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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年4月号

触法障害者の支援
―「司法と福祉の連携」を考える

浜井浩一

はじめに

読者の皆さんは、日本の治安をどう考えているだろうか。まず、その点を簡単に確認しておこう。

現在、日本社会は急速な少子・高齢化に向かっている。犯罪の主な担い手は若者である。少子・高齢化は、犯罪の主要な担い手である若者が減少することを意味している。その結果、殺人などの凶悪犯罪は減少傾向にある。同じように、交通事故による事故死、特に無謀運転による事故死が減少しているのも、車の安全性能の向上や救命救急の普及に加えて、若者の人口が減少していることが大きく影響している。

同時に、若者の減少は、消費など経済に大きな影を落としている。新車の販売が落ち込んでいるのも、20代の人口が減少している影響が大きい。新車が売れないことで、若者による交通事故も減少する。ある意味では、少子・高齢化によって、日本はさまざまな点で活力を失いつつあるのかもしれないが、同時に若者特有の「無謀さ」が失われ、犯罪や事故という面では、図らずも安全・安心を実現しているともいえる。

高齢者の問題

犯罪の数そのものは減少しているのだが、その中で深刻となっている問題がいくつかある。ひとつは、高齢者犯罪の増加である。人は、加齢に伴って犯罪とは縁のない生活を送るはずであり、それが犯罪学の常識である。しかし、日本では、高齢層の検挙人員、起訴人員、受刑者人員が、最近、顕著に増加している。

図1は、1988年を100とした場合の総人口と刑事司法に関与する人口の増加率を比較したものである。20年間で高齢人口は2倍に増加しているが、高齢者の起訴人員は8倍、受刑者も6倍以上に増加している。つまり、刑務所の高齢化は一般社会の3倍以上のスピードで進んでいるのである。

図1 刑事司法手続段階別高齢者の推移
図1 刑事司法手続段階別高齢者の推移拡大図・テキスト
注:『平成20年版犯罪白書』のデータによる。

それでは、なぜ高齢者犯罪が増加しているのか?増加している高齢者犯罪の中心は万引きや自転車盗であり、その背景には社会的孤立や生活困窮がある。本来であれば、加齢とともに犯罪を起こしにくくなるはずにもかかわらず、高齢者による犯罪が増えているということは、何らかの社会的要因によって高齢者が犯罪に追い込まれている可能性が考えられる。つまり、急速に高齢化が進行し、セイフティーネットで支えきれなくなった人たち、一般社会での居場所をなくした人たちを福祉に代わって刑務所が受け入れているという側面があるのである。それは、刑務所が社会で唯一受け入れ拒否をできない施設だからである。

知的障害者の問題

刑事司法ネットにからめ取られて刑罰を受ける社会的弱者は高齢者だけではない。ふたつ目の問題は、刑務所における知的障害者の問題である。図2は、新たに実刑となって刑務所に収容された新受刑者のIQ(相当値)分布の推移を示したものである。集団式のIQテストは、あくまでもスクリーニング用に用いられるものであり、個別の知的障害の判定には、問診と個別知能テストを実施する必要があるが、集団としての受刑者に軽度の知的障害者がかなり含まれていることは容易に推測できる。受刑者の4人に一人がIQ70未満、なぜこんなことになるのだろう。

図2 新受刑者のIQ別構成比の推移
図2 新受刑者のIQ別構成比の推移拡大図・テキスト
注:矯正統計年報による。

刑務所内における知的障害者の実態調査を行った厚生労働科学研究1)によると、明らかに知的障害が疑われる者のうち福祉の支援を受けていたことを示す療育手帳を所持していた者はわずか6%であった。しかも、知的障害が疑われるとされた者の43.4%は万引き等の窃盗、次に多かった6.8%は無銭飲食の詐欺であった。つまり、刑務所にいる知的障害者の多くは、福祉的な支援を受けることなく、社会の中で孤立・困窮して、万引きや無銭飲食の微罪を繰り返すことで刑務所に送り込まれているのである。

高齢者や知的障害者が実刑となる原因

(1)刑事司法の問題

日本では、なぜ、万引き、自転車盗や無銭飲食といった軽微な犯罪で高齢者や知的障害者が実刑となるのであろうか。日本は超厳罰化の国なのだろうか。実は、日本は全体として見れば刑罰において寛容な国である。その証拠に、日本の犯罪者の実に80%は検察官の段階で略式による罰金または不起訴(起訴猶予)となり裁判(公判)を受けることすらなく社会復帰する。

