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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年8月号

日英の重度障害者たちのスポーツを通じた交流活動

喜谷昌代

「あなたは何枚?」「私は5種目」「私はゼロなのよ。どうしてかしら?」これは今ロンドンをはじめ、英国各地の街角で聞かれる会話です。

いよいよロンドンオリンピックがやって来ます。選ばれた選手たちはもちろん、一般の老いも若きも、健常者も障害者も、自分の観たい種目の切符を手に入れることに懸命です。まず協会に申し込むと、申し込んだ種目の数と種類によって指定銀行に必要な金額を入金します。そこで抽選に当たった種目の額だけが入金した額から引き落とされるので、自分が何回行けるのかはすぐに分かります。でも、どの種目に行けるかはまだ分かっていません。分かるまでにはまだかなりの時間がかかるようです。パラリンピックも同じです。

それでは、英国の重度障害者はどのようにしてスポーツを楽しんでいるかを少しお話ししましょう。

まず英国の人口は、日本の2分の1、そして国土の大きさはほぼ同じですが、中央に山がないので、倍に使えます。ですから障害者もスポーツが楽しめるグラウンドや野原がたくさんあります。そんな環境の中で、英国の障害をもつ青少年たちは、日本に比べ自然の中で過ごす機会がかなり多いと思います。

障害児が普通校に通う場合や障害児校でも、PE(ピーイー)(フィジカルエクササイズ)という運動の時間が多くとってあります。普通校では、授業時間の15パーセント、4時限をPEに当てるように法律で決められています。障害児校も多少の違いはあっても、ほとんど同じようにとってあります。多くの学校では、水曜日と土曜日がPEに当てられており、PEのない時には、英国軍隊のための青少年隊の訓練を受けます。

ここに14週の早産で生まれ、常時車椅子使用者になった、現在19歳の英国青年をご紹介しましょう。彼の名前はジャック。

「僕は11歳の時に「もみじ」というチャリティー団体の喜谷さんに連れられて、初めて日本への10日間の旅に出ました。それは、日本の素晴らしい電動車椅子サッカーのチームと試合をすることが主な目的でした。

電動車椅子サッカーはアメリカとカナダで始まり、次いで日本に十数年前に入りました。ですから日本チームは、もうとても立派な技術を身に付けていました。僕たちはまだ習い始めて日が浅かったので、試合に勝つ、というよりも、多くのことを学ばせてもらいました。競技は普通のサッカーの4倍の大きさのボールを使い、4人1組でボールを車椅子の前に付けたガード(車のタイヤを半分に切ったもの)でボールを押し動かしてゴールに入れ得点します。僕たちは夢中でボールを追い、相手の攻撃を防ぎました。試合は、東京ばかりではなく、長野にも日英チームみんなで行き、ゲームを戦ったり、日本の地方(田舎)の美しい景色も楽しみました。季節は秋、ちょうど柿の実が木々に見事についていたのが印象的でした。たくさんの新しい友達もできて、たいへん有意義な10日間でした。

この時の友達とは、8年経った今でも連絡しあっています。障害者は家にこもりがちだということを聞きますが、「もみじ」がやっているように、スポーツを通じた国際交流をすればたくさんの友達もでき、世界が広がります。その友達とスポーツで夢中になって戦い汗を流すことは、自分が一生懸命に生きようとしていることへの証しにもなり、大きな喜びでもあります」

障害者の指導者マルカム・マージェリージェ氏も言っています。「スポーツは楽しい社交であり、自己の自信を高め、みんなが同じスタートラインに立てることはよいことだ(自分が乏しくてもどんなバックグラウンドでも)。私は日英両国が共にスポーツを楽しみ合えることをとてもうれしく思っています。一人でも多くの障害者がスポーツを学び合えることを願っています」

