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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年12月号

時期尚早だったユニバーサルデザイン

今福義明

自称ユーザーエキスパート

私は日本の交通バリアフリー(以下、BF)化の電動車いす使用障害当事者部門での自称ユーザーエキスパートです。なぜなら、電動車いす使用障害者で、2000年の交通BF法成立以前から、2006年のBF新法を経て、2011年の現在に至るまで、交通BF化活動に、継続的に積極的に先端的に携わっている数少ない極めて希少な障害当事者の活動者の一人であるからです。

過去数年、路線バスやコミュニティバス合わせて、毎年300回以上乗車し、鉄道は、JR6社・民鉄大手16社・地下鉄11社・路面電車11社を乗車利用して、ほぼ最新の交通BF化現況を知っているという自負もあります。さらに、BF新法成立以降からは、BF化メニューも増えて、建築物・歩道・都市公園・UDタクシー・「こころのバリアフリー」としてのすべての事業者に求められている接遇サービスに至るまで、BF化の関心取り組みレパートリーはますます豊富になりました。

このような私が、「時期尚早だったユニバーサルデザイン(以下、UD)」と言う訳は、なぜなのでしょうか?その理由を考えていきたいと思います。

UDの名の下で、なぜ「乗車拒否」が繰り返されるのか?

UDという言葉が、広まってきたのは、2000年初頭以降で、そのUDを紹介する前置きとして言われるのは、いつも「BFからUDへ」でした。そして、その理由は、「BFは特定の障害者のためだけの改善策であるのに対して、UDは初めからできるだけ多くの人のための改善策であるから、これからはUDなのです。」と言うのでした。それからUD事例を紹介して、UDとはなんぞや、に展開していくのでした。

しかし、現実の私たち電動車いす使用障害者らは、社会生活の基本である公共交通事業者に差別的に「乗車拒否」、または一般乗客とは異なる劣等な「接遇サービス」に遭わされていました。しかもそれがUD(と評価されている)設備や接遇サービスの下で、行われてきたのでした。

この時、UD推進標榜者のだれ1人として、UD化車両やUD化旅客施設を使えない障害者がいるのに、「それはUDでは無い」とは言わなかったのでした。このような傾向は、UDに対する信用性・信頼性・価値を大きく損ねました。

「BFからUDへ」ではなく、「UDからBFへ」

この理念的矛盾:「だれにとっても使いやすいデザイン」=UDのはずなのに、「ある障害者が使いにくくても、あるいは、全く使えなくてもUDである」という暗黙のメッセージは、米国からの輸入概念であるUD理念のもろさを露呈してしまいました。

ですから、私たち「乗車拒否」されている側の者からすれば、「私たちを抜きにして、なぜUDと言えるのか?」「そんなUDよりもBF化することの方が先決だ!」という強い疑問が湧いていました。なので、私たちは時折、「BFからUDへ」ではなく「UDからBFへ」と訴え始めていました。

UDは、私たちから乖離していく…

では、なぜこのような論理に私たちを導いていったのかというと、これまでのUDもBFも、いわゆる障害者が人として社会生活を十全に営んでいこうとする時に生じるバリアの解消を、まずは当然の権利として位置付けてこなかったからに他ならないと考えています。

これは、「東京都は、平成7年3月に『東京都福祉のまちづくり条例』を制定し、東京で生活するすべての人が基本的人権を尊重され、自由に行動し、社会参加できる「やさしいまち東京」の実現をめざしバリアフリー化を進めてきました。平成21年に改正をいたしました条例では、条例の理念をバリアフリーからユニバーサルデザインとし、高齢者や障害者を含めたすべての人が安全、安心、快適に暮らし、訪れることができるまちづくりの実現をめざします」と説明しています。しかし、実際の都民の障害者が、都内でUDと称されるノンステップバスに「乗車拒否」されても、あるいはUD化されるべき建築物において、個別障害者に全く使えない、利用しずらいといくら東京都や区市の福祉のまちづくり係に訴えても、聞いて聞かないふりをして、何も対策改善をしてくれませんでした。

このような経験から、私たちは、「福祉のまちづくり条例」も私たちの味方では無いということを痛烈に悟らされたのでした。

「福まち条例」やBF法、BF新法の根本原理

また、これらの条例の延長線上にある交通BF法やBF新法においても、この傾向は引き継がれました。これらの法律の根本原理は、障害者の移動権や利用権を認めた上での交通・建築物のBF化ではなく、それぞれの所有事業者のBF化・UD化マインドの高揚の範囲内での整備結果として、移動・利用できるようになればいいなあ…という進め方でした。ですから、これらのいずれの条例も法律も、BF化UD化されたものであっても、実際には使えない利用できない状態になっていても、「移動権」「利用権」に基づく権利を主張できる仕組みは決してつくられることはありませんでした。

反UD事例―「N700系」「上野中央通り地下歩道」「杉並区立杉並芸術会館(座・高円寺)」

2007年7月1日供用開始されたJR東海の東海道・山陽新幹線N700系です。皮肉的な表現ですが、日本の新幹線は現在まですべて他国の新幹線と比して、電動車いす使用乗客を一乗客としては位置付けてきませんでした。多目的室という隔離室の充実化で、日々凌ごうとしていました。この欺瞞に満ちたUD仕様として評される多目的室が、悲しくもJR特急車両の先端的象徴なのでした。JR東海は2004年から2011年の現在まで、この車両においてハンドル形電動車いす使用乗客を「乗車拒否」し続けています。

2009年3月16日供用開始された「台東歩行者専用道第3号線(愛称名:上野中央通り地下歩道)」は、「上野地区の都道中央通りの地下に新設される歩行者専用道で、既存の京成上野駅通路と都営大江戸線の通路を接続します。これにより、JR・地下鉄上野駅(日比谷線、銀座線)、京成上野駅、上野御徒町駅、上野広小路駅、御徒町駅、仲御徒町駅の8駅を結ぶ地下歩行者ネットワークが形成され、歩行者の利便性が向上する」とされました。しかし、実際は車いす使用者都民には、この利便性向上のネットワークが享受されませんでした。なぜなら、肝心の既存の京成上野駅通路との間が大階段で、エレベーターが整備されなかったからです。東京都建設局道路建設部街路課と第六建設事務所工事課が(1)事業期間:平成12年度~平成20年度、(2)事業延長:約320メートル、(3)幅員:約8メートル~21メートル、(4)事業費:約107億円を掛けて、UD化の模範となるべき事業者が反UD化建築物をつくってしまった忘れられない事例となっています。

2009年5月に開館した杉並区立杉並芸術会館(座・高円寺)です。杉並区が有名な建築家にすべて任せてしまったために、UD化がないがしろにされて、区立の公共施設としてはまれにみる反UD化(重たい玄関扉・車いす使用客観覧席を設けずオープンしようとした・とても出入りしにくい・1か所しかない多機能トイレ等々)建築物となってしまいました。

(いまふくよしあき DPI日本会議常任委員交通問題担当)