ただし、この80%になるための条件は、示談や被害弁償のできる経済力、人に伝わる謝罪のできるコミュニケーション能力、引受人を確保できる社会的ネットワーク力である。被害弁償をして示談がとれ、検察官の前で真摯に謝罪し、引受人が協力を約束すれば、万引きだけで刑務所に送られることはほとんどない。その一方で、こうした条件をクリアすることのできない人は実刑になる可能性が高いともいえる。ホームレスなど社会的に孤立化している人の場合には、お金も身寄りもなく実刑になりやすい。

また、社会的弱者が実刑になりやすいのは、彼らが累犯者になってしまうからである。日本の刑罰は応報を基本としている。同じ犯罪を繰り返す人間は規範意識が足らず懲りない人と判断されるので、刑法上の「累犯加重」が適用される。チョコレート1枚の万引きで懲役4年が言い渡されることが、日本ではそう珍しいことではないのは、この「累犯加重」が適用されるためである。

日本の刑事司法の問題点の一つが、この「累犯加重」の適用の仕方にある。日本の刑事司法では、累犯者は反省が足らず、規範意識が不足しているので、前回よりも重い刑罰で懲らしめなければならないと考えられている。犯罪者といわれる人たちの事情は、情状証拠にしかならず、日本の裁判ではあまり重視されない。

つまり犯罪の原因にかかわらず、「またやったのか。懲りない奴だ」と一律に罰して一件落着としてしまう傾向が日本の裁判にはある。100円にも満たない金額の万引きで何年も実刑にし、それを累犯だから当然と考える法曹の在り方も高齢受刑者増加の要因の一つである。

さらに、社会的弱者が実刑になりやすいのは、裁判官が障害に気づきにくいからである。日本の裁判は、調書裁判と揶揄(やゆ)されることがあるが、実質的に法廷で裁かれているのは、裁判を受ける被告人ではなく、一人称で書かれた調書であることが多い。特に、軽微な事件の場合、事件の迅速処理が求められ、公判審理は非常に短い。調書は被告人の独白形式で書かれているため、調書に合理性があれば、被告人が法廷でそれを否定しても、あるいは調書の内容を全く理解していなくても、裁判官は、有罪・実刑を言い渡す。調書は、客観証拠と整合するように論理的かつ、犯行を立証するように書かれている。裁判官の多くが、知的障害者を刑務所に送ったことはないと述懐するのは、このためである。

加えて、日本の法曹の多くは、障害に限らず福祉に関する教育を受ける機会がない。そのため、知的障害に気がつきにくい。まずは、裁判官がこうした問題に気づくような仕組みを考えていくことが必要である。

(2)福祉の不在

刑事司法の外の問題としては、福祉と刑事司法の連携不足を指摘しておかなくてはならない。あるいは、(司法における)福祉の不在といっていいかもしれない。知的障害者や高齢者が、警察に逮捕され、刑事司法プロセスに乗ることで福祉につながれば、彼らは、そこから更生することもできる。しかし、日本では、警察に逮捕され犯罪者として扱われると、その段階で、福祉が「彼らは犯罪者であり普通の人たちとは違う。これから先は刑事司法の問題」と手を引いてしまう傾向がある。そのため、たとえ、警察で被害が軽微だとして微罪処分となったり、検察で起訴猶予処分となったりしても、福祉からの支援がないため生活を再建することができないまま再犯を繰り返すことになる。

(3)まとめ

以上、日本の場合には、1.刑事司法と福祉の連携がほとんどなく、自立が困難な状況で犯罪者となった人に対する支援がまったく行われていないこと、2.検察や裁判といった刑事司法機関も福祉につなげることで再犯を防止することを自分たちの役割だとは考えていないこと、さらには、3.どんなに被害が軽微であっても、一定以上犯罪を繰り返すと、刑法の累犯加重原則を機械的に適用することなどが、高齢者や知的障害者を大量に刑務所に送り込んでいる原因といえる。

