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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年7月号

「空飛ぶ車いす」
―挑み続ける工業高校生―

(財)日本社会福祉弘済会

1 空飛ぶ車いすのポイント

「空飛ぶ車いす」とは、飛行機で運ぶ車いすのこと。日本の工業高校生が廃棄の運命にある中古車いすを再生、世界各地の人々にプレゼントする運動です。

工業高校生はクラブ活動や授業で分解、清浄、部品交換、錆(さび)取りをします。大変根気が必要な作業ですが、これまで24都道府県の約50校が参加、アジアを中心に24か国・4千人以上の方々に届けています。

「空飛ぶ車いす」は、高校生~渡航者~現地ボランティア(主に全国社会福祉協議会福祉研修修了者)、そして利用者へという流れに運送会社、航空会社も参加する国際手渡しリレー方式です。

ポイントは、渡航者と航空会社、運送会社の好意的な理解です。エコノミーの預け荷は、20キロ程度。車いす1台は約16キロ。この条件で車いすを運ぶにはグループで取り組むなど工夫が必要です。重量オーバーの場合は、各社に重量免除申請をしますが、原則は制限範囲内輸送です。

2 海から空へ―飛行機の参加意義

1999年まではコンテナ船輸送でした。

栃木在住タイ人の泉田スジンダさん(アジアの問題を考える会代表)の「アジアに車いすを贈る運動」の呼びかけに応ずる形で、92年、栃木工業高校からスタートしました。しかし当時の年1回輸送では、修理後、半年は保管状態となり、生徒のやりがいが薄れてきました。

そこで、数は少なくとも相手が見える活動を目指して、99年に日本に一番近い国、韓国で空輸トライアルを始めました。そして、車いす重量オーバー免除を相談するために航空会社を訪れているうち「主旨は分かる」、「1回ぐらいなら」という成果がありました。

空輸トライアルで毎月どこかに飛ぶと、運ぶ人、届く国、利用する人、航空会社、運送会社などが身近に感じられ、高校生に大きな励みとなりました。これが一部メディアで紹介され、全国の工業高校へ広がりました。10年を経て参加校は50校を超え、アジア就航の全航空会社が一度は参加しています。09年は374台が飛びました。

3 成田までの道のりとジャンボ機輸送へ

栃木工業高校1校だったのが24都道府県に広がり、日本通運が窓口を東京航空支店に開いてくれたことで全国集配物流システムに乗ることができました。修理校の広がりは、このシステム利用無くしてはできませんでした。実費程度で、このVIPサービスは21年目になります。

2008年、国際貨物専用ジャンボ機に「空飛ぶ車いす」が乗りました。日本貨物航空(NCA)が栃工タイ・ボランティアに輸送を申し出ました。名付けて「スマイル・ロジステックス」。フライトは年1回、バンコク行き。陸送と通関は日通が担当。08年のフライトでは、搭載ジャンボ機がタイ国際空港閉鎖に遭遇し、約2週間チャンギ空港に留め置かれるハプニングもありましたが、その間、日通とNCAの担当者は、毎日情報を提供してくれました。担当者は業務とはいえ、高校生にプロの仕事ぶりを見せてくれたことが大きな収穫でした。

4 車いすはどこから?

日本製車いすは世界に誇れるものです。そして必要な人は、いつでもどこでも新しい車いすを利用できる制度もあります。ですから「中古車いす」は日本では「ごみ」となります。その推計数は年間5万台を超え、その額は15億円相当。しかし「空飛ぶ車いす」は産廃処理業ではありません。「子どもの想い出があり捨てられません」、「父の形見です」。こんな「捨てられない車いす」が高校生の手でオーバーホールされ再活躍する。飛行機に載せる意義は大きいのです。

5 挑み続ける工業高校生

「車いすが届いた日にチィちゃんは初めて学校へ行きました」、「外出をあきらめていたシャマール君も車いすで散歩できるとお母さんは泣きました」など、各国から喜びの声が届きます。しかし、ベトナム、スリランカ、タイを訪問した高校生は、障害者に厳しい環境を目の当たりにし「チィちゃんが大きくなったら、次の車いすは?」、「空気入れもない村でパンクしたら?」こんな課題にも気付きました。

アジア諸国でだれでも車いすを利用できるようになるには長い時間がかかるでしょう。でも、今日、今、車いすがほしい人が大勢います。この現実の中で、ノーパンクタイヤに交換した車いすが空を飛び続けています。

「空飛ぶ車いす」は、技術教育、国際理解・交流、福祉支援、資源活用などさまざまな要素があります。基本は高校生の社会体験学習ですが、国際協力へと続く可能性は大です。


【参考図書】

ノンフィクション童話『空飛ぶ車いす―心がつながるおくりもの―』文・井上夕香、素朴社、2008