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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年8月号

パラリンピックの歩みと現在の状況

中森邦男

1 国際大会と障害

障害者のスポーツは、国際的には障害別のスポーツ統括団体により発展してきた。パラリンピックは、第4回大会までは頚髄損傷者と脊髄損傷者の大会だったが、回を重ねるごとに、視覚障害者、切断者、機能障害者、脳性マヒ者、そして最後に知的障害者が加わった。現在の障害別に見た国際大会の開催の状況は表1のとおりである。

表1 障害別国際大会実施状況

  障害(1) 障害(2) 国際大会の種類
障害者 身体障害 視覚障害 パラリンピック
肢体不自由 機能障害 パラリンピック
頚髄損傷 パラリンピック
脊髄損傷 パラリンピック
切断 パラリンピック
脳性マヒ パラリンピック
聴覚障害 デフリンピック
内部障害 無し
知的障害 グローバル大会
パラリンピック
スペシャルオリンピックス
精神障害 無し
臓器移植者 臓器移植者大会

2 パラリンピックスポーツの歩み

2008北京パラリンピック競技大会は、2001年に国際オリンピック委員会と国際パラリンピック委員会が合意書を交わし、2008年のオリンピック招致にパラリンピック開催を含むことが決定した歴史的な大会となった。

リハビリテーションの一環としてのスポーツが取り入れられて約50年で、オリンピック同様の選手強化が要求されるほどエリートスポーツとして発展してきた。その発展の経過は大きく4期に分けて解説することができる(表2)。

表2 パラリンピックの実施概要

  開催年 主催者(*) 参加国数 競技数 金メダル数 総メダル数 金メダル メダル獲得率
ISMWSF ISOD CPISRA IBSA INASFID 国数 (%) 国数 (%)
リハビリスポーツ 1960         17 113 291 15 88 17 100
1964         19 144 419 14 74 17 89
1968         28 189 576 18 64 22 79
1972         42 188 575 26 62 31 74
リハビリスポーツから競技スポーツへ  1976   (〇)   40 447 1172 29 73 32 80
1980 (〇) (〇)   43 10 587 1610 34 79 41 95
1984 ICC   54 12 973 2767 34 63 43 80
1988 ICC   60 14 733 2208 38 63 49 82
競技スポーツとして発展 1992 ICC   83 15 490 1503 41 49 55 66
10 1996 IPC ●* 104 17 518 1577 51 49 60 58
11 2000 IPC 122 18 550 1653 51 42 68 56
12 2004 IPC 135 19 519 1568 59 44 75 56
エリートスポーツへ 13 2008 IPC   146 20 473 1431 52 36 76 52

*IPC:国際パラリンピック委員会、ISMWSF:車いすスポーツの団体
*IBSA:視覚障害の団体、CPISRA:脳性麻痺の団体、ISOD:切断や機能障害者の団体、INASFID:知的障害者の団体、ICC:国際調整委員会(ISMWSF、IBSA、CPISRA、ISODの合同委員会)
*●はエキシビション競技として実施

(1)リハビリスポーツとしての始まり(1945年~)

イギリス、ロンドン郊外の病院においてL.Guttmann博士が、第2次世界大戦で主に脊髄を負傷した(車いす)兵士たちにスポーツを取り入れたリハビリを実施した。その後、車いすによるスポーツフェスティバル(1948年)から国際競技会(国際ストークマンデビル大会、1952年)に発展した。この大会は毎年開催され、1960年にはイタリア・ローマでこの大会を実施、国際パラリンピック委員会(1989年)は、過去に実施したこの大会を第1回パラリンピックと位置づけをした。

(2)リハビリスポーツから競技スポーツへ(1976年~)

車いすスポーツのみの競技会から視覚障害、脳性マヒ、切断や機能障害者、そして知的障害者(障害別スポーツ団体が設立)が加わり、障害者のスポーツ大会としての形が整えられ、回を重ねるごとに競技性が高くなった。

(3)競技スポーツとして発展(1992年~)

国際パラリンピック委員会(以下、IPC)が設立され、障害の種類、そして障害の程度により区分(医学的根拠によるクラス分)されて実施されてきたメダル種目は、障害種別や障害程度でなく、競技ごとに設定され、競技能力(機能的クラス分)により区分されるようになった。このことでメダル種目が大幅に減少し、競技性がさらに高まることとなった。

