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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年4月号

私の体験―25年間の隔離室から退院して―

ちょんちゃん

朝、目が覚めると「隔離」。ここは何処(どこ)だろう。壁はコンクリート畳が一畳、布団は汚れていて、とても食事などできない。担当の医師や看護師から、ここは何病棟とか隔離室の説明もなく何か月も一人で過ごしていた。私の25年間の精神病院入院の隔離室の記憶だ。

入院生活の中での楽しみは、お風呂の時間だった。隔離室から出られるし、たとえ15分でも自由になれる。おいしい水もたくさん飲めるし、食事のメニューも見ることができる。私にとっては楽しい時間だった。

25年後、強制退院となった。実家に帰って来て、すぐに私は母とケンカをして、初めて一人で黒いリュックと白い手袋をして、バスの中でいろいろな人に介護福祉士の安部桂子さんの事務所を聞き、家出をした。安部さんは、私を強く抱きしめて泣き、「よく帰って来たね、辛かったんだね」と言ってくれた。そして、私の実家に行き、少しの洋服と1万円と0円の通帳を取って来てくれた。

私には知的+精神の障害があり、福祉のことや生活保護の手続き、福祉事務所の担当のワーカーさんたちの役割について、安部さんと一緒に一から学んだ。アパートの保証人も安部さんになっていただいた。

アパートに引っ越して1か月が経ってから、朝起きたら床はもちろん、お布団も水で濡れていたのでビックリした。よく見ると、洗濯機のホースが外れていた。初めてのことなので「どうしよう、どうしよう」と思ったが、たくさんのタオルを床に置き、バケツに一杯水を絞った。安部さんに電話したら、飛んで来てくれて、「よく一人で頑張ったね」と言ってくれた。

退院して6年目を迎える私にとって、居場所は、こらーる・たいとうだ。スタッフもメンバーも同じ障害があるので、堂々としていられる。私はこらーる・たいとうのお陰で、自分の体験をたくさんの所で発表することができたことを大変感謝している。代表の加藤さんは、みんなに平等で、とても大きな声でわかりやすく話す人だ。

ここではピアスタッフの店長のおいしいコーヒーを飲んだり、みんなで協力して作る500円のランチを食べることができる。地域のお客様が来てくれて楽しそうに過ごしていってくれると、私もみんなもすごく喜ぶ。

こらーる・たいとうでは病院訪問活動もしていて、私はこの2年間、A病院に訪問している。これからもみんなと協力して、こらーる・たいとうを守っていきたい。

(NPO法人精神障害者ピアサポートセンターこらーる・たいとう)