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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年4月号

ほんの森

つながりの作法
同じでもなく違うでもなく

綾屋紗月・熊谷晋一郎著

評者 渡邉琢

NHK出版
〒150―8081
渋谷区宇田川町41―1
定価(本体700円+税)
TEL 0570―000―321(販売)
http://www.nhk-book.co.jp

「小さい頃から自分の身体や自分を取り巻く世界が把握できなくて、ずっと不安と恐怖のなかを生きてきたあなた」、「そんな生きづらさを抱えたあなたが生きのびるための一助となればと願って、私たちはこの本を書いた」

本書冒頭の言葉である。本書を共著で書いた綾屋紗月と熊谷晋一郎はそれぞれ「アスペルガー症候群」、「痙直型脳性マヒ」という障害をもち、2人ともいわばマイノリティの当事者として、これまである種の「生きづらさ」を抱え、そしてそれと向き合い対処しながら生きのびてきた。

この本では、まず手短に、両者がそれぞれの障害特性をもちつつこれまでどう生きのびてきたのかについて書かれ(1、2、3章)、次いで両者の出会い(つながり)を通じて発見された生きのびていくための方法(「つながりの作法」)、およびその具体化としての「当事者研究」について、綾屋・熊谷共同で描かれる(4、5章)。そして終章では、綾屋がまた1人、個に戻り、書く。つながりを得つつも、身体に刻まれた傷とはこれからも向き合っていかねばならない。生きていくときの不安、恐怖、痛み、傷、それらをなくす、治療することについて、本書で書かれているわけではない。

綾屋・熊谷による共著は、本書で二冊目である。この2人の出会いは、この社会に新しい何かを生み出すときに必要な、いわば異文化接触の稀有な出会いだと思う。

本書でも描かれているが、譬(たと)えて言えば、一方はバネがかちこちに固まり融通を失った身体、もう一方はバネがはじけすぎてわけのわからぬ感覚や情報がどんどん飛び込んでくる身体。両者ともに、適度な「つながり」の落ち着きどころをこの社会の中ではもちにくい。この両者が、それぞれの両極の視点を踏まえた上で、この社会で生きのびるために必要な「つながり」のあり方を模索する。評者は、まずこの両者による共同作業という試みの実践そのものに、ある種の希望を見る思いがある。

本書の「あとがき」では、熊谷による現代社会分析が書かれている。自閉症等発達障害の診断数の急増は、近年の社会のあり方の変容と不可分ではないのかという見立てである。そしておそらく、熊谷は現代を夕暮れの立ち込めた時代と見ている。夕闇の中で人は、人の姿を見失う。過去の悪夢と郷愁が個々人を覆いはじめる。そうした中で、私たちにとっての希望とは何か。それは、どこからともなく聞こえてくる人の声ではないか。その声を手掛かりに、私も、私の場所と存在の輪郭を描きはじめる。そうした感覚を、綾屋・熊谷は「当事者研究」という試みの中に見ているように思う。

(わたなべたく かりん燈「介助者の会」)