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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年3月号

証言3.11
そのとき私は

東日本大震災を経験して

吉田茂士

東日本大震災から11か月、福島県は原発の事故もあり、生活圏域から遠く離れて生活している人が、まだまだたくさんいます。

郡山市にある知的障がい者の本人部会「スタートライン」は、いまもなお避難生活を送っている仲間の話を聞いて、『災害がおきた時どうする?』という研修会を開きました。

富岡町のグループホームで生活し、一般就労をしていた吉田茂士(よしだしげし)さんは、原発の事故により、群馬県高崎市の「のぞみの園」で避難生活を送っています。震災から避難所生活での様子や、今自分が思うことを発表してくれました。

プロフィール

富岡町に暮らす前は宮城県石巻市で24年間、カキの養殖の仕事をしていた。昨年の全国大会・本人大会で実行委員、第5分科会(友達)では司会をつとめた。趣味はCDを聞いたり、カラオケで歌うこと。「なでしこジャパン」がはやる前から、女子サッカーの観戦が趣味。

震災の日

東日本大震災は、今まで経験した地震の中で、一生きおくにのこることだとおもいます。その日は、午後にしごとからグループホームにもどっていました。震災がおきる前は、ふろ場で掃除をしていました。もしもふろ場じゃなくて、自分の部屋にいたらどうなっていたかと思うとぞっとしてしまいます。きっとタンスが前にたおれてきたとおもいます。台所の方はとだなからお皿やコップがおちてこなごなにわれ、ろうかの方にさんらんしていました。テレビをみたりしてみんなで食事をするくつろぐ部屋もめちゃくちゃになっていました。

外の方は、道ろのコンクリートがはがれおちたりしていました。屋根は、かわらが下のほうにくずれおちていました。地面は、ひびわれがはげしく、水道もだんすいしていました。

富岡町の海のほうは、つなみでかいめつてきなじょうたいでした。道ろはあちこちでかんぼつがみられました。商てんがいの方は、ほとんどがガラスやしょうひんがこわれ、道ろに散乱していました。

3月11日の夜は、支援者がみんなをむかえに来てくれたので、法人の入所しせつに集合してすごしました。グループホームはもうとてもすめるじょうたいではありませんでした。

避難所での生活

次の日、「原発がきけんです」と言われ、みんなでひなんしました。そして、三春町の自然観察ステーションでしばらくおおぜいでくらしました。自分のものはなにももってこないでひなんしたのです。着がえも何もありませんでした。だけど、三春町の人や全国の人から支援ぶっしがたくさんとどいてとてもうれしかったです。だけど、どうして地元に帰れないのでしょうか。それは、原発がばくはつして、放射能がきけんだからです。

そのあと、4月15日に大がたバスで群馬県の「のぞみの園」という大きなしせつにまたひなんしました。やっとふとんにねられるようになりました。

だけど、自分が25年前、しせつに入所していたころにタイムスリップしたようです。グループホームでは、自由に買い物に行ったり、本人の会のイベントをやったり、外食したり、仕事に行ったりしていたのに、今はとてもかなしくなります。つらいです。

震災前、グループホームでどういう生活をしていたかというと、月曜日から木曜日までは、朝おきてから身じたくをして、せんたく物とか、夜にあらったいるいを干したりします。それから、朝食をとって、7時前のばすにのって、たいひをつくる工場に仕事に行っていました。

いま、会社ではたらいていた人たちはどうしているのかわかりません。みんなひなんしていてわかりません。もう会社もやっていません。せっかくなれたのに残念です。

これからの目標

これからの目標は、一日でも早く、福島にもどりたいです。そしてかせつじゅうたくに住みながら支援者に仕事をみつけてもらってはたらきたいです。毎日思っています。さいしゅうてきには、グループホームを出て、一人ぐらしをするのが一番の目標です。

さいごに、本人の会の全国の仲間からたくさんのはげましの声をいただきました。とてもうれしかったです。ぼくたちはくるしいこともありますが、みなさんとのきずながありますので、ぜったいに負けません。

(福島県富岡町、本人の会「ピース」会長)


研修会の後日、吉田さんから届いた手紙には、「スタートラインのけんしゅう会に、さんかして、ひさびさに顔なじみのメンバーとさいかいし、みんなと会話したりすることが、これからのことをかんがえることにつながればいいなと思いました。よるは、いざか屋でじょうほうこうかんをしたり、カラオケボックスでみんなでいろいろなきょくをわいわいうたったのがたのしかったし、いままでのしせつでのつかれやストレスをわすれてしまうくらいたのしいひとときでした。どこにいても、本人大会の仲間とのきずながあれば、やっていけるのかなと思いました。」と書いてありました。

吉田さん以外にも、同じ高崎市に避難している森真弓さんや浪江町から二本松市に避難している山岸由香さん、田村市に避難している方たちなど、たくさんの方の話が聞けました。郡山市で参加された方からは、「避難している人たちの話などを聞けてよかったです。原発や風評被害が早くなくなってほしいという思いは一緒なんだなぁ~と思って話をきいていました。今日の研修会で、いろんな人と友達になって良かったです。」という感想もよせられました。これからも、お互いに支え合う活動をしていこうと思います。(研修会事務局)