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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年8月号

文学にみる障害者像

ゴーゴリの『狂人日記』

高橋正雄

ゴーゴリ(1809~1852)が1835年に発表した『狂人日記』(横田瑞穂訳、岩波書店)は、精神病者の目を通して官僚や上流階級の俗悪・虚飾を批判した小説という側面があるとともに、幻覚や妄想などの症状を呈した下級官吏が精神科病院に入院させられるという物語でもある。したがって、そこには幻覚妄想患者の心理や当時の精神科病院に関する優れた描写を見ることができるため、本論では『狂人日記』に描かれている主人公の心情や精神科病院の対応などを中心に、若干の検討を加える。

1.主人公の症状

この物語の主人公は42歳になる九等官だが、彼には幻覚や妄想を思わせるさまざまな症状が出現する。彼の症状には、犬同士が会話する声を聞く、犬が書いた手紙を読む、地球が月の上に乗ることを心配するなどのほか、月はハンブルグで作られるが柔らかくてもろいとか、人間の脳髄はカスピ海の方から風に送られてくると思い込むといった奇想天外な症状も記されている。

そんな彼は、「おれは、このあいだごろからときどき、ほかの人間たちには見たり聞いたりすることがけっしてできないようなことが、よく見えたり、聞こえたりはじめている」とか、「こんどこそ、いろんな事情や、思惑や、その動機やらがすっかりわかって、いよいよいっさいが明るみへでるときがきたのだ」といった、いかにも幻覚妄想患者らしい思いを抱くのである。

主人公の精神変調は職場でも気づかれていて、彼の上司は彼の勤務態度を、次のように非難している。

「どうしたというんだい、おい、きみ、きみの頭いつもどうかしているじゃないか?どうかすると、きみは、まるで気がふれたようにふらふらするし、仕事をすればときどき、書類の表題を小文字で書いたり、日付や番号をつけなかったりして、まるで見わけがつかぬようにしてしまう」

しかし主人公は、課長から叱責されても、反省するどころか、課長は自分への嫉妬からこのような言いがかりをつけるのだと、解釈するばかりである。このあたりにも主人公の判断力の歪みがうかがえるが、彼は課長に対しては、「これはみんな、あの課長めのやったことだ。あいつめ、おれを不倶戴天の敵のようにうらんでいやがるんだ――だからおれをことごとに、やっつけよう、やっつけようとかかっているんだ」といった被害妄想的な感情も抱いている。

また彼は、自分自身の身分についても疑問を抱くようになっていて、「ひょっとしたら、おれはぜんぜん九等官なんかじゃないかもしれんぞ?もしかしたら、おれは伯爵だか将官だかの身分でありながら、ただ自分で九等官だという気がしているのかもしれんぞ」と、血統妄想を思わせる症状も出現している。

そして、新聞でスペインでは王位につく者がいなくなったという記事を見た彼は、ある日(その日付は「2000年4月43日」と記されているのだが)、実は自分こそがスペインの王様なのだと思い至る。「スペインに王さまがいたのだ。見つかったんだ。その王さまというのは――このおれだ。今日はじめて、それがわかった。うちあけていえば、まるで稲妻が照らすように、ぱっとそれがわかった」

自らの身分に対する日頃の疑念が解消するような形のこの思いつきは、「いまのおれには、いっさいが手に取るようにはっきり見える」とあるように、何の根拠もないのに突然あることを思いついて確信するという、いかにも妄想着想を思わせる思いつきである。

以来、自分をスペインの王と思うようになった彼は、それまで3週間以上休んでいた役所に出た時に、本来は長官が署名するはずの書類に「フェルジナンド8世」と署名するといった事態に立ち至るのである。

2.精神科病院への入院

こうした一連の事件の後、彼は精神科の病院に入院させられるのだが、彼は自分が精神科病院に入院させられたとは思っていない。入院後も彼は、自分は王様として使者たちに案内されてスペインに招かれたという勘違いをしているのである。