障害者スポーツは、憂うつになったり、孤独になりがちな障害者の心を明るくし、健康に導きます。たとえば、自分が生来、障害をもっていれば徐々に自分に可能な種類のスポーツを覚えていけばよいですし、また、人生の途中で障害者になった時には、治療の終わったすぐ後からスポーツを始めることは心身の回復にたいへん効果的です。

ルードヴィッヒ・グッドマン博士が、第二次大戦の戦場から帰ってきた兵士たちのために、英国バッキンガム州のストーク・マンデビル病院で障害者になった兵士たちのために1947年にスポーツ大会を開いたことは、よく知られています。その大会が徐々にパラリンピックへと発展していきます。

1964年の東京パラリンピックを機会に、日本赤十字社の中に、英・仏・独・スペインの各外国語を使って奉仕する語学奉仕団というグループが誕生しました。それ以来、パラリンピックのたびに「語奉」は活躍してきましたが、来年のロンドン大会では、語奉からはだれも参加しないと聞いていますので、たいへん残念に思っています。

私が22年前に始めた「もみじ」は、英国でチャリティー団体として登録されています。「もみじ」について、もう少しお話しいたしましょう。

「もみじ」は、障害のある青少年と障害のない青少年がペアになって、旅の最初から帰国するまでの10日間、すべてを一緒に行動します。対象者は、英国または日本に住んでいる7歳から25歳までの青少年(男女)です。命に限りのある難病患者も含まれます。この青少年が原則的に1年ごとに日英間で交流を行います。相手の国に行き、スポーツや音楽等の催し物に参加したり、セミナーを企画したり、歴史的・教育的な場所を訪問したり、医療施設を見学したり、ピクニックをしたりといろいろなことを障害者の希望に合わせながらプランを立てます。

募集方法は、障害児校や赤十字支部等を通じて行います。応募者には簡単なエッセー、自分の望み、将来の計画等を書いてもらいます。そして面接、病気のチェックを済ませ、自分のパートナー(健常者のケアラー)に紹介されます。難病の方たちには、健常の青少年の代わりに、医師、看護師やケアラーが付き添います。いつも、ロンドン・ヒースロー空港に集合し、自分たちの車椅子は航空会社に預け、搭乗機の入口までは航空会社の車椅子で行きます。そして再び、一層幅の狭い車椅子に乗り移り、機内の通路を通り座席に着き、ベルトを締めてこれでOKです。これから約12時間の飛行ですが、皆ゆったりと座り、食事を楽しみ、テレビを観たり、思い思いのことで時間を費やし、やがて全く静かになります。そして、大きないびきも、そこ、ここから…。そして「まもなく東京国際空港へ」のアナウンス。

日本到着後は、まずおのおのの体調を検査します。日本と英国の間には、普通8~9時間の時差がありますので、第1日はゆっくり休養し、体調を整えます。第2日は、まず英国から来た場合には英国大使館へ、日本から行く時には、ロンドンの日本大使館への表敬訪問を、また、皇后さまが皆にお会いくださることもあります。そしていろいろなプラグラムが始まります。

英国では、重度障害者が参加できる種目数も多く、電動車椅子サッカーをはじめバスケットボール、テニス、卓球、水泳、乗馬、マラソン、スキー、ウォーキング、それに障害者と健常者が共に簡単な馬車に乗り、ポニーを操りながら公園や野原を走るドライビイングという種目もあります。この種目は時に「宝探し」のゲームをしたり、スキーのスラロームのように複雑なコースを走ったり、途中でピクニックをしたり、と楽しめます。障害者は車で外出できますが、いつも頭上に屋根がありますが、ドライビイングは大空と自分たちが直接つながっているようで大きな自然を感じてとても楽しい、と言われます。ただし、健常のケアラーたちは、冬の気温が0度の時にも、馬の世話が欠かせないので厳しいものです。毎朝馬舎に行き、汚れた藁を新しい藁に換え、朝食を与えます。その後、身体にブラシをかけ、ひずめをきれいに掃除します。動物と障害者との接触は、とても心を和ませます。