(4)オリンピック同様のエリートスポーツへ(2006年~)

2006年のトリノ冬季大会のアルペンスキーおよびノルディックスキーでは、機能的クラス分けをさらに統合し、メダル種目は立位、座位、視覚の3区分(カテゴリー制)となった。その方法は、クラス間の競技能力のハンディを係数化することで、各選手の競技記録にクラスごとの係数を乗じて順位を競うことになり、さらにメダル獲得は厳しい状況となった。

2008年の北京大会では、オリンピック同様の国を挙げての強化策を実施した国が大きくその成績を向上させた。パラリンピックでメダルを獲得するには、オリンピック同様の最先端のスポーツ科学が要求されるようになった。

3 北京大会の特記事項

(1)IOCとIPCの契約

オリンピック招致にパラリンピック開催が含まれたことで、次のようにオリンピック同様の規則・手順が採用された。

  1. オリンピック組織委員会がパラリンピックを開催・運営
  2. 参加国に対し経済的援助(エントリー費の無料化、参加補助金の支給)
  3. マーケティング規則の適用
  4. ドーピング検査の実施
  5. 選手団およびメディアの参加方法

(2)中国選手の活躍

中国選手団は、473個の金メダルのうち89個を獲得した。開催国の中国チームのメダル獲得は驚異的なもので、金メダルの約20パーセントを占め、2位のイギリスチームの2倍以上であった。中国政府がパラリンピック開催を決定した7年前からの金メダルの獲得は表3のとおりで、2回前と比較すれば約3倍の金メダルを獲得し、この間の選手強化も並外れたレベルであることが推測される。中国には日本オリンピック委員会が運営するナショナルトレーニングセンターと同規模のものが、障害者のために北京に作られ集中的な強化が行われたと聞いている。

表3 中国選手団のメダル獲得

  北京大会 アテネ大会 シドニー大会
個数 個数 個数
金メダル 89 18.8% 63 12.1% 34 6.2%
銀メダル 70 14.9% 46 8.9% 22 4.0%
銅メダル 52 10.7% 32 6.0% 17 3.0%
総メダル 211 14.7% 141 9.0% 73 4.4%

(3)より高くなった競技レベル

金メダル数は、シドニー大会が550、アテネ大会が519、そして北京大会では、その数は473に減少した。金メダル数が減少した理由は、パラリンピックの競技性を高めるためで、異なったクラスの選手が一緒に競技するクラスの統合、参加選手数の少ないクラスの種目を取り止めたことであった。

少ないメダルを競うことで、メダル獲得はより厳しい状況になった反面、開催国の中国を筆頭とし、上位5か国で金メダルの45パーセント、銀メダルの38パーセント、銅メダルの35パーセントを獲得し、そして全メダルの39パーセントを獲得するなど一部の国にメダルが集中した。これはシドニー大会、アテネ大会と比較しても、上位5か国のメダル獲得率はより高いものとなっている。そして、上位10か国で金メダルの3分の2を占めるなど、一部の国でメダルを独占している状況である(表4)。

表4 上位国のメダル獲得率

  2008 北京大会 2004 アテネ大会 2000 シドニー大会
1位の国 18.8% 14.9% 10.7% 14.7% 12.1% 8.9% 6.0% 9.0% 11.5% 7.2% 8.4% 9.0%
1位から5位の合計 45.2% 38.4% 34.9% 39.5% 34.5% 30.0% 30.3% 31.6% 39.5% 33.8% 34.2% 35.7%
6位から10位の合計 18.8% 15.1% 18.1% 17.3% 18.9% 20.9% 23.5% 21.1% 21.3% 22.0% 18.3% 20.4%
1位から10位の合計 64.1% 53.5% 53.0% 56.8% 53.4% 50.9% 53.8% 52.7% 60.7% 55.8% 52.5% 56.1%
総メダル数 473 471 487 1431 519 517 532 1568 550 545 558 1653

4 まとめ

北京パラリンピックでは、オリンピックと同じように、人間の運動能力の限界を追及し、最先端のスポーツ科学を背景とした効果的トレーニングがなければ勝てない状況になった。中国やイギリスをはじめ国を挙げて強化を進める中、日本チームは根本的な強化策の見直しが望まれている。

(なかもりくにお (財)日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会事務局長)