音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年8月号

家族の立場から

田中晶子

私の息子は特別支援学校高等部2年生、16歳である。幼児期からの経緯~青年期に向けての親の気持ちを書かせていただきたい。

生後早い時期から感じた不安

息子は3歳で自閉症の診断を受けた。長女から5歳離れて授かった2番目の子どもだったので、生後早い時期から「ちょっと違う」という漠然とした不安を感じていたが、歩き始めると多動が激しくなり、育児書や「家庭の医学」を読みあさった私は「自閉症かもしれない」と思った。しかし、この時期に相談した医師や保健師からは「お母さん考えすぎよ」とたしなめられ、時に叱られ、進展がなく、不安が募り辛い時期であった。

2歳―1年間母子通園

2歳になった時、保健センターでの個別相談で「母子関係が薄い」と診断され、区の福祉センターを紹介される。こちらには1年間、週1回の母子通園でお世話になった。

この頃の私は、センターに通えば何とかなるのかと思っていた。何か専門的な、何かとても画期的な、子どもの様子がみるみる変わるような、そんなことが起こるのかと思っていたのだ。

現実はそんな劇的な変化はなく、母子の生活の見直し、関わり方というところから始まり、たくさん言葉かけをして丁寧な育児をするよう指導を受ける。私は焦って自信を失くしていた。先生の言うとおりやろうとしても上手くいかない。そもそも息子はこんな育児教室に通っていていいのか?もっと大変な事態ではないのか?と、焦りと不安を感じていた。

母子通園を振り返っての要望

療育グループに母子通園する親子には、それが発達上の小さなつまずきで、保健センターのグループ指導等で効果を上げる程度のことなのか、または自閉症のように、将来にわたって生活や学習に特別な配慮を必要とするケースなのかをきちんと見極め、ある程度ふるい分けしてケアしてほしかった。年齢が小さく見極めが難しい場合は、子どもの経過をみてシフトを見直していく等、柔軟な対応を望みたい。

家族に対しても障害の告知を受ける前後のこの時期、心理的な支えとなるカウンセリング等の時間的・具体的サービスがほしい。育児の困難さや不安を抱える親が精神的サポートを受けることで、子どもへ気持ちの余裕を持って育児に臨むことができる。

この時期、母親の自分にとって、息子は宇宙人のようだった。行動の予測がつかなくて何を考えているのか分からなかった。息子はどうだったのだろう。母は「怒ってばかりいる人」「すぐ止める人」であったか。捕まえる手をするりとくぐり抜けて走っていく子どもであった。

3歳―肯定的で前向きな告知に感謝

息子が3歳の時、大学病院にて「自閉症ですね」と診断される。告知の際に障害名にショックを受けることはなかった。今後の方向が見えたようでむしろほっとしたのを覚えている。「私の接し方のせいじゃなかったんだ。障害が息子の育ちを阻んでいるなら、克服していけるよう頑張ろう」と意気込んでいた記憶がよみがえる。

告知は、障害をもつという事実がレッテルを貼るということではなく、その事実を受け止めた時に本人や親が生きやすくなる、というものであってほしい。障害があったとしても、どんな特性があり、どんな得意なことがあり、どういうことに取り組めば将来、その子が幸せになれるかを親にしっかり伝えてほしい。

息子に自閉症の診断を受けた時、ドクターから「自閉症の子どもさんは、なかなか学習が入りにくい。こだわりも強いことが多い。しかし、正しいことを身につければ忘れず怠けずきちんとやります。それはご本人の大きな財産になりますよ」と肯定的に前向きに伝えていただいたことを感謝している。病院附属のデイケアと幼稚園と並行して通った3年間は、本人も私たち家族も多くのことを学び、成長させていただいたと思う。

幼児期―3年間、デイケアと幼稚園で継続支援

多動やこだわりの強さ、感覚の過敏さなど息子の困った行動に振り回されていた幼児期であった。デイケアと幼稚園、それぞれの先生方が継続して関わってくださることで、息子にとって積み重ねる経験となった。親にとっても、子どもの小さな変化を感じ取ることができると、それが自信につながり、家庭で少しずつ実践していく気力が出てくる。困った行動の理由を息子本人から聞くことはできなかったが、いくつかの事実を集め、仮説を立てて試行錯誤しながら手探りで地道に積み重ねていくほかなかった。

息子への声かけは、伝えたいことを具体的に短くはっきりと。「走らない」ではなく「止まって」。「登らないで」ではなく「降りて」。彼に伝わる『伝え方』をこちらが心掛けることで生活が少しずつ変わる手応えを感じ始めた。

子どもにとって早い時期に正しい働きかけが必要であると同様に、親にとっても正確な情報と、わが子の存在を受け止めて共に生きていく覚悟を培うことが必要である。自閉症に対しての「特効薬のような治療や教育」というものはあり得ないこと。大切なことは、子どもの問題行動だけにとらわれないで、子どもの今の姿を見つめる目と、状況を整理して何を大切にしていくかを見極める目を持つことなのだ。

この時期にデイケアでの療育と幼稚園での生活を通して学んだことは、周囲との関わりを通して育つ道筋には、健常と言われる子どもたちと何の変わりもないのだということ。わが子には障害があるけれども、人の価値は他者との比較で決まるのではなく、障害があってもなくても人は人として尊重される人生を生きてよいのだと思うようになった。障害をもつ子どもも、その子なりに一生懸命に生きていけばいい。母親として自分は、この子のためになることを考え、この子が生きていくのを精一杯支えていけばよいのだ。と考えるようになり、母としての私もこれまでの生き方というか、価値観を新たに作り上げていくことができた。

