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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年5月号

合理的配慮の否定は、差別のひとつ

太田修平

差別の定義の明確化

2011年3月11日、東日本大震災が発生、未曾有の被害をもたらした。また、福島第1原発の大事故はチェルノブイリと同じ過去最悪の「レベル7」に引き上げられ、いまだに収束の見通しは立っていない。折りしもこの日、障害者基本法改正案要綱が閣議で了承された。

この障害者基本法改正は、障害者権利条約の理念に従った国内法の整備の一環として行われようとしている。日本の障害者史にとっては初とも言える、半数以上を占める当事者構成員によってつくられた障がい者制度改革推進会議での真剣な議論を経てのものであった。

ご存じの通り、障害者権利条約は差別禁止の考え方を基本に据えており、国内法制も、障害者基本法改正、総合福祉法の実現、そして、差別禁止法の制定という3点セットが満たされて、権利条約への批准が可能となる、というのが大方の考え方である。ただ残念ながら基本法改正案そのものの内容は、推進会議での熱心なそして原則的な議論にもかかわらず、差別の禁止や権利の考え方が薄められてしまった。

私は推進会議の差別禁止部会の構成員(JDF障害者の差別禁止と権利法制に関する小委員会から)となったが、差別禁止法制の基本となるのは障害者基本法となることから、このような状況に対して強い問題意識を持たざるを得ない。

基本法改正案の第4条では、「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と差別禁止規定を設けている。それにつながる第2項をみると、「社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない」としているに過ぎず、ここにある“合理的な配慮”が権利条約の“合理的配慮”と同じ意味なのか明確ではない。さらに、その“合理的配慮”がなされない場合は差別になるのかについても読み取ることができない。推進会議や差別禁止部会で内閣府は、「ここは権利条約の理念を組み込んだものであり、具体的な事柄については、今後、差別禁止部会での議論の課題だ」としている。極めて曖昧と言わざるを得ない。

さらに権利条約では、差別を定義していて、直接差別のみならず、間接差別、合理的配慮の否定も差別に含めている。しかし基本法改正案では、それらの定義もなされていない。

これらについても内閣府は「今後の差別禁止部会でつめていくこと」としているが、基本法の改正案に差別の禁止条項や、“合理的な配慮”という文言を挿入し、「権利条約の理念を組み込んでいる」と、内閣府が言うのであれば、少なくともそれらについての定義が必要である。障害者基本法を土台にして、障害者差別禁止法制がつくられていくのだからである。

ところで、合理的配慮とは「障害者が他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」と権利条約では定義している。

たとえば、車いすを使う障害者がある企業で働いていたとする。そのときに、車いすの障害者が必要としている車いすトイレや階段がある場合はエレベーターなどの設置、介助者が必要な場合は介助者を用意することによって、その人が他の従業員と同等の仕事ができるならば、企業の過重な負担とならない範囲で、これらのことを整備・用意しなければならないというものである。

この合理的配慮の否定も差別の一類型であるという考え方は、障害者権利条約によって初めて示された考え方である。

ところで従業員募集で、「自力通勤可能な者」というものを見受けることがあるが、これは間接差別にあたると考えられる。

障害者基本法改正においては、これらのことを読み取れるものとすることにより、今後の障害者差別禁止法の議論が深められるのではないだろうか。

裁判規範性と救済システム

今まで多くの障害者が差別を受けたとしても、ほとんどの場合、泣き寝入りするしかなかった。就学差別、就職差別をはじめ、日々差別が私たちの周りには起きている。差別禁止法制の最も重要な視点といえるのは、泣き寝入りをせずに公の機関に法律に則って訴えられるようにすることである。いわゆる裁判規範性を明確にすることと、行政的な救済機関を設置する、などである。

これまでの差別禁止部会でも、アメリカやEU諸国の差別禁止法制では、裁判に訴えて問題の解決が図られていったり、行政の救済機関が設けられ、そこに申し立てることによって解決が図られている、という報告がなされている。JDFの小委員会でもほぼ同様の学習がなされている。

ところで、差別の立証責任については、差別を受けた側に負わせるのではなく、差別をしたとされる側に、「差別をしていない」ことを立証する責任を負わせていくことが、重要になってくると考える。多くの国でもこの考え方を採用し、そうすることによってこそ、差別禁止法の実効性を担保できる。

救済機関については、全国レベルのものと、各地域レベルのものと両方必要になってくるかもしれない。そうすることでよりきめ細かな救済(是正命令などを含む)が可能になる。法務省からの独立性も考えていかなければならないし、救済機関の中に多くの障害当事者が入るという仕組みも求められる。

できるだけ広い障害の定義に

障害の定義はできるだけ広いものとしていかなければならない。今回の基本法改正案では、第2条第1項で「身体障害、知的障害、精神障害その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」、続くその第2項で「社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。」とされ、これまでより社会モデル的な考え方を取り入れ、一歩前進との見方もできる。

しかし、「継続的に」あるいは「日常生活又は社会生活に相当な制限」という文言があり、いわゆる難病の人たちがそこに入るのか、または、差別は障害のある人の家族にも起こっている問題と考えたとき、その定義だけで十分だとはいえない。さらに、けがなどをして一時的に車いすに乗る状態も想定される。体型や容姿による差別や、過去に障害があることによって差別を受けるのも多いことも忘れてはならない。これらの問題を解決しうる定義によって、差別禁止法制はつくられなければならない。

おわりに

今回の東日本大震災では、障害のある被災者は、それぞれ厳しい状況に置かれ、明日のいのちも知れないぎりぎりの毎日を送っているものと思われる。障害のない被災者にしても厳しい毎日なのだから、障害のある人たちはましてやそうなのである。段差の解消、車いすトイレ、服薬、人工呼吸器、必要なスペースなどなど、一人ひとりのニーズは多様であり、それらが満たされたとき、他者との平等がようやく確保されるのである。障害による格差・差別は無くしていかなければならない。

差別禁止を基本とする障害者権利条約は、権利や差別ということに鈍感なこの国の法制度の中にあって、またとないチャンスである。障害者の諸権利や差別禁止の明確化、そして救済規定を盛り込んだ障害者差別禁止法をつくることができたら、この国では画期的なことと言える。ある意味、障害分野を出発点として、あらゆる人の権利を規定する法制度をいろいろな分野でつくっていくぐらいの気構えで臨んでいく必要がある。

(おおたしゅうへい JDF障害者の差別禁止と権利法制に関する小委員会委員長)