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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年5月号

1000字提言

東日本大震災

熊田芳江

その時私は、白河市の福島県県南保健福祉事務所で会議中だった。会議も終盤に差し掛かった午後2時46分、ガタガタ揺れ始めた地震はなかなか治まる気配はなく、ますます激しく、立っていることも困難な状況になり、隣の席の江尻氏が私の手を引っ張って机の下にもぐってくれた。揺れが止まるのをひたすら耐えて待った。

その後、屋外に飛び出したが、もう一度大きな余震が…。私の立っていた場所には、天井のエアコンのカバーがはずれて落ち、天井もボロボロ崩れ落ちていた。

大変な事態に会議はそのまま中断。まだ心臓がドキドキしてこころが収まらないなか、各自職場に戻って行った。いつもなら車で10分程度の距離、余震がひっきりなしに続くなか、建物が崩壊したところや、屋根瓦や塀が崩れ落ちた家、崖崩れや陥没している道路など恐ろしい光景を目の当たりにしながら、20分ほどかかってようやく職場に戻ることができた。

施設では幸いけが人もなく、建物にも大きな被害はなかった。ここが震源地とばかり思っていたら、ラジオやテレビの情報から三陸地方から福島県の海岸、茨城、千葉県に至る広い範囲にまたがる大津波被害との報道を受け、ただならぬ災害の大きさに不安と恐怖感が増すばかりであった。

そのような災害に見舞われた福島県海岸地方には、原発事故が追い討ちをかけ、生まれ育った町を追われ、70キロ離れたこの県南地方にも多くの方々が避難して来ている。さらに、放射能漏れの報道は福島県全域の農産物や海産物に影響を及ぼし、野菜や原乳の販売ができなくなってしまった。

当法人が運営する「直売・カフェこころや」は、「地産地消、安心安全」をモットーに、おいしい野菜を提供してきたけれど、「放射能に汚染された野菜」とレッテルを貼られ、野菜の入荷もなく、買う人もなく、今後の事業が危ぶまれている。

これは当法人の問題だけではなく、長い歴史と年月をかけて現在の農業を守り続けてきた農家の人々にとっては死活問題であり、みんなが希望を失いかけている。放射能に汚染されて、もうお嫁に行けないと嘆いているお嬢さん。放射能とは関係のないものまですべてに及ぶ「風評被害」は、じわりじわりと被災地を追い詰めている。

今は種蒔きの季節。農家の皆さんは作っても売れないかもしれない野菜を、いつもと同じように作り始めている。

(くまだよしえ 社会福祉法人こころん施設長)