そして、実刑となった社会的弱者は、受刑することでさらに社会とのきずなが弱まり、しかも、何の支援もないまま満期で釈放され、累犯者となる。まさに負のスパイラルがそこにある。高齢者や知的障害者を刑務所から救い出すためには、前記のような問題点に取り組んでいくことが必要となる。

ノルウェーとイタリアから日本の問題を考える

さて、こうした現象は法治国家であれば、どの国でも当たり前に起きるものなのだろうか。実は、高齢化に伴って高齢者犯罪が増えている先進国は日本だけである。

まず、福祉大国ノルウェーと比較してみよう。そもそも、ノルウェーには、高齢犯罪者の問題は存在していない。ノルウェーの刑務所には高齢者も知的障害者もほとんどいない。なぜか?筆者は、司法と福祉の連携を調べるためにノルウェーに行ってみた。そこでわかったことはノルウェーには特別な連携の仕組みなどないということであった。

ノルウェーにあって日本にないもの、それは福祉そのものであった。ノルウェーには最低補償年金などセイフティーネットが機能していた。高齢者が生活困窮に陥ることは制度上起こらない仕組みになっていた。受刑者が生活に困窮し、刑務所から帰る場所がない、そんな現象はノルウェーには見当たらなかった。刑務所の中であれ、どこであれ、ノルウェーでは、市民である以上、市民サービスのすべてが届くようになっているのである。

とはいえ、日本がノルウェーのようになるためには、国の在り方そのものを変えていくことが必要となる。そこで、高齢化や財政赤字だけでなく、法体系も日本に近いイタリアに行ってみた。イタリアでも、刑務所の中に高齢者や知的障害者は少なかった。その原因は何か。日本とイタリアの一番大きな違いは何か。その答えは憲法にあった。

イタリアでは、憲法(第27条)において、刑罰は更生を目指すものでなければならないと明記されている。そのため、裁判で実刑が選択された場合には、判決後に、矯正処分監督裁判所という裁判所が、実刑の執行形態を受刑者の更生という観点から検討する仕組みが存在する。高齢者や障害者の場合、更生を考えると、刑務所に収容することは適当ではないと判断されることが多いため、代替刑として、保護観察や自宅や公的福祉施設で刑を執行することが選択されやすい。

日本の憲法には、更生に関する規程は存在しない。刑罰に関しては、第31条が「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定し、第36条で公務員による残虐な刑罰を禁止しているだけである。

最高裁判所が作った裁判員へのパンフレット『裁判員制度ナビゲーション(2010年9月改訂版)』には、2頁に、刑罰の目的として「犯罪の被害を受けた人が、直接犯人に報復したのでは、かえって社会の秩序が乱れてしまいます。そこで、国が、このような犯罪を犯した者に対して刑罰を科すことにより、これらの重要な利益を守っています。」(下線は筆者による)と記載されている。つまり、日本の最高裁判所は、刑罰の目的は応報にあると考えているのである。

日本の裁判官や検察官が更生に関心を持たないのは、それが職業上求められていないからである。だから、刑を言い渡して「一件落着」と終わってしまうのである。刑事裁判において応報や一般予防にしか関心がなければ、当然、判決後の更生は本人の問題(自己決定・自己責任)である。そこに、社会復帰につなげていく刑罰の執行という視点は生まれてこない。高齢者や障害者が刑務所に大量に拘禁されている現実を作り出しているのは、こうした日本の刑事司法の基本的な姿勢、つまり更生に対する無関心にある。

おわりに

更生とは、犯罪をした人が普通に生活できるようになることであり、刑の執行後に当たり前の市民としての人生を送れるようになることである。ある意味、障害分野の「ノーマライゼーション」に近いものである。障害者の自立や地域移行、ケアマネジメントは、少年矯正で語られる非行少年処遇の個別的処遇計画などの処遇プロセスとなんら変わることはない。更生にかぎらず、心身の障害であれ、犯罪や災害の被害であれ、人が困難を克服し、立ち直るプロセスに変わりはない。

筆者は、過失犯を除いて犯行前に幸せに暮らしていた受刑者を見たことがない。犯罪者の更生に一番必要なもの、それは、市民が、犯罪者といわれる人たちが同じ人間であることを理解することなのではないだろうか。

(はまいこういち 龍谷大学法科大学院教授)


1)研究代表:田島良昭「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」(平成18-20年度)