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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年6月号

1000字提言

言葉はイメージを開く鍵

高久加世子

先天性視覚障害の私は、色を知らなくてもそれぞれの色をイメージとしてとらえているし、雲や星や月もすべて想像のかなたにあり、映画・演劇を見る時も、イメージの翼を無限に羽ばたかせている。たとえばそれが事実と違っていたり本質とはかけ離れていたとしても、それはそれで良いと思っている。なぜなら見ることのできないものへの憧れや好奇心が人一倍旺盛な私は、晴眼者の友人たちにあれこれ問い掛けながら自己修正しているし、それはとても楽しい作業でもあって、時には思いがけない発見さえあったりするのだから…。

そんな訳で、もう何年もこの方法を積み重ねて与えられた結論が今回のタイトルになった。ここに提示したそれぞれの場面は、私が味わったさまざまな体験のひとこまである。

あれは桜の季節、地元の誘導グループ「サンウォーク」のメンバーとお花見に出かけた。肌寒く、風の強い日だった。私たちはそれぞれに会話を楽しみながら、桜のトンネルを通っていた。すると一陣の風が走って私の服に桜の花びらがはらはらと舞い降りてきた。「まあ綺麗(きれい)、まるでフリルのようだわ!」同行のSさんが歓声を上げた。その瞬間、こころにぱあっとイメージの花が咲き、私はフリルのワンピースを着た少女になっていた。一瞬のファンタジーだった。

1月も半ばのある日、春のコートがほしくて妹と出かけた。行きつけのデパートはお買い得シーズンだった。ふと手に触れた1枚を指して私は言った。「あら、生地もソフトで着心地よさそう、これが良いわ!」するとしばらくの間があって妹が言った。「そうね、でもこの色は春の光には重たすぎるのよ!」「分かったわ」即座に私は納得した。この説明で十分伝わったからである。的確な言葉で表現されるとイメージの扉が開き、了解できるのである。

あれは花火の季節、サークルの仲良し4人で、有名な鎌倉の花火を見に出かけた。予想通りの人込みに、私たちは持参のグランドシートを敷いて席を確保した。この時はマイクで解説する人がいて、私も楽しむことができた。時間が進み最終に近付いた頃、クライマックスを告げる花火が大音響とともに打ち上げられ、周囲はどよめいた。その時である。「ねえ、ねえ、お月様に届きそうなんだよ!!見せてあげたい!!」親友のY君が私の右手を取って高く上げ、何度も振りながら繰り返した。「私にも見えたわ、心のスクリーンで見えたわ、ありがとう、ありがとう!」これは事実だった。Y君の感動が言葉と声を通して私に伝わり、イメージを移してくれたのだった。

この三つの経験を通じて私は知った。「言葉はイメージを開く『鍵』なのだ!」ということを…。

(たかくかよこ 元神奈川県ライトセンター職員)