音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年4月号

新しい障害者福祉法に期待するもの

加藤直樹

障害者自立支援法違憲訴訟に対して、原告・弁護団と政府・厚生労働省の「基本合意」が交わされたのは一昨年1月であった。政府は同法を廃止して新しい総合福祉法をつくると約束し、障がい者制度改革推進本部を設け、その下につくられた推進会議総合福祉部会は、昨年8月に新法の「骨格提言」をまとめて政府に提出した。

これを受けて、政府は3月13日の閣議で障害者総合支援法案を閣議決定し、国会に上程した。政府は、今回の法案について、「名称も理念も新たにした新法で自立支援法は事実上の廃止」と説明しているが、違憲訴訟原告団・弁護団は直ちに、「基本合意と和解条項に違反する国の暴挙」に抗議声明を出し、きょうされんも同日、政府案は「経過的にも内容的にも到底納得できるものではない」として再考を求める見解を発表した。

また、多くの地方新聞が政府案への批判的見解を報じ、少なくない都道府県・政令市・市町村の議会が「骨格提言」に沿った立法化を求める決議を採択している。

政府案に対する批判は多面的である。厚労相が「廃止」を明言して署名した「基本合意」を覆したことを問題にする意見、総合福祉部会の佐藤久夫部会長のように、「骨格提言」が政府案にほとんど生かされていないという意見、また批准を求められている障害者権利条約との立脚点の乖離等々。

内容的な面では、自立支援法制定当時から、もっとも根本的な問題として争われてきたのは、障害による困難に対する「サービス」を「利益」ととらえるのか、「当然の保障」ととらえるのか、という問題であろう。本稿はこの問題を中心にして、障害者の「自立」問題に言及しようと思う。

障害者自立支援法は、障害による困難に対しての支援については、相応の負担をするのが当然であるという立場に立っている。これは、今回国会に上程した「障害者総合支援法」案においても基本的に踏襲されている。

このことについては、すでに指摘されてきたように、障害が重い場合、より多くの支援が必要であり、したがって負担も多くなるというのが基本的問題点である。

筆者がかつて勤務していた重症心身障害児施設の障害者にとっては、多くの支援が1日の生存のためにも不可欠である。そのために必要な支援は、負担の対象と考えるべきではなく、「保障」すべきものである。政府の考え方は、障害は自己責任であるという論理に他ならない。

このような「応益負担」の考え方への批判に対して、今回の法案においては「応能負担」の原則を取り入れたと説明している。

だが、ここにも基本的問題がある。指摘されているように、ここでの「応能負担」は、家族の収入を加味してのものだからである。滋賀県のある作業所では、3人の利用者が毎月9,300円を負担しなければならない。配偶者の収入があるからである。作業所での工賃も少なく、また給食費の負担もあるために、施設長は給料日に渡す袋に「請求書」を入れなければならないという矛盾に悩んでいる。

筆者は、これは「自立支援」ではなく「自立阻害」であることを指摘せざるを得ない。

「自立」という概念は多くの検討を要するものである。社会福祉学の専門家は、わが国の行政にとって「自立」とは、公的支援を受けないことであるという。つまり、税金を使わないことが「自立」だというのである。

ところで、国語辞典における「自立」概念は、「他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること」(広辞苑第6版)等とある。「他の援助を受けない」ことが自立であるという伝統的な見方も根強いが、日常生活や社会生活に支援が必要な人を障害者と呼ぶなら、障害者には自立はあり得ないことになる。

他方で「自立」には「他の支配を受けない」という意もある。さまざまな支援を受けながら、自己決定によって自己実現を図っていくことも自立なのである。

たとえば、女性の自立を問題にする研究者の間では、自立には少なくとも、経済的自立、生活技術的自立、精神的自立の全体を問題にすべきであるという。

「青年の自立」で中心的に問題となるのは精神的自立であるが、今日、「自立」が多くの人々の課題として問題になりつつある中で精神的自立はますます重要課題になりつつあるが、障害者にとって、「家族からの精神的自立」は特別に重要な意味を持っている。

先に紹介した滋賀県の作業所の利用者は、妻の収入に依存していることをいつも気にしているという。家族の収入をあてにする「応能負担」は、その利用者の自立を妨げる役割を果たしていると言わざるを得ないであろう。

「親亡き後」問題は、障害者の家族にとっての古くて新しい問題である。成人してからも家族が養育責任を負わされると、障害者が身体的にも精神的にも羽ばたいていくことは、家族にとっての負担が増大することになりかねない。「自己決定」が多くなることを喜べなくなりかねないのである。

障害者福祉新法に望むこと、それは、成人障害者においては、家族に養育責任はなく、社会がその生存権を守る立場に立ちきることである。

(かとうなおき きょうされん滋賀支部理事長)