そこで彼は、スペインならぬ精神科病院の実態を見て驚くことになるが、彼が見た当時のロシアの精神科病院とは、次のようなものである。

(1)とっつきの部屋には、頭をくりくり坊主にした者たちが大勢いた。

(2)総理大臣と思しき人物が「これからフェルジナンド王なぞと名のったりしてみろ、もう二度とそんな口がきけない目にあわせてやるから」と脅したため、主人公が嫌だと答えると、主人公の背中を棍棒で二度ひどく殴りつけた。

(3)「坊主なんかになるのは御免だと言って、声をかぎりにわめきたてたのだが、とうとう頭を剃られてしまった」とあるように、本人の意志を無視するような形で無理矢理頭の毛を剃られた。

(4)「冷たい水を頭へぶっかけられはじめたとき、どんな気持ちがしたか、そいつはよく思いだせない」「ああ!なんてひどい目にあわせやがるんだ!頭から冷水をぶっかけやがる」とあるように、反抗的な態度をしたといっては、頭から冷たい水をかけられた。

(5)「情けもなければ、容赦もない、てんでおれの言うことに耳を貸そうともしない。いったい、おれが奴らにどんなわるいことをしたというのか?なんだって、こんなにおれを苦しめるんだ」とあるように、自分の言葉に耳を傾けてもらえぬまま、過酷な扱いに苦しめられた。

結局、精神科病院でも過酷な扱いを受けた主人公が「おっ母さん、このあわれな息子を救っておくれ!この痛い頭に、せめて一滴、涙を注いでおくれ」と、母親に助けを懇願する場面で、この物語は終わるのである。

以上が、『狂人日記』に描かれている主人公の精神病と精神科病院での体験の概略である。最晩年には自ら精神障害に陥るとはいえ、当時26歳だったゴーゴリが、どのような体験や伝聞に基づいてこうした自らの未来を予見したかの如き作品を書いたのかは不明であるが、そこには、犬同士が会話をしたり手紙のやりとりをするといった荒唐無稽に過ぎる症状や精神障害者を滑稽視するような表現など、今日から見れば時代の限界を感じさせる部分があることも事実である。

しかし、その一方で、「わからない、なにもかもさっぱり見当がつかぬ」と妄想と現実の狭間で混乱する様子や、「いや、よそう、黙っていることだ」と自分の想念をそのまま表出することを警戒・自制する態度、「広い世の中に身のおきどころがないんだ」といったこの世に居場所がないという思いなどは、幻覚妄想患者並びに精神障害者の心理をとらえて見事というべきであろう。

特に注目されるのは、精神科病院の対応を描いた部分である。そこでは、本人の同意なしの入院が行われているばかりか、棍棒で殴りつける、無理矢理坊主頭にする、頭から冷水を浴びせるなどの強圧的・暴力的な行為が目立つ。それは、患者の側からの一方的な記述とはいえ、本来治療の場であるべき精神科の病院が、患者に「あんなにいやな気持ちは生まれてから一度も味わったことがない」、「もうおれはたまらん、こんなひどい目にあわされてはがまんができん」といった思いを抱かせていること自体、問題であろう。

そこには、当時のロシアの精神科病院の暴力的な雰囲気なりイメージが反映しているのかもしれず、そう言えば、19世紀ロシアの精神科病院を舞台にしたガルシンの『赤い花』(1883年)やチェーホフの『六号室』(1892年)などの作品でも、患者の人権を無視した暴力的な病院の対応が描かれている。

だが、『狂人日記』で最も印象的なのは、精神科病院に閉じ込められた主人公が、母親に助けを求める場面であろう。この部分には、自分はあくまでも王様であると思いつつ母親に助けを求めるという二重見当識的な心理が描かれているが、ここで主人公が訴える「あんたの息子がどんなにひどい目にあわされているか、まあ見ておくれよ」、「この病気の息子をあわれんでおくれよ」などの言葉は、過酷な状況に置かれていた当時の精神障害者、とりわけ精神科入院患者の思いを、広く社会全体に向かって訴えた言葉のように思われる。その意味では、ゴーゴリの『狂人日記』は、ピネルがフランス革命の最中に精神障害者を鎖から解放してからおよそ40年後のロシアで書かれた精神科病院批判の書ということもできるのである。

(たかはしまさお 筑波大学障害科学系)