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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年4月号

私たちは声を上げることを諦めない

野本義彦

1 はじめに

平成21年12月、国連の障害者権利条約の批准に向けて、内閣総理大臣を本部長とする障がい者制度改革推進本部が設置され、当事者参加による議論の仕組みができたと聞いた時、私は心の底からワクワクしたことを覚えている。「今日の会議から歴史が変わったと思えるような議論をしてほしい。『私たち抜きに私たちのことを決めないで』という当事者の声をもとに進めていきたい」という障がい者制度改革推進会議での福島元大臣の冒頭挨拶を聞いた時、私は鳥肌が立った。そして、その議論の結果として第一次意見が閣議決定された時、本当に障害者福祉は変わるのだと思った。

2 暗雲

ところが障害者基本法改正で、地域社会における共生において、「可能な限り」という言葉が入ったことに不安を感じ、今回の障害者総合福祉法の一件では唖然とした。昨年8月30日に出された121ページに及ぶ障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言(以下「骨格提言」という)の中身と、2月8日に出されたわずか4ページの厚生労働省案の格差に愕然(がくぜん)としたからだ。それもそのはず、厚生労働省案は、約束されていた障害者自立支援法の廃止ではなく、障害者自立支援法のマイナーチェンジだからである。

今回の顛末(てんまつ)は、現政権の他のすべての政策の顛末と結局のところ同じだ。子ども手当然り、高速道路無料化然り、沖縄問題然り、政治決断と意気込んではみたものの結局現実は甘くなかった。

今回の障害者政策の転換も、保護の客体から権利の主体へ、障害者の生活水準が健常者のそれと同等になるよう求めた障害者権利条約を批准するために、政治決断による根本的な転換を図ろうとしたはずである。そのために厚生労働省の下ではなく、内閣府の中に障害者制度を検討するための舞台が用意され、政治主導で大きく舵を切ろうとしたはずである。ところが当初、障害者自立支援法の廃止と言っていたものが、障害者自立支援法の改正にとどまった結末をみても分かるとおり、根本的な枠組みの転換とはほど遠い。

3 私たちが望むこと

「登る山が違うのだから道を変えよう」と私たちは言い、「登る山は間違っていないから道をゆっくり登っていけばいい」と厚生労働省は言う。根本的な現状認識が全く違うのではないだろうか。

私は、ウェルドニッヒホフマン病という全身の筋力低下が進む病気で歩いたことがない。小学生の途中から地元の小学校が受け入れに難色を示し、養護学校に転校することとなる。養護学校併設の病院への入院を拒んだ両親は、私を養護学校に通わせるため別居を余儀なくされた。離れて生活するとすれ違いも多くなる。両親は離婚した。30歳になるまで、通学、通勤の送迎、日常生活の介護を母が一人で背負った。どうして家族がこれほどの犠牲を払わなければ普通の生活ができないのか。

これに似たようなことは、30年前と変わらず現在も各地で起きている。やはり今登っている山は違うのではないだろうか。百歩譲って今登っている山が正しいとしても、その歩みはあまりにも遅すぎるのではないだろうか。

私たちは、「どんなに障害が重くても、障害がない人と同じように普通に学校に通い、普通に近所の友達と遊び、普通に就職し、普通に家族を持ち、普通に幸せを追求できる存在なのだ。地域に普通にいて良い存在なのだ。『家族が多大な犠牲を払うか、閉ざされた施設の中で生活するしか他に選択肢がない』そのような社会はもう嫌だ。大きく方向転換を行い、障害者権利条約に書いてあるような社会にしてほしい」と言っているだけである。

4 これからの私たちの役割

今回は残念ながら、当初の期待とはほど遠い結末になってしまいそうである。しかし、私たちが諦(あきら)めないことこそ最も重要なのかもしれない。根本的な枠組みの転換を起こすのは私たち自身であるからだ。政治家は国民の代表、官僚は国民の奉仕者でしかなく、私たち障害者の人権を国民がどのように考えるかが最も重要だからである。

決して悲観することはない。閣議決定された第一次意見とともに、障害当事者、家族、事業者、学識経験者、自治体などさまざまな立場の55人が合意した骨格提言は珠玉のものである。この骨格提言が練り上げられた過程は、完全公開であり一点の曇りもない。私たちが望んでいる社会がしっかりと描かれている。

骨格提言の「おわりに」で書いてある「ある社会が、その構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会である(1979年国連総会決議、国際障害者年行動計画の一文)」との言葉を、ぜひたくさんの人に理解してほしい。

一部マスコミが、骨格提言の中の原則無料化だけに焦点を絞って国民に誤解を与えるような報道をしている。他の報道で忙しい記者の方は、障害者福祉を丁寧に取材する時間がなく、一部のニュースソースに頼っているのかもしれない。推進本部設立の経緯から、一連の流れを普通に取材されているならば、私たちの憤りや虚無感が、原則無料化見送りといった問題が原因ではないことぐらい明白なことである。それほど障害者の問題は一般国民からみると関心の薄い問題なのだ。まだまだ私たちの発信が弱いのである。

だからこそ私たちは、障害種別の垣根を超え、障害当事者と家族の垣根を超え、その他さまざまな垣根を超え、一丸となって、私たちが望む社会をあらゆる場面で粘り強く伝えていかなければならない。

(のもとよしひこ 自立生活センターヒューマンネットワーク熊本常任委員)