音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年8月号

1000字提言

レクリエーション

小山内美智子

人間にとって生きる上で、レクリエーションはストレス発散法であり、大切なことだ。

子どもの時、友達は杖を使い野球やサッカーをしていた。まだ車椅子バスケットがなかった時代だ。私は足でおままごとをしたり、着せ替え人形をしたり、タンポポを摘み花輪を作っていた。高校に入るとパークゴルフができ、足で蹴飛ばしできた。グラウンドにチョークで線を引き、ラケットを足指で持ちやすくするために細く削った物があった。本格的なボーリングを買ってくださり、足で転がし行った。

私は先生のアイデアで人生観が変わった。生きることってこんなにも楽しいことなのかと、ラケットを持つ足指の皮が剥(む)けて血が出てもカットバンをして張り切っていた。登山をして頂上に登りついた時のビールの味が忘れられない。

教育とは教科書を正しく教えるのではなく、教師のアイデアで勉強が楽しくなることを知った。

私は電動かなタイプライターを打ち続け、激しい障がい者運動をし始め、要望書を数え切れないほど書いた。原稿や手紙を毎日書き続けた。その無理がたたったのか、20歳後半から歩けなくなってしまった。子どもを産むとさらに障がいが重くなってしまった。自分の力で楽しめるものが減り、水彩画や彫刻や編み物はできなくなってしまった。首の手術を3回すると左手足に力が入らなくなった。今は原稿を打っていただける秘書がいて口述筆記をしている。

生きている限り楽しみを見つけなくてはいけない。時間を見つけ足指に絵の具をつけ、花を書いてみようかと計画を練っている。しかし、また夢中になってしまうと首に悪いかなぁと不安になってしまう。

15年くらい前か、一般のボーリング場に小さな子どもの滑り台のようなものがあり、ボールを乗せ指一本で押すと時折ストライクが出る。快感である。スウェーデンに足の指一本で、アーチェリーができるものがあると聞き探してみたが、開発した人が海外旅行中で見ることができなかった。残念、無念。

今現在、私が燃えていることは、飴とりゲームである。かすかに動く右手を台に上げて飴がたくさん積んである所をめがけてボタンを押す。そして台の上に乗せる。とてもスリリングである。飴が5個くらいで千円以上かかってしまうので少し控えている。

あっ!!そうそう、足で釣りをしていたこともある。板金屋さんに頼み、靴の上から釣りができる道具を考えた。釣竿が斜めになり引っ張られる感覚は心が踊り、笑いが止まらない。どんなに障がいが重くなっても遊ぶことを忘れてはいけない。先日、何年かぶりにカラオケに行った。モヤモヤしていた心がスッキリして、あまりにも楽しかったので涙が出てしまった。生きることは楽しいものである。

(おさないみちこ 社会福祉法人アンビシャス施設長)