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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年11月号

列島縦断ネットワーキング【東京】

JD結成30周年記念公開市民シンポジウム
国際障害者年から権利条約実現への歴史・情勢・人間に学ぶ

花田春兆

会場300席一杯の参加者を得て

JD(日本障害者協議会)30周年最初のイベントである公開市民シンポジウムが9月4日(土)午後、東京・清瀬の日本社会事業大学で開催された。

過去113年で最も暑いというこの日、全国からさらに熱い思いを胸にした人々が集い、ときにユーモアを交えながらの熱い議論に、忘れられぬひとときを共にし、明日への健闘を誓い合って別れた。

30周年記念事業として、日本社会事業大学の協力の下、JDが総力を挙げて取り組む連続講座・銘々塾。

その幕開けの市民シンポの充実ぶりは、JD広報誌『すべての人の社会』(2010年9月号・10月号)で概要が紹介されているので、そちらをご覧願うとして、ここは私の個人的感情の印象記になることを、お許しいただく。

清瀬。60年前の戦後、療養俳句のメッカとして、40年前は、“青い芝”に運動体としての新風を吹き込んだ久留米園のテリトリーとして、一度は眼にしたかった町だが、駅からバスに揺られる間どうにも瞼(まぶた)が閉じてきて、窓外を楽しむどころではなかった。

大学。新築移転当初、JDで来たように思っていたのは錯覚らしく、広大な構内のどこにも、見覚えらしいものは探せなかった。

アーカイブ―JD30年の軌跡

開幕、スクリーンをJDの30年が走る。この30年間の、障害者を取り巻く日本の歴史・情勢、そしてそれを彩った忘れ得ぬ人々を通じて、辿(たど)られるJDの闘いの軌跡。

写真のコラージュにBGMをのせたアーカイブ。JD薗部情報通信委員長が7分間の世界に結晶させた苦心の力作。

もちろん初めて観(み)る世界だという人も多ければ、生まれる前の世界だという人も増えているだろう。

だが、設立当初からの役員である吉本副代表、板山顧問、それに私の3人が、開会前のフロアで、お互い健在のエールを交換したほどに生き証人もまだ残っている。遠く去った過去ではない。生きた、生き続けさせなければならない歴史なのだ。

(活躍した役員でも、ここ2、3年で物故する人が急に増えてしまった感じだが、創立以来JDを支え続けてきた事務局、歴代の女性陣の皆さんはお元気とのこと。30周年の祝杯を挙げる折は、そろってお顔を見せてほしい。そんな想いも湧く……)

このアーカイブでうれしかったのは、私の著書『1981年の黒船』の表紙が、冒頭の画面から飛び出てきた、と感じた一瞬だ。

“黒船”は、国連のIYDP(International Year of Disabled Persons:国際障害者年)を、日本の障害者福祉を進める外圧として、フル活用を目指したJDの共通認識であり、合言葉でもあったはずだ。

もちろん、そうした華やかな?動きに、欧米追従のお祭り騒ぎ、との批判的な見方は障害者仲間にもあった。

IYDPなんかふっ飛ばせ!だ。

そんなJDのことなど全く知らない人から、最近、黒船は、古き良き日本を破壊した元凶、との意味でも使われることを、改めて指摘された。

ショックだった。

が、気付いてみれば、そんな意識は私にも根を張っていた。立場と年齢による差もあるのだろうか。

30年。IYDPは権利条約に、JDはJDFに変わり、新しい波が高まっている。

シンポジウム:第1部「歴史に学ぶ」第2部「今後の改革への課題」

で、肝心のシンポジウムだが、パネリストはまさに豪華メンバー。

コーディネーター:佐藤久夫(日本社会事業大学教授)

シンポジスト:尾上浩二(DPI日本会議事務局長)
森本美紀(朝日新聞記者)
藤井克徳(JD常務理事)

指定発言:板山賢治(JD顧問、元厚生省社会局更生課長)

現在、これ以上は浮かばないようなベストオーダーだが、先のお2人は私にとって初顔?で新鮮だったし、特に尾上君(氏というより、こう呼びたい親しみが湧いた)には、強く惹(ひ)かれた。

かつて一時期、JD(当時は国際障害者年日本推進協議会:推進協)事務局長でもあった板山さんの、相変わらず健在の獅子吼ぶりを確認できたことと、尾上君を知っただけでも、かなり無理して清瀬まで出て来たかいはありそうだ。

厚生・文部両省と渡り合って、勇名を轟かせた関西青い芝の関係者で、エリート集団?DPIを牛耳る人、という近寄り難いイメージがあったのだが、解(わか)りやすくユーモアを含んだ語り口は、人間的な幅と厚みを感じさせて、快かった。上々の滑り出しだ。

そうした運動の経験を踏まえればこそ、障害者だからこそ気づく直観力の確信と、当事者運動の重要さを述べ、運動の流れは「保護・更生から自立・権利へ」。自立支援法は、費用徴収問題の歴史を無視したことが重大な問題であると指摘。これからは世論とともにどう行動をつくっていくか、障害の有無を越えたところに光を求めて運動を進めたい、と力説できるのだ。

最後を、実際に支援している人々への支援にも配慮した支援法でなければならない、と結ばれたと記憶しているのは、私の思い込みだろうか。それほどに言いたい・聞きたい一言だった。

50歳前後とあるから、ちょうど30年前の私に近い。同じような位置とも言えよう。行動力・雄弁・迫力…すべてに向こうが数等上なのだが。何よりも柔軟性が感じられるのがうれしい。

本誌に連載中の「リレー推進会議レポート」、彼のレポートのおかげで推進会議まで身近になった。

他のシンポジストの発言に触れておこう。

森本氏は、新聞記者として、障害問題の素人の視点で、数百万人の読者を意識して、障害のない人の共感を得られるように、障害問題の記事を書くことを心掛けていると言う。障害のある人の住みやすい社会は障害のない人々にとっても住みやすい社会であることを認識してもらうために、と。障害問題に限らず、社会保障の問題を含めた広い社会問題として捉(とら)え、新聞紙面という場で運動してくれる、心強い応援者である。

藤井氏は、JD発足以前から地域での運動を展開しており、また、発足と同時にJDに関わるようになってからは、その実践の場をさらに広げ継続している経験から、“運動は裏切らない”と発せられた。この言葉は、参加者に強い印象を植え付けたようだ。社会情勢に対応できるように、その時々に重要なことを深く考えて前へ進むことにより、方向性が開けてくるという。そして、これからは科学的な運動や、若者や高齢者など、問題課題が隣接している領域との連携も必要であると。さらに、他の障害者、より小さい団体にどこまで思いを馳せられるかが大事であるということを訴えた。

コーディネーターの佐藤氏は、最後に、障害者の制度改革を目指して推進会議などが進められているが、その内容が一般社会に提供できるものになり得るように導いていくために刺激的なシンポジウムであったとまとめた。

フロアからの重大発言、御大とも称される板山先生の熱弁に触れて、締めにしよう。

思い切って要約すれば、――世論と政治を動かすこと、それをテコに旧態依然としてある差別に立ち向かわなければならない――との指摘だ。

そう、法や制度の改革だけでは容易に変わらない、その奥、その底にあるものへの意識こそが、いつまでも涸(か)れぬ闘いのエネルギーなのだ。

立場と方法こそ異なれ、私もその意気で生きたい。

(はなだしゅんちょう JD顧問、本誌編集委員)