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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年7月号

時代を読む21

震災と障害者―阪神・淡路大震災の教訓

地震は自然現象だが、「震災」は社会現象だと思う。1995年の阪神・淡路大震災(以下「阪神」)での地震による直接の死者5,502人の88%は、家屋の倒壊による圧死・窒息死。10%の焼死者も倒れてきた梁や家具などの下にならなければ逃げられた。倒壊家屋は老朽住宅が多かった。「阪神」は明らかに「住宅災害」であった。

犠牲者は高齢者、障がい者、生活保護世帯、被差別部落住民、在日外国人などに多く、その背景に、日常の居住貧困・居住差別があった。

たとえば、高齢・障がい者には家を貸してくれない。年金暮らしでは家賃が払えない。市場原理中心の住宅政策のもとで公的住宅は少ない。やむを得ず、老朽家屋に住む。負傷者4万人余の多くは六畳に3人、四畳半に2人などの過密居住で、テレビ、仏壇等が飛んできたケースが多かった。

また障がい者にとっては、災害時の対応が困難であった。たとえば、車いすの肢体不自由者や視覚障がい者は、家具の倒れた家の中から逃げようとしても動けない。聴覚障がい者は外から声をかけられても聞こえない。

隣人に助けられて避難した体育館は数百人の雑魚寝であった。視覚障がい者や肢体不自由者にとって、危なくて歩ける状態ではなかった。遠く段差の多い和式トイレは使いにくい。

障がい者は何日も避難所にとどまることができず、傾きかけたわが家、養護学校、盲学校、ろう学校などへ移っていった人が多数を占めた。

街の中に老人ホームや障がい者施設がたくさんあれば、高齢者、障がい者は過ごしやすかったが、最大の被災地神戸市では、高齢・障がい者施設は最低水準で、かつ多くは六甲山中にあった。

また、すべての学校が日頃から障がい児童を受け入れておれば、スロープや手摺(す)りや洋式トイレが設けられ、教員や児童の骨折、障がいのある祖父母の学校参観、そして避難時には障がい、高齢、病弱者にある程度対応できた。

街の中に使いやすい洋式の公共トイレが充実しておれば、高齢・障がい者の外出を支え、災害時にも役立つ。

防災とは、日常の安全な住宅、生活環境・福祉を充実することと言える。

(早川和男 神戸大学名誉教授、日本居住福祉学会会長)