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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年4月号

北海道釧路市における地域移行ピアサポーターの取り組みについて

西山優功・石塚一史・渡邊佳代子・福田文絵・佐々木寛

はじめに

2002(平成14)年、厚生労働省の「今後の精神保健医療福祉施策について」の報告書で大きな柱の一つにあげられたのは「受け入れ条件が整えば退院可能な72,000人の退院と社会復帰の宣言」であり、画期的な出来事でした。今になって考えてみると、これが釧路市における「ピアサポーター」誕生につながったように思います。もちろん、それまでも当事者の活動は少数ながら回復者クラブやたまり場参加などにみられましたが、北海道の委嘱を公式に受け、開設された退院促進支援事業(地域移行)のための「北海道生活支援センター(旧地域生活支援センターを活用)」に配置されたことが、そのスタートラインでした。

北海道における退院促進支援事業は、はじめ大阪で事業化された後、2003(平成15)年から国が施策として乗り出し、翌年の2004(平成16)年から2年間、釧路市と帯広市でもモデル事業がスタートしました。当初、北海道のモデル事業の要綱には「ピア」の「ピ」の字もありませんでした。帯広(十勝)市は開始当初から支援員にピアの位置づけも加え、釧路市は「ピア」とは命名せずに、当事者でありヘルパーの仕事もしている方に支援員としての仕事も位置づける形をとり、それぞれの市で「ピアサポーター」が、この退院促進支援事業の大切なスタッフとして一歩を踏み出しました。

ピアサポーターの誕生と育成

釧路市のピアサポーターは現在までに10人以上が誕生し、卒業生もでています。2010(平成22)年3月時点では5人が在籍し、釧路市と帯広市で始まったピアサポーターは現在、北海道内に100人近い仲間が活動しています。退院促進支援事業におけるピアサポーターは、道内の各地域生活支援センターに配置され、全道域で活動しています。

活動は当事者支援が中心ですが、各センターで行われている研修も豊富です。スタッフと当事者だけで行われる小さなものから、一般市民の方も共に学ぶ企画や、医療従事者と情報交換できる長期の研修もあります。はじめは研修の多さにビックリしましたが、研修を終えるたびに自分に自信がついてくるのでした。研修のなかでは、まず自分を見つめ直して、自分の体調が悪くなった時の対処等を考え、事前に予防するものやピアカウンセリングを通して傾聴するものもあります。

各地で行われる大きな研修に参加すれば、自分の地域との違いに刺激を受けますし、外国の事例を学べば、他国と日本の違いについても勉強するので視野がグッと広がります。全道のピアサポーター研修会、地域交流研修会などが積極的に実施されています。

昨年、福島県郡山市で開催された第17回日本精神障害者リハビリテーション学会の自主企画では道内のピアサポーターが全道研修を委託されている「さっぽろこころのリカバリー総合支援センター」の声かけで参集し、分科会も企画されました。釧路市をはじめ道内のピアサポーターの活動の発表がありましたが、北海道ではピアサポーターの活動は着実に広がり、仲間が増えています。ピアサポーターはさまざまな可能性を秘めた活動であることが、皆さんに伝わりだしているように感じています。

Aさんとの出会い

当事者が当事者を支援するということは、支援されるご家族にとっては心配なことかもしれません。しかし、当事者だからこそ、ピアサポーターだからこそ、できることがあります。精神障害という同じ病気や障害の経験から世間から腫れ物にでも触るような目で見られてきたのは同じです。一番理解してほしい家族にも理解されない現実は辛いものです。その辛さが、一番身近で理解できるのはピアサポーターである私たちです。特に長期入院を余儀なくされてきた方たちや現在入院中の方たちは、今の時代以上に辛い思いをしてきたことでしょう。

私たちが支援した方で、30年以上長期入院されていた方がいます。Aさんは、無表情で何を考えているのか、はじめはまったく理解できない上に、自分から話しかけてくることも無く、人とのコミュニケーションがとても苦手な方でした。病院が生きていく生活の場になってしまっていたAさんにとって、感情やコミュニケーションというものは必要なくなってしまったのかもしれません。しかし、外泊訓練を繰り返し、少しずつAさんとの信頼関係を築いていきながら、どうしたら病院より社会生活の方が楽しいと思ってもらえるか、そして何よりも退院したいという気持ちを持ってもらえるか試行錯誤しました。その結果、ようやくAさんは1年数か月前に退院し、今はグループホームで生活しています。 