命の長くない難病者も少しでも明るい日々を同じような不安と闘っている仲間と会い、できるだけ身体を動かすことは、心身両面に大きなプラスになることでしょう。

「もみじ」では、たとえば日本に英国からのグループが来ると、障害者も十分に楽しめる運動会をします。種目は、普通の運動会でするような紅白の玉入れですが、玉を高い網に入れる代わりに健常者が大きな籠を背負って歩き回り、車椅子の人たちは、ケアラーの拾ってくれる玉を籠に投げ入れるというものや、いくつかの大きな絵、富士山や桜等をパズルのように切りざいて、その一コマずつを障害者が車椅子で取り、コースの向こう側にある白紙に絵を作っていく競争等です。

この運動会の評判が良かったので、その翌年に、ロンドンで日英の2001年というお祭りがあった時にも障害児学校や日本人学校に協力してもらい、それに大太鼓や障害者のダンスと音楽も加わり、350人ほどの見事な大会になりました。折からお祭りの名誉会長でおられた日本の皇太子殿下も英国のチャールズ皇太子と共に観戦にいらっしゃってくださいました。

また、ロンドン市内の歴史的建造物を見学しながら、市内をリージェント・パークから出発し、ハイド・パークまでの16キロを歩くスポンサード・ウォークを行いました。完歩するまでに約5~6時間を費やしたと思いますが、最後に、ハイド・パークの終着地点でテープを切った日本の車椅子のお嬢さんは、車椅子から降りて、杖で歩きながらテープを切り、感激のあまりポロポロと涙を流しておられました。このウォークもまた英国組が日本を訪れた時に、神奈川県の北鎌倉から鎌倉の海岸までを歩き、その後海岸で、思い思いに遊びました。

このような身体障害者と異なり、精神障害の方たちは、なかなかチーム・ゲームは難しいように思います。ましてや難病の方たちには戸外ゲームは一層参加しにくいですが、戸外に出て、草木や花の香りをかぐだけでも、小鳥の囀(さえず)りを聞くだけでも、心が晴れ晴れすると思います。

今、私は、英国オックスフォードに28年前にできた世界初の子どものホスピス「ヘレン・ダグラス・ハウス」に行き、日本にもこのような「子どものホスピス」を作れるように勉強しています。ここには、難病の子どもたちがレスパイトといって、1週間か10日間、自分の家を離れ同じ年頃の仲間のいるこの家にやって来ます。そして、自分についてくれるケアラーと1対1で、自分の好きなことをしてもらいます。たとえば、テーブル・フットボールをしたり、散歩や買い物、映画等に連れて行ってもらったり、ジャグジー付きのお風呂にゆっくり入れてもらい髪も洗ったり、いわゆるクオリティー・オブ・ライフを楽しみます。

その一方、親御さん方は、家事その他の雑用から開放され、お子さんと一緒にこの家に泊まり、ゆっくりされることも可能ですし、また家に帰り、与えられた自由な時間を好きなように使うこともできます。現在の重度障害者の方々は、家で医療を受けるか、最後まで病院に入っておられるかのどちらかで、その中間に、与えられる日々を楽しむ所も機会もなく、また家でお子さんのケアに当たっておられるご家族は、全く心身共にホッとする時がない、と言われています。

私は英国のヘレン・ダグラス・ハウスに倣い、日本流の子どものホスピス、レスパイト・ハウスを目指し、重い障害者や難病で命の短い青少年の方にも、できるだけ自然の中で身体を動かし、与えられた力を思い切り使い、1日でも長く楽しい日々を過ごしていただきたいと心から願っています。

来年のパラリンピックが、多くの重度障害者たちにとって、スポーツを楽しむきっかけになることを望んでいます。そして、今、懸命に努力し、開設を目指している「子どものホスピス」が、日本で初の産声を上げる日が1日でも早くきますよう祈っています。

皆様、どうぞご協力ください。

(きだにまさよ もみじプロジェクト代表)