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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年8月号

ワールドナウ

勝ち取った施設から地域への移行
~マサチューセッツ脳障害協会の自立生活を求める集団訴訟~

細田満和子

レイモンドの自立生活

28歳のレイモンド・ゴウルド氏は、2008年11月にサイナスの感染症から引き起こされた重度の脳障害をもつようになった。数週間の昏睡状態の後、一命をとりとめたゴウルド氏であったが、家庭での介護は無理だったために介護施設に入ることになった。そこに入所しているのは、80歳代や90歳代の老人ばかりで、ゴウルド氏はリハビリ訓練を受けることも、話し相手を作ることもできぬまま、1年と6か月の間、無為の日々を過ごしていた。

しかし彼は2010年7月に、施設から出て地域で自立生活をすることになった。彼は、脳障害者の自立生活のための集団訴訟(ハッチンソン対デュバル裁判)が勝訴した恩恵を受けることのできる、最初の自立生活者に選ばれたのである。

自立生活を求める集団訴訟

訴訟を起こした中心的存在のキャサリン・ハッチンソン氏は54歳。母にして祖母であり、脳卒中で全身マヒとなった女性である。彼女は頭のわずかな動きで電動車いすを操作し、文字盤やパソコンなどを使って目で言いたいことを示し、他者とコミュニケーションをとってきた。

彼女は発症してから9年もの間、介護施設に入所していた。その間の気持ちを、彼女はこのように書いている。「時々、いわれのない罪を問われた囚人のように感じることがあります」「ここで車いすに縛られているだけではなく、自分の人生を始める必要があるのです」

そこで彼女は、地域での自立生活を求めて、他の当事者4人とマサチューセッツ脳障害協会(BIA-MA)とともに、州知事デュバル・パトリック氏と諸関連当局者を相手取った集団訴訟を、アメリカ地方裁判所に起こした。2007年5月17日のことであった。同6月18日には、もう一人の個人と他の組織も原告に加わるようになった。

この集団訴訟の争点は、州は、脳障害をもつ人々が、施設から出て、サポートを得ながら地域で暮らせるような適切な地域における代替策を講じていないので、障害のあるアメリカ人法(ADA)ならびにメディケイド法に違反している、ということであった。

2007年10月に地方裁判所は裁定を下し、それに続く約6か月の間は、さまざまな交渉が行われた。その結果、2008年の6月2日に、州当局者と原告側弁護士による和解が成立した。この和解を受けて、約8000人の介護施設やリハビリ施設に暮らす脳障害者のうち4分の1の約2000人が、より良いサービス環境の下で地域に暮らす道が開かれたのである。ゴウルド氏も、こうして作られた制度を利用することができたのである。

マサチューセッツ脳障害協会(Brain Injury Association Massachusetts:BIA-MA)

この裁判を起こしたBIA-MAは、事故や病気で脳に障害をもつようになった人とその家族のために、1982年にNPOとして設立された、全米脳障害協会(1980年設立)の地方組織である。

脳障害は突然の交通事故や転倒、脳卒中などによって起こることが多い。また人によって、脳障害の症状は全く異なる。ある人は歩行が困難になり、ある人は手にマヒが出る。言語をうまく操れなくなる人もいれば、記憶や認知に問題を抱えるようになる人もいる。また、これら複数の障害を併せもつ人もたくさんいる。このようにさまざまな複雑な現れ方をするので、脳障害をもつ本人も家族も、ある日急に混乱した状況に置かれてしまう。そこで、この途方に暮れて満たされないニーズを抱えた本人と家族のために、患者家族であるアイリーン・コラブ氏(現エグセクティブ・ディレクター)は、BIA-MAを設立した。

BIA-MAは次第に会員を増やし、現在はボストン(州東部)、ケープコッド(州南部)、スプリングフィールド(州西部)など全州にわたって30のサポート・グループがある。2010年の年次レポートによると、年間予算は約2百万ドル(約1億7000万円)で、歳入の内訳は77%が契約基金で、寄付は10%、予防プログラムの提供からが10%であった。また歳出の内訳は、会議・教育費が38%、予防プログラムが20%、支援プログラムが19%、諸経費が16%であった。