しかし、わが子の障害を受け止めて一緒に生きていこうと歩き出してからも、子どもの成長とともに、就学や就労などの節目には、年齢を重ねるごとの新たな局面に向き合いつつ生きていくのだ。日常は葛藤の連続である。「障害受容」は1回だけではなく連続体なのだ。

5歳―就学相談で受けた現実

5歳になった時、就学相談を受け、突きつけられるものを感じた。就学相談では「お子さんは、集団行動ができない、先生の話を聞いて行動できない」と指摘を受け、それは確かに事実だが、これができないあれもできない、という判定は、○○ができるようになったね、と小さな変化をくみ取って次につなげながら暮らしてきた幼児期を否定されたように感じ、大変悲しいものであった。

就学相談は、なかなかスムーズにはいかなかったが、それはかえってこれからの学校生活で「子どもの何を大事に育てていくのか」、「学校に何を望むのか」、そして「家庭で親が努力して補える部分は何だろう」ということを改めて考える機会となった。

先生と親をつなぐ専門家に期待

学齢期の子どもの生活はやはり学校が中心である。一番影響を強く受け、また一番支えてくださるのは学校の先生である。学校への専門家の積極的な関与…学校の先生が専門家のサポートを受けることができる体制が必要だと感じる。母親からの情報だけでは難しいのだ。学校の先生と親をつなぐ専門家の役割に期待したい。先生に余裕が生まれ、保護者とも良い関係が築ける。先生との関係が良くなると、保護者にも余裕が生まれ、親子関係が良くなり、結果的に子どもの状態が落ち着くということにつながっていく。子どもを中心として、親を含めた周囲が緩やかに連携していくことが大切である。学校で子どもが困った時、先生に「どうすればいいですか」と聞ける関係が築けていればよいのだ。

学校生活と並んで、放課後の活動―学童保育やタイムケア事業や塾なども大切な居場所と言える。学齢期においては「学校」と「地域の居場所」によって家庭生活が支えられている。このような「日常の暮らし」の周りに、わが子を理解してくれる人がいてくれることが、豊かな暮らしにつながる。

バス通学の小学校時代、通常級のお母さんが声をかけてくれた

息子は小学校の後半から一人登下校の練習を始めた。この時、学校で知り合ったお母様方が折に触れて、「昨日バス停で見かけたわよ」とか、「さよならと言ったら手を振ってくれたわよ」とか、「バス停までの道をちゃんと端っこ歩いていたわよ」とか、息子の様子を伝える声をかけていただいた。それは大変心強く、ありがたかった。

親と一緒ではなくて、本人が一人で街を歩いていて、その姿を目にとめて声をかけてくれる。そして、後で私に伝えてくれる。こういった経験は私たち親子が、「そこに暮らす地域の人が私たちを見守ってくれている」ということを感じる、初めての一歩であった。

中学校特別支援学級で地域青少年委員から調理実習・買い物学習の支援を受ける

「地域運営学校として、地域や保護者の方々による日常の授業での教員のサポートを行い地域とともに本校の教育活動を推進していきます」という学校の教育方針の下、調理実習で、地域の方々が支援に入ってくださった。家庭では、親も子も調理に取り組む余裕がなかなか持てないが、こうした機会を学校で体験できるのは大変ありがたかった。調理前日には地元の商店街に、お店の方と顔なじみの地区委員の方と一緒に、買い物学習を積み重ねて体験でき、生徒たちは地区委員の方から地域への顔つなぎ、「この子をよろしくね」という後押しをしていただけた。

こうした地域の支援があるということは、充実した調理実習を行えるという学校の授業時間だけにとどまらず、子どもの生活を豊かにしていただいたと思う。登下校時やお休みの日に、子どもたちが街を歩く時、中学校で知り合った地域の方々とご挨拶できることはとてもうれしい。それはきっと卒業後の、「街のなかで分かってくれる人がいてくれる暮らし」につながる一歩かな、と心強く、ありがたいことであった。

こうした子どもをとりまく周囲の方々にお話する時、「障害」の説明・障害の知識よりも、本人の個性とか、個性ある一人の子どもとして理解してもらうようにお話する方が、やりとりして伝わる実感があった。親とか支援者に都合のよい「当事者像」に頼らず、まず、その子自身をよく見て必要な支援をお願いするのが大切と思う。

本人の幸せな暮らしを願って意向書やサポートブックの作成

自閉症は十人十色であり、高機能自閉症・アスペルガー症候群など知的な遅れを伴わないものから、知的障害を伴うものなど本当にさまざまである。彼らにとって、親や支援者の視点のみで支援を考えることが難しい局面があると思われる。

私は、息子に知的障害があり、「言葉を持たない子ども(当事者)の代弁者」として彼をとりまく環境を整備し調整してきた。しかし、彼自身はどうだったのだろうと、このごろ自戒を込めて考える。彼としては「よく分からないけど、おかあさんが連れていった」という場所がたくさんあるだろう。

本人の必要な情報を彼に関わる人たちが共有できて、これからの幸せな暮らしが可能になるよう、意向書やサポートブックを残していかなければと考えている。社会とつなぐのは親の役割だとずっと考えてきたが、親子の距離、子ども本人の自我、息子が息子自身の人生を歩んでいくことを思う時、その役割において、ずっと親が君臨することはできないのだと思い至った。今後の大きな課題である。

(たなかあきこ 東京都自閉症協会理事)