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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年7月号

1000字提言

『手話で学ぶクスリの教科書』出版に思う

早瀨憲太郎

耳が聞こえない者にとって病院とは遠い存在になりがちである。医者が言っていることが分からないということは、単に情報が伝わらないということだけではない。自分の病気が何なのか分からない不安、どんな治療を自分は受けているのか分からない不安、自分が飲んでいる薬が何の薬なのか分からない不安など、病院に行くたびにもともと病気で弱りがちな気持ちをより不安にさせられるのだ。そのため病院に行きたがらないろう者が多く、ますます症状を悪化させてしまう。

入院した時の全くだれともコミュニケーションがとれず周りの情報からも断絶される環境は、孤独感にさいなまれ、まるで自分が悪いことをしたような錯覚に襲われる。

最近、耳の聞こえない人たちにとってより良い医療環境を築いていく取り組みが全国各地で起こっている。聴覚障害者専門の外来もいくつか誕生しており、手話通訳者が常勤している病院も増えつつある。

数年前には「医療の手話シリーズ」の本が財団法人全日本ろうあ連盟出版局から発行され、大きな反響を呼んだ。そしてつい先日、その流れをくむ『手話で学ぶクスリの教科書』という本が薬事日報社から出版された。この本は、実際にろう者の薬剤師たちがモデルとなって薬局での会話例が手話の写真とともに解説されており、薬の用語に対応した手話も掲載されている。

私はこの本を手にした時、今まで薬剤師たちはこのようなことを話していたのか!と衝撃を受けた。薬剤師たちが私に聞きたかったことはこれだったのか!私はこのように答えればよかったのか!など目から何枚もうろこが落ちる思いがした。

実際の会話例を見た時に、あれほど感じていた不安感がどこかに行き去り、むしろこの本を持って薬局に行きたいという思いに駆られた。

この本は耳の聞こえない薬剤師たちによって作られたという。耳の聞こえない立場と医療現場で働く立場の両方が分かる強い存在である。医療現場にこういった耳の聞こえない医療従事者が増えていることは大変心強い。

耳の聞こえない人たちが、病院が苦手だからと行かないようになったり、あるいは分かったふりでごまかしたりしているだけでは何の進展もない。医療現場に変わってもらうのを待つだけでなく、病院に行き、私自身で環境を作っていこうと努力をするべきなのだ。

病院や薬局で、このような本を開いて指さしで会話をすることが大きな一歩になると信じている。

(はやせけんたろう 「NHKみんなの手話」講師)