BIA-MA活動内容

BIA-MAの活動には、大きく分けて4つある。

1.予防プログラムの推進:州の行政当局、学校、司法機関とともに、子どもや大人に脳損傷の予防を教えるプログラムを開発する。たとえば、シートベルト、チャイルド・シート、ヘルメットの着用についてのキャンペーン、飲酒運転削減の主導など。

2.教育:年間を通じて、年次会議、スポーツ障害会議、医療者のワークショップ、家族とサバイバーのワークショップなどを主催する。またソーシャルワーカーが各種の情報提供やカウンセリング体制を整備する。さらに全州にわたって、家族とサバイバーのための30のサポート・グループを展開し、出会いの場を提供する。

3.サバイバーと家族の支援:社会的資源のリスト、州のサービス情報、医療機関、住居、法的サービス、そのほかの情報をサバイバーや家族に提供し、かつ各種相談に応じる。さらに、電話か電子メールによる「ブレイン・インジュリー・ヘルプ・ライン」を運営する。

4.アドボカシー活動:脳障害サバイバーとその家族のためのサービスを確立するために、州の司法当局や行政当局と連携し、実際にサービス向上や脳障害予防のための新しい立法を訴える。

BIA-MAのアドボカシー活動

自立生活のための集団訴訟は、アドボカシー活動の一つであった。コラブ氏は、息子が10代後半の時に事故で身体マヒと高次脳機能障害をもつようになった。当初コラブ氏は、車いすでなかなかコミュニケーションの取れない息子を自宅で介護していた。しかし介護が長期に及ぶようになると、家族介護によるさまざまな軋轢(あつれき)が生じてきた。コラブ氏は当時、「どちらかがどちらかを殺すかもしれない」という危機的状況にまで追い込まれていたという。

そこで、コラブ氏は息子をいったん介護施設に預けた。しかしそこは、ほとんどが高齢の人たちばかりで、彼女の息子のように若い人はだれもいなかった。息子もそのような場所にいるのはとても辛そうだった。このままでは良くないと考えたコラブ氏は、息子が地域で住めるように、住居を用意し、定期的に介護のサービスを受けられるように手配した。

コラブ氏はこの自らの経験から、若い脳障害者には、介護施設に入るのではなく、家族から独立した地域での自立生活が必要だと強く思ったという。彼女は、こうして自立生活運動を10年来続けてきたが、2006年11月に福祉に理解のあるパトリック氏が州知事に選出されると、それを好機と捉え、半年後の2007年5月に州を相手取った集団訴訟の原告となり、裁判に訴え勝訴したのだった。

患者の声と医療政策

2011年3月に開催されたBIA-MAの年次大会では、これから自立生活に移行したい人を対象にした説明会も開かれていた。会場は、当事者と家族、そしてソーシャルワーカーや理学療法士など支援者たちの熱気に湧いていた。この自分たちで勝ち取った制度は、脳障害をもつ者とその家族の大きな希望なのだろう。

何度も繰り返し言われてきていることだが、当事者の必要性を充たすことを実現するには、当事者あるいは家族自身が声を上げることが重要である。BIA-MAのアドボカシー活動は、まさに当事者とその家族が声を上げ、裁判で訴え、政治家や議会を動かして、自分たちが必要と考える要求を勝ち取ってきた。ただし、こうした成果は、長年にわたる当事者たちの粘り強い活動の上に得られたものでもある。なかなか要望が通らない時期が続いたとしても、訴え続けることが大切なのだと改めて思った。

翻って日本でも当事者や家族たちは声を上げている。障害者自立支援法や総合福祉法を巡る動きは、さまざまな逆風もある中で各団体が協働しながら活動を起こしている証左であり、そこには希望が見える。

(ほそだみわこ ハーバード公衆衛生大学院研究員)