で暮らしていくためには、住民よりも先に、地域(行政、事業所)の理解が必要だと感じた。
このことは、逆に言うと、病院側の私たちに、地域との連携が不可欠という発想の転換をもたらした。そこで私たちは最初に、会津若松市内で委託相談支援事業所を展開する社会福祉法人会津療育会(以下、会津療育会)に相談を持ちかけた。会津療育会としても、病院の打ち出した方針に賛同してくれ、精神患者の退院促進・地域移行は相談支援事業所として果たすべく任務であるという理解もあり、両者が一体となって取り組むことが決まった。
その際に、竹田綜合病院と会津療育会の協働事業として、平成19年・20年度の厚生労働省の障害者保健推進事業(障害者自立支援調査研究プロジェクト:以下、プロジェクト)の採択を受けることができたことが大きな弾みとなった。
プロジェクトの概要
プロジェクトで掲げた目標は三つ。一つ目は、生活を支える地域支援ネットワークづくり。当事者のための、お互いが顔の見える関係になることを目指した。二つ目は、医療機関の機能強化として病院内に退院支援委員会を組織化した。三つ目は、専属の地域体制整備コーディネーターと地域移行推進員(以下、推進員)を病院の中に配置した。コーディネーターには病院ソーシャルワーカーである私が任務に就いた。推進員については、会津療育会の相談支援事業所の職員2人が病院の中に常駐し、退院を促進する立場と、退院後、迎え入れる立場の両方を担ってもらった。
会津地域退院促進及び地域移行推進委員会(会津リージョナルサポートシステム:通称ARSS)の発足
特に一つ目の地域支援ネットワークづくりは、本プロジェクトの中軸となるところであった。お互いが顔の見える関係になることで、前述したような重い障害を抱えた精神障害者でも地域で支えていけるのではないかと考えたからだ。
今までだと、どうしても当事者を取り巻く支援者が点と点でしか見えてこなかった。せっかく行っているそれぞれの支援が線でつながっていない。これを何とか線でつながるようにしたいと考えた。
地域の自立支援協議会でも同じような議論のもと各部会を編成しているが、私たちが目指したのは、自立支援協議会に参加している事業所・関係機関の管理者ではなく、実際に、直接支援を行っている実務者レベルが顔を揃えたネットワークであった。直接支援を行っている者が、現状の課題を出し合い、いま、自分たちの地域では何が必要とされているかを明確にして、会津若松市の自立支援協議会に提言していくことであった。私たちがプロジェクトで取り組み始めようとしたことは、行政の障がい者計画・障がい福祉計画の達成にとっても「渡りに船」であり、行政の理解も得られた。
こうして、病院、保健福祉事務所、市役所、相談支援事業所、グループホーム、就労継続事業所、就労・生活支援センターの実務担当者に参加を呼び掛け、平成20年4月に15人の委員からなる会津地域退院促進及び地域移行推進委員会(以下、ARSS)が、月1回の定例会議としてスタートした。
図1 自立支援協議会との連携
(拡大図・テキスト)
ARSS会議を通して
いざ、病院側と地域(行政、事業所)が一堂に会してみると、今までお互いが、点と点でしかつながっていなかった原因が見えてきた。病院側は「行政は何もしてくれない」、地域側は「病院は敷居が高い、閉鎖的だ」などと勝手に批判しあっていた。それが全くの誤解と情報不足からくる思い込みであったことに気付かされたのである。精神科病院の中で、患者さんに対してどんな支援が行われているのかを知りたいという事業者、退院が決まってから関わるのではなく、方向性を決めるプロセスから関わりたいという行政に対し、病院側としても敷居を無くし、門戸を広げた。
結果、病院の中のケア会議に推進員、相談支援事業所、各事業所、行政が早期から加わるようになり、各支援者が患者さんの支援を目的に病棟の中に出入りするのが当たり前の風景に変わっていった。多い時には月20件のケア会議が行われた。
また、患者さん個人のニーズや課題に合わせた体験宿泊や体験通所の受け入れ協力を各事業所が行うようになり、病院と地域が良きパートナーとなり、退院促進に向けた協働が進められていった。
図2 地域生活移行を成功させるために(ARSSから見えてきたもの)
(拡大図・テキスト)
推進員活動を通して
病院の中に相談支援事業所の推進員を専属で常駐できたことは、患者さんとの信頼関係作りを早め、必要な時に必要な支援活動が提供でき、多くの時間を要さずに退院につなげることができた。さらに、退院した後も、同じ推進員が生活が安定するまで支援できたことが大きかった。
プロジェクトの成果と今後の課題
一民間病院と社会福祉法人が始めたプロジェクトは2年足らずという短い期間であったが、プロジェクトをきっかけとして、会津地域のネットワークの土台づくりは十分にできたのではないかと思っている。ケア会議が、患者さんの課題・支援者の役割の明確化、顔の見える関係作りの第一歩として重要だということも、病院・地域(行政、事業者)双方に浸透した。
そして、今年度、会津若松市の自立支援協議会の中に、地域移行のワーキンググループとしてARSSの機能がほぼそのまま取り入れられた。退院後の地域生活の定着を重視した会津若松市が、地域生活定着支援事業、余暇活動支援事業を新たに始めた。このことは、ARSSの活動が決して無駄ではなかったと思っている。
当初は竹田綜合病院のベッド数削減という事情から取り組み始めた退院促進事業。しかし、取り組んでいく中で、退院させることが目的でなく、患者さんの人生を取り戻してあげたいという思いが支援者たちの心に芽生えていった。
今回の取り組みを行うにあたっては、竹田綜合病院が居住施設を持っていなかったことが幸いした。病院が居住施設を持ち合わせていなかった分、地域が頼りであった。そして地域は、それにしっかりと応えてくれた。そのおかげで医療の枠を越えた、真の意味での地域移行が実現できたのではないかと思う。
今後は、インフォーマルな資源を巻き込んだネットワーク(特に住居の問題に絡む不動産屋など)、地域移行した当事者のケアマネジメント、ピアサポーター養成などをどう展開していくかが課題であると考えている。
図3 プロジェクトで取り組んださまざまな内容とその後
プロジェクトの取り組み(平成20年度) | プロジェクト終了後(平成21年度~) | |
---|---|---|
1 | 地域支援ネットワークARSSの構築 | 会津若松市自立支援協議会 地域移行ワーキンググループとして存続 |
2 | 精神科病院機能の強化 退院支援員会を組織 |
退院支援員会を継続。退院活動部門から新たに急性期部門を独立させた |
3 | 地域体制整備コーディネーターと地域 移行推進員を専属に配置 |
福島県精神障がい者地域生活移行特別対策事業を受託 |
4 | 退院前から体験宿泊・体験通所 | 福島県精神障がい者地域生活移行特別対策事業を受託 |
5 | 地域の中の民家を借り上げ 宿泊体験施設「天神寮」として活用 |
終了 |
6 | 訪問型生活訓練の試行 (生活訓練事業所へ委託) |
通所生活訓練の1事業所が訪問型生活訓練をスタート |
7 | ピアサポーター活動「赤べこの会」 | 既存の当事者の会へ |
8 | 地域生活定着支援事業(新規) | |
9 | 余暇活動支援事業(新規) |
最後に
私たちのプロジェクトは、人と人をつなげることから始まった。退院促進、地域移行支援に対する考えや情熱、何とかしなければいけないという想いが、結果的にはそういう想いの人たちを結び付けてくれたのだと思う。会津は決して特殊ではなく、どこにでもある社会資源が乏しいといわれる小都市にしか過ぎないと思う。つまり、同じ想いがあれば、どの地域でも取り組むことができるのだと考えている。
この2年間で支援した患者さんは37人。そのうち29人が退院し、地域移行することができた。平成24年までに目指す100人にはまだまだ及ばない数字であるが、この会津地域のネットワークを駆使して、必ず実現できることを願っている。
(つかはらしゅういち 竹田綜合病院こころの医療センター精神保健福祉士)