退院してからの1か月は、Aさんにとって想像もできないほど精神的に不安な日々だったことでしょう。しかし、1か月を過ぎたくらいから喜怒哀楽の表情を表わすようになり、人として当たり前の感情表現が出てきたようにも思います。恐らく自分は、もう入院できないという認識、そのことにより心の奥底にしまい込んだ自分の諦めた人生に光が見えたのではないかと思われます。

外泊訓練をしてきたとはいえ、30年以上という長い歳月で失われたものは、大きすぎました。トイレの使い方から、お茶の入れ方、掃除洗濯の仕方等、当たり前に生活していれば自然と身に付くものすべてを失っていたので、ゆっくりした雰囲気で、しかも当事者としての経験も合わせて、少しずつ寄り添っていきました。銀行でのお金の引き出し方など、新たに覚えることもありましたが、自分のペースで少しずつ身に付けていき、今では当事者クラブにも参加され楽しんでおられます。

Bさんとの出会い

Bさんとの出会いは驚きでした、年齢は70歳代でお元気、「入院は?」と伺うと「20歳代の頃かな~」と…。しかも一度も退院していないとのこと。入院歴は約50年!!!Aさんよりもっと長いと絶句しました。しかし、Bさんのお話は障害を感じさせることは少なく、どうしてこんなに長く入院せざるを得なかったのか、医療とは何か、支援とは何か、を考えさせられました。退院については家族が反対していることをBさんは知っています。しかし、Bさんはその家族を思いやる優しい気持ちを持っておられます。Bさんの深い優しさにも触れた出会いでした。

Bさんは、外出では新しい体験を重ねています。さらには外泊も時間をかけ、体感を共有しながら「浦島太郎」との決別を図り、新しい豊かな人生のスタートラインに立ってもらいたいと願っています。

Aさん、Bさんとの出会いで感じたことは、どんなに長期入院の方でも生活する環境や支援により新しい生活のスタートラインに立てるということです。そして、その場面にピアサポーターは時に欠かせない役割を担っています。専門家とは違う立場で、この社会的入院から地域移行支援に向き合うのです。少しでも多くの退院できる可能性のある方たちの支援に何らかの役割を担い、今後もピアサポーターとして歩んでいきたいと思います。

ピアサポーターの課題と展望

ピアサポーターの活動はさまざまな意味があり、とてもすばらしい活動であると思いますが、一方で、職業としてどうなのか?という点について、研修会等でも話題になることがあります。仕事としても人の役に立てるすばらしい仕事であるとは思いますが、不定期でいつ仕事が入ってくるのか分かりません。釧路市内での時給は高い方ですが、収入は安定せず、この仕事だけで食べていける訳ではありません。将来的には、別の仕事を目指す方も出てくるかもしれません。

また、障害者自立支援法の施策とも直接リンクしている訳でもなく、今は北海道単独の予算措置で、その意味からも将来的に雇用不安が存在します。

もちろん、ピアサポーターの方々にもいろいろな意識を持っている方がいます。収入にかかわらず誇りや自信を持って活動されている方や、ボランティアの延長的な意味合いで活動されている方も多くいます。しかし、すばらしい活動、仕事だからこそ、きちんとした予算の確保や将来も活動、仕事として継続できる体制整備は、今後の最優先課題ではないかと感じています。

北海道では、このピアサポーターは知的障がいのある方の入所施設からの地域移行支援事業でも配置がなされる状況で検討されているようです。精神保健医療福祉分野での役割と同じであるかどうかは分かりませんが、これまでのピアサポーターの活動が認められたようでうれしく感じました。ピアサポーターの活動が安定して、さらに力を発揮できるような体制整備が全国に広がり、多くのピアサポーターが退院促進支援だけではなく、もっと大きな活動に広がることを願っています。

ピアサポーターは一人でも多くの社会的入院の方を減らし、退院につなげ、地域に出て幸せに暮らしていってほしいと願っています。それには、障がいがあるなしにかかわらず、みんなが自他ともに幸福になれる社会を築き上げていく努力をすることが大切だと思います。そのためにもピアサポーターが果たすべき役割は極めて重要であり、多くのピアサポーターが今後さらに全国に広がり、退院促進支援事業(地域移行)の枠を超え、地域精神保健医療福祉のための役割も担っていけるよう活動していきたいと思います。

(にしやままさよし・いしづかかずふみ・わたなべかよこ・ふくだふみえ=社会福祉法人釧路恵愛協会地域生活支援センター・ハート釧路ピアサポーター、ささきひろし=同センター長)


【参考資料】

○北海道精神障害者退院促進事業報告書(北海道/2006年)

○精神障害者の退院促進支援事業の手引き(社団法人日本精神保健福祉士協会/2007年)

○精神障害者の地域移行(社団法人日本精神保健福祉士協会